マスクをつけていると眼鏡が曇るので、メガネなしで撮影しているのですが、
空が暗いと、いつも以上にピントが甘くなる(-_-;)
「桜は最も早い開花に? 12日は傘の出番」(えりの気象日記 3月11日)庭に来る鳥と湖の鳥と 大原富枝
うっそうたる木立の庭
わが家の庭は大木が多くて、草花は育たないが小鳥はたくさん来る。
もともとこの土地を買いとった三十数年前、敗戦直後はここは小山というか小丘の状態で、武蔵野(むさしの)時代からのものだという赤松の大木が七本、さわらのこれも大木が四、五本に、栗が三本あった。
松などは高砂(たかさご)の松のように見事に枝を張っていたが、隣り一段低い土地の上まで伸びていたので、伐(き)ってくれといわれ、大枝を伐ったので枯れ、害虫(山かみきりの幼虫)にやられてまた伐り、いまは二本だけになった。
さわらは家を建てるとき伐り、栗は栗玉蜂にやられてしまい、いま一本、一番大木だったのが残って毎年実をつけている。
そのとき発見したのだが、栗玉蜂にはつく種類と、絶対につかない種類のあることだった。
そんなふうに何本か伐ったがしかし三十数年も経つと、私の植えた木もけっこう大木になって、二百坪が欠ける広さなのにうっそうとなってしまった。
(『野鳥の歳時記1 春の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)
周りの家々がミニ開発されたりアパートになったりで、昔は樹木の多い土地だったのに、急に緑が少なくなってしまった。
うちの庭には小鳥たちのしばしば息をつく場所になっているらしい。
春はまず寒いうちに黄色のまんさくの花が、ひっそりと咲いている。
ほとんど同じころ、においこぶしの大木が咲き始める。
てっぺんの方から、また枝先から、つまり陽あたりの良い方から先に開く。
するとムクドリがその少しばかりほぐれた白い花びらの先をついばみに来る。 ムクドリは、年中庭にいてあまり見栄えのしない黒っぽい鳩ほどの大きさの小鳥だが、貪食家(どんしょくか)であるらしく、繁殖力も強いらしい。
花食鳥という言葉があるけれど、どうだろう。
そういう種類の鳥がいるわけではないだろう。
ヒヨドリもこぶしやはくもくれんの花弁(かべん)を食べてしまう。
またやっている、と私は花を惜しむのだが、高いところなので彼らは裕々とついばんでいる。
そのうちいっせいに万朶(ばんだ)と咲くので、もう彼らのついばむくらいは何でもなくなる。
(『野鳥の歳時記1 春の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)
3月9日の記事で団藤重光氏は「死刑廃止論」者だと紹介しました。
団藤氏が最高裁判事になる前、東京大学法学部教授であった時に書かれた『刑法綱要総論』。
学生時代、レポートを書くために参考文献にしていました。
正直な話、全部を読むことができなかった…
司法試験を目指す人は熟読しているのだろうなぁと思うと、受験することを諦めました(^^ゞ
第三編 刑罰および保安処分
第一章 刑罰制度
第二節 刑罰の種類
二 死刑
(前略)
おもうに、残虐な殺人の現行犯を目撃した直後の者は、おそらく死刑を否定する気持にならないであろうし、死刑の確定後すでに完全に改悛して執行台に登る前に祈りを捧げている犯人に接する者は、おそらく死刑を肯定する気持にならないであろう。
前述のとおり、刑罰の裏づけとなっている事態には、変化がありうる。
刑罰は、根本的に動的な性格をもつものである。
このように動的な性格にもっとも適切なのは自由刑であり、もっとも不適切なのは死刑だといわなければならない。
かようにして、わたくしは、根本的に、死刑廃止論に傾かざるをえない。
(後略)
(『刑法綱要総論』団藤重光 創文社 昭和49年増補)寺田寅彦の「天災と国防」を転記しましたが、
アイヌの人々に対する松前藩や明治以降の日本政府の政策は、
中国政府のウイグル人への弾圧と同じだと思います。
「先住民族/少数民族 - ウイグル人」(アムネスティ)
アイヌの人々が文字を持たなかったことを未開の人と決めつけるもとになっていると思いますが
『日本の民話を学ぶ人のために』に三浦祐之さんが「日本の民話とアイヌ」という論稿を書かれています。
三浦さんは、文字を持たなかったのではなく「不要であった」と書かれています。
その一部を転記したいと思います。
日本の民話とアイヌ 三浦祐之(すけゆき)
はじめに
日本語の使用を強いられる以前、アイヌにとって文字は不要であった。
そこでは、音声による伝承こそが彼らの歴史や思想や感情を表す唯一の手段であり、それゆえに、さまざまなジャンルの口承文芸が語り継がれることになった。
(『日本の民話を学ぶ人のために』福田晃、常光徹、斎藤寿始子編 世界思想社 2000年)
そうしたアイヌの伝承と和人の伝承との関係を考える場合には、本書で用いられている「民話」という概念を「昔話」の同義語とはせずに、もっと広く、「人びとによって語り伝えられている筋をもったひとまとまりの話」というふうに定義づけるのが適切であろう(「日本の民話とアイヌ」という表題は編者から与えられたものだが、アイヌに対置して「日本」「日本人」という語を用いるのは私自身のなかに抵抗があるので、以下「和人」という語を用いる)。
和人の伝承の場合、「民話」の範囲は、最大限に広げても、昔話や伝説を中心に、様式化されて伝えられる世間話や噂話の類に限定できるだろう。中国政府のウイグル人への弾圧と同じだと思います。
「先住民族/少数民族 - ウイグル人」(アムネスティ)
アイヌの人々が文字を持たなかったことを未開の人と決めつけるもとになっていると思いますが
『日本の民話を学ぶ人のために』に三浦祐之さんが「日本の民話とアイヌ」という論稿を書かれています。
三浦さんは、文字を持たなかったのではなく「不要であった」と書かれています。
その一部を転記したいと思います。
日本の民話とアイヌ 三浦祐之(すけゆき)
はじめに
日本語の使用を強いられる以前、アイヌにとって文字は不要であった。
そこでは、音声による伝承こそが彼らの歴史や思想や感情を表す唯一の手段であり、それゆえに、さまざまなジャンルの口承文芸が語り継がれることになった。
(『日本の民話を学ぶ人のために』福田晃、常光徹、斎藤寿始子編 世界思想社 2000年)
そうしたアイヌの伝承と和人の伝承との関係を考える場合には、本書で用いられている「民話」という概念を「昔話」の同義語とはせずに、もっと広く、「人びとによって語り伝えられている筋をもったひとまとまりの話」というふうに定義づけるのが適切であろう(「日本の民話とアイヌ」という表題は編者から与えられたものだが、アイヌに対置して「日本」「日本人」という語を用いるのは私自身のなかに抵抗があるので、以下「和人」という語を用いる)。
韻律を主要な要素としてもつ抒情的な短歌謡や子守歌・わらべ唄などは、それが「筋をもったひとまとまりの話」ではないとう点で民話からは排除されるし、宗教者や職業的芸能者によって伝えれてきた祭文や浄瑠璃・浪花節などの「語り物」類は、その伝承者の性格や「話」という概念からみて民話とは呼びにくい。
それは、民話に包括できる散文体の民間伝承が他のジャンルの表現と、その内容も性格もかなり明確に隔てられているからである。 ところが、「アイヌの民話」(なじみのない呼称だが)といった場合、いささか事情は異なってくる。
アイヌに伝えられる口承文芸の中から、和人の伝承に対して定義づけられた民話あるいは昔話と同類の伝承だけを、他の多様な伝承群から切り離してしまうことはむずかしいし、口承文芸の総体を見ようとする時、そうした分断は有効性をもたないのである。
それが文字を必要としなかった人びとの、しかも、職業的な語り手を持つことのなかった民族の特徴ではないかと思われる。 アイヌの場合、日常的な語り口調で語られる話も、韻律的で抒情的な短詩型の歌謡も、韻律をともなった長大な叙事詞章も、あらゆる伝承が口承による民間伝承として存在するのである、そのうちの短詩型の抒情詩を除いたすべてを、ここで言う「民話」という概念に包括したほうがよい。
そのことは、音声としてのリズムやメロディーなど音楽的な要素を無視して、アイヌの民話を考えることの無効性を示してもいるのだろう。
(中略) 今後の課題など
本章のテーマである日本の民話とアイヌの民話(叙事伝承)との関係について述べなければならないが、そのほとんどが今後の課題として残されたままである。
関敬吾編『日本昔話集成』6巻(角川書店、昭和25年~33年)や同編『日本昔話大成』12巻(同、昭和54年~55年)が象徴するように、アイヌの伝承は、長く「日本昔話」から除外されてきた。
たしかに、言語を異にするアイヌの伝承世界は、「日本」とも「昔話」とも異和をもつのは明らかだが、『集成』や『大成』に代表される研究者の側の立場が、「日本」における民話(昔話)研究において、アイヌの伝承を特殊なものとして遠ざけ過ぎたのではなかったかと反省してみることも必要である。 それが、『日本昔話通観』29巻(同朋舎出版、昭和52年~平成2年)の第一巻に『北海道(アイヌ民族)』(平成元年)が収められたことによって、「日本昔話」の一部としてアイヌの叙事伝承が認知されることになったのである。
それ以外にも、『古代文学講座』12巻(勉誠出版、平成5年~9年)に何本かのアイヌ関係の論文が載せられたり、『岩波講座日本文学史』17巻の最終巻として『口承文芸2・アイヌ文学』(岩波書店、平成9年)が加えられたことも、最近の動向として注目してよいだろう。 もちろん、こうした傾向が生じた真の原因がどこにあるかということはきっちりと議論しておく必要があろうが、伝承研究の問題としていえば、和人の伝承を考える場合にも、アイヌの伝承を考える場合にも、こうした動きが新たな視座をもたらすことになったのは間違いないはずだ。
『日本昔話通観1北海道(アイヌ民族)』という書物自体の内容や構成に対しては当然のこととして賛否両論があるだろうが、神謡や英雄叙事詩や神の散文伝承など韻律的な伝承も一人称叙述の伝承も含めて、アイヌのすべての叙事伝承を対象として編まれた『日本昔話通観』の出現は、両者の伝承の差異と共通性とを考える上で、貴重な資料となったのは明らかである。 その『通観1』の「解説」によれば(稲田浩二「アイヌ叙事文芸と和人昔話」)、「和人昔話に対応するアイヌ叙事文芸の割合」は、おおむね対応するものが23%弱、ゆるやかな対応や一部のモチーフの一致も含めると31%弱になるという。
この数字がどのような意味をもつかという点は、今後の検討課題となろうが、言語の違いや表現形態の差異を前提としながら、これだけの共通性をもつという事実は、和人の昔話(民話)とアイヌの伝承との関係を考えていく上で見過ごすことのできない重要な問題である。
伝承の伝播は、話だけが勝手に動いた結果生じたということはありえない。
それが書物による影響である場合でさえ、何らかの形の人間の接触や交流を前提としなければならないわけで、ましてや音声による伝承において、アイヌと和人という隣人同士の関係を考えれば、両者の交流や影響関係を見極めることの重要さは、改めて述べるまでもなかろう。 言語の違いはどのようにして克服されてゆくのか、思想や生活形態の差異は伝えられる伝承をどのように変容させてゆくのか、文字を必要としなかった民と書くことに多くを譲った民とでは伝承にいかなる違いが生じるのかなど、我々が解明したいと思うさまざまな課題が、和人の伝承とアイヌの伝承との比較研究を通して明らかになるだろう。
そして、それらのほとんどは、いまだ手を付けられないままに眠っていいるのである。
(付記)アイヌの一人称叙述の問題については、別に、「一人称語りの系譜――アイヌのトゥスクルを通して」(『東北学』2、作品社、平成12年4月、所収)で詳述した。
(『日本の民話を学ぶ人のために』福田晃、常光徹、斎藤寿始子編 世界思想社 2000年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
まるまるしている野良ちゃん。
こんなニュースが伝えられています!
「イギリス首相官邸のネコが減量へ 外出制限で太りすぎ」(NHK 3月10日)
ご本人のLarry the CatのTwitterには
After allegations that I’m putting on weight, here’s proof I’m as slender as ever!
(証拠写真)