もう3月も今日と明日の二日を残すのみ…
ここしばらくは青空を望めそうにないなぁ…
志村けんさんが亡くなられましたが、他人事ではないです。
私もコロナに感染したら助からないと思っています。
2018年9月4日の台風21号で折れた枝に花が咲いていました。
私も心臓が半分しか動いていないけど頑張らないとp(^^)q
「平成30年9月4日の台風第21号による暴風と大雨、高潮について」(大阪管区気象台)
各地で外出自粛が要請されていますが
イギリスやフランスでDVの被害が増えているようです。
「欧州各国 外出制限の延長・厳格化が相次ぐ」(NHK)
家にいることでストレスがたまり、そのはけ口に暴力が配偶者に向っているようです。
感染防止のために外出を控えることで起きるストレスにどう対処するか難しいことだと思います。
短時間でもいいから外の空気を吸うことが必要だと思います。
私は、何度か入院を体験しました。
最初の入院したときに許可がおりて、屋上にあがって空を見上げた時のことが忘れられません。
大阪の知事は緊急事態宣言をしたがっているようですが…
“感染増加なら緊急事態宣言を”(関西NHK)
一水会のTwitterに
今日も東京の新たなコロナウイルス感染者数が 60人を超えた。
重病者用の病床も急速に埋まりつつあると言う。
安倍政権支持派はPCR検査を増やさない理由を「医療崩壊を防ぐため」などと言い訳していたが、既にその時は近付きつつある。
結局は国民の生命を五輪対応で後回しにしたということではないか。
すでに公立病院などの統合廃止などで医療崩壊を招いている政策で
国民が充分な検査と治療を受けられないようにしている。
これだけ緊迫しているのに政府は、国民の命を守ろという使命感がないことが明白になっています。
「政府、病床削減へ84億円 20年度予算案で病院支援」(JIJI.COM)
「中国 陽性でも無症状は感染者に加えず 感染拡大に懸念の声」(NHK)
このニュースを見て酷いなと思ったけど、
日本は、オリンピックの延期が決まるまで検査を少なくして
感染者数を隠蔽していたと思っています。
そのために無症状の感染者が感染拡大を意識せずにしてしまっている。
そして、感染を拡大したと白い目で見られている。
都知事は、今夜の緊急会見で何を仰るのでしょうか?
「小池都知事 今夜8時に緊急会見 感染防止で新たな呼びかけへ」(NHK)
秋満吉彦さんのTwitterに
「自粛」というのは「自分でつつしむ」という意味で「自粛しろ」「自粛を要請」という言葉は語義矛盾だし、変だ。
「強制した上で、きちんと補償する」というのが、先進各国がやっている正しい方法。
恵んでもらうのではない。
こういう時のために日々支払っている税金を、還してもらうだけのことなのだ。
朝日新聞の文化・文芸欄にインタビュー記事が載っていました。
〝坂本龍一、公演中止「仕方ない」が… 経済支援せず自粛要請「ひきょう」/緊急事態宣言は危険〟(朝日新聞 3月29日)
の中から一部を転記しますφ(..)
ただ、政府が経済的な支援をせずに公演を自粛するよう求めていることは「ひきょうに感じる。見捨てるのかちゃんと国として支援するのか。文化の大切さをどう思っているかが問われると思います」。
最近よく頭をよぎる言葉がある。
「危機は権力に利用されやすい。清志郎が言っていたんですよ。『地震の後には戦争が来る。気をつけろ』って。彼は警告を発していた。すごいなと」
念頭にあるのは、日本で私権を制限できる「緊急事態宣言」が可能になったことへの強い懸念だ。
「ナチが使った緊急事態条項を思い起こします。今回の法改正は非常に危険だと思う。野党(の一部)も賛成て成立してしまった。未来から見たら、全体主義的な傾向にまた一歩近づいた出来事として記憶されるんじゃないかと思います」
「自殺した財務局職員の妻の署名活動 3日間で17万人超の賛同」(NHK)
多くの賛同が集まっています。
命を軽視する首相たちの言動がコロナへの対策に如実に現われ、国民の生命が危機に瀕している。
「私の夫、赤木俊夫がなぜ自死に追い込まれたのか。有識者によって構成される第三者委員会を立ち上げ、公正中立な調査を実施して下さい!」(change.org)
こころの時代「レンズで見つめた生と死の時」で、江成常夫江さんが番組の中で
1981年3月2日に中国残留孤児の方々が初来日されたのですが
孤児の帰国に尽力されていた山本慈昭さんとの思い出話を語っていた。
慈昭さんは残留孤児の初来日の10年前から厚生省を訪ね、孤児たちのことを訴えていたそうです。
その時に厚生省の役人の言葉が
「そんなことに手を出したら眠っている子を覚ますようなもんだ」という言葉が返ってきた。
遺骨取集での対応にしても、コロナの対応にしても国民の命を守る「厚生」という言葉と真逆の省庁だと思う。
「山本慈昭(やまもとじしょう)」(NPO法人 国際留学生協会・向学新聞)
「感染終息願い 厄よけ札復刻」(関西NHK)
神頼みだと言われようが庶民は、藁にもすがるような思いなんです。
元三大師良源のお札、お寺は違いますが
2011年に心筋梗塞を発症した時に妹と姪が四天王寺千日詣りでもらってきてくれました。
今でもリュックに入れてリハビリ散歩に出かけていますp(^^)q
(※厄病除けのお札は8月9日・10日のみの授与)
新美南吉の「サルト サムライ」を転記しますφ(..)
原文は、カタカナと漢字で書かれています。
サルト サムライ
五にんの サムライが たびをして あるひ やまみちを とほりかゝると、木の下に 一ぴきの サルが ゐました。
「あのサルを きらう。」
「さうだ、わたしがきる。わたしは もう 一つきあまり かたなを ぬかないで、うでが むづむづする。」
「いや、わたしが きる。わたし かたなは よく きれる。」
「だめだ だめだ きみらの うででは サルを とりにがして しまふ。わしが きる。」
「おねがひだ、わたしに きらせて くれ。」
(『校定 新美南吉全集 第四巻』大日本図書株式会社 1980年)
けれど、よく みると、その サルは びようきに かゝつて うごけなく なつて ゐました。
びようきの サルを きつても しかたないと いふので、五人の サムライは、その サルを つれて ゆきました。
やがて サルは、びようきも なほつて 五人の さむらいに よく なれました。
ところが、まいにち いつても いつても ひろい のはらで たべものが ないので さるを ころして たべなくては ならなく なりました。
「おまへ きれ。きりたいのだらう。」
「いや、おまへ きれ。おれの かたなは はが こぼれて ゐる。」
「おまへは どうだ、うでが むづむづしているんだらう。」
「うーん、だめだ、おなかゞ いたいから。」
その うちに のはらの むかふに むらが みえて ゐました。
「あつ むらだ。あそこへ ゆけば たべものは ある。サルは ころさなくて よい。」
五にんの サムライは サルを きらなくて よかつた ことを、めに なみだを ためて よろこびました。
(『校定 新美南吉全集 第四巻』大日本図書株式会社 1980年)
今朝の父の一枚です(^^)v
望遠だったらも少し分かるように写せたのにと口惜しがっていました。
ウグイスを見つけたそうです。
私は、突発性難聴で左耳の聴力を失っているので、見つけることができません(T_T)