昨日から寒さが戻ってきたみたいです…
カラスが一生懸命にしているみたいだったので近づくと
どうも巣作りの材料を集めているみたいでした。
それにしても天気が日替わりで変わりますね…
「西日本から東北 16日にかけ大気不安定 急な雨などに注意を」(NHK)
ボソもブトも、春になると子育てを始めます。
公園の樹木あるいは街路樹のうち10~20メートルくらいの高さのある樹木の、中ほどより高いところに巣をつくります。
巣は、木の枝で編んでつくられています。
町の中のカラスは枝の代わりにハンガーなどの人工物も用います。
それだけでは硬いので、内側には、ふんわり素材が使われています。
藁のような植物質、どこから拾ってくるのか、ビニールテープや綿も使います。
(『身近な鳥の生活図鑑』三上修 ちくま新書 2015年)
デザイン トークス+(プラス)「調和」を見ていて
皆川明さんが
「特別な日常の服」を提唱されていました。
例えば、パーティーに着ていくですとか、
自分の晴れの日に着ていくということを特別というふうに捉えていることが、
多いと思うんですけれども。
今日も一日、当たり前のように過ぎたということは、実は、この世界においては特別なことで。
その特別だという感覚を、もっともっと大切にするという意味で考えながら、
着ていくということが、よりファッションと人の暮らしが密着していくのかなという考えのもとで始めた当初より、
特別な服というふうに考えています。
と話されていました。
今日一日、無事に過ごせることは、「特別なこと」なんですよね。
「ミナ ペルホネン(minä perhonen) 」(皆川明さんのブランド)
日曜美術館「真を写す眼 渡辺崋山」
渡辺崋山のことをよく知らなかったなと思いました。
蛮社の獄で蟄居を命じられた後、自害したことや
寺子屋の様子を描いた絵のことしか知らなかった。
番組を見ていてもっと知りたくなりました。
こんな時、図書館や図書室で資料を探したいのだけど…
ブラタモリ「島原・天草~なぜキリシタンは250年も潜伏できた?~」
ある意味、隠れキリシタンのことを思い込んでいたなと思いました。
踏絵も初めと次に作られたものとの違いを見て、
踏んでも信仰を捨てたことにならないなと思いました。
原城の地質を知ると、3カ月近くも籠城できた理由がわかった。
今回で最後になった林田理沙さんが
「もしかしていわゆる『崩れ』ですか?」と答えた時に「さすが元長崎局」と出たので調べると
かくれキリシタンのことを取材しているのですね。
天草崩れでキリシタンが処罰されなかった理由を聞いた
タモリさんが、「今の日本政府とあまり変わりないっていうことだな…」
と思わず声に出したのですが、代官所はどんな手立てをしたのか?(^_-)
最近、NHKのニュースを見たことがなくて、ニュースサイトを見るくらい。
それよりもEテレなどを見ることが多いのは、
首相の都合の悪いところを見せないようにニュースを編集しているなと感じるから。
このブログの訪問者は、一つの記事に10人前後です。
それでも言葉には気をつけないといけないなと思っています。
ついつい腹立ちまぎれに荒い言葉を使いたくなるのですが
道元の教えを肝に銘じないといけないと思います…
正法眼蔵随聞記 一
三 学道の人、衣食を貪ることなかれ
〔口語訳〕
…略…
仏道を学ぶ人が、物を言おうとする時は、言う前に三度反省して、自分のためにも相手のためにもなるようならば、言うがよい。
利益のなさそうな時には言うのをやめるべきである。
こういうことは、一ぺんにはできないものである。
心にかけてだんだんに習熟すべきである。
(『正法眼蔵随聞記』水野弥穂子訳 ちくま学芸文庫 1992年)
正法眼蔵随聞記 五
八の(一) 三覆して後に云へ
〔口語訳〕
教えて言われた。
「三度考え直してのち言え。」という言葉があるが、その意味は、すべて物を言おうとする時も、事を行なおうとする時も、必ず三度考え直して後に、言ったり行なったりするべきであるというのである。
昔の儒者は多くは、「三度考え直して、三度とも善であるなばら言いもし、行いもせよ。」と解釈している。
しかし中国の賢人の気持では、三度考え直せというのは、幾度も考え直せということである。
言葉に出す前に考え、行為に移す前に考え、考えるたびごとに善であるなら言ったり行なったりすべきであるというのである。
達磨門下の禅僧もまた必ずこうあるべきである。
自分で、思う事も、言う事も、自分で気がつかないところで、悪い事もあるのだから、まず仏道にかなっているかどうかを反省し、また自他のために利益があるかどうかを、よくよく反省して後に、善であるようなら行いもし、言いもすべきである。
仏道の修行者がもしこの気持を守るならば、一生仏の心にそむかないであろう。
以前、わたしが建仁寺に始めていった当時は、修行僧たちは分にしたがって身と意(こころ)と口の三業を守り、仏道のため、人のため利益にならないことは、言うまい、すまいとめいめい志を立てたものである。
栄西禅師がなくなって後も、その徳のなごりがある間はこの通りであった。
しかし今日ただ今では、もうその風儀は見られない。
今日仏道を学ぶ人はぜひ知っておいてもらいたい。
自他のため、仏道のために、間違いなく役に立つことならば、身を顧みず、言いもし、行いもすべきである。
反対に、そうした効果のないことは、言ったり行なったりしてはならない。
年とった先輩の僧が物を言ったり行なったりしている時には、後輩の僧は口をはさんではいけない。
これは仏が制止せられたところである。
よくよくこれをおかさないように。
自分の身を顧みず道を思うことは、俗人でもやはりこうした気持がある。
昔、趙の藺相如(りんしょうじょ)と言った人は、身分のいやしい人であったが、思慮のすぐれた人だったので、趙王に召し使われて、後には天下の政治をとり行なった。
ある時、趙王の使いとして、趙璧(ちょうへき)という玉を持って秦の国へつかわされた。
それは、秦王がこの趙璧を、秦の十五の都市と交換しようと言ったので、相如に持たせてやったのである。
その時、他の臣下が相談して、
「これほどの重宝を相如のような賤しい者に持たせてやるのは、趙に人物がないようである。ほかの臣下の恥である。後世の人がそしるであろう。途中で相如を殺して玉を奪い取れ。」
と相談していた。
それをその時聞いた人が相如に告げて、「この使いを断わって命を守るべきです。」と言った。
すると、相如は、「わたくしはどうしてもやめるわけにはいきません。なぜなら、この相如が王の使いとして玉を持って秦の国に向かうところを、自国の臣に殺されたと後世に知られるのは、わたくしにとって喜ばしいことです。わたくしの身は死んでも、賢人の名は残るでしょう。」と言って、ついに秦へ向けて出発した。
暗殺をくわだてた他の臣下らは、相如のこの言葉を聞いて、「われわれはこの人を討ち取ることはできまい。」と言って、暗殺をとりやめた。
相如はついに秦に着き、秦王にお目にかかって、玉を秦王に与えた。
ところが、秦王に十五の都市を渡さない様子が見えたので、相如は、一計を案じ「その玉にはきずがございます。わたくしがそれをお教えしましょう。」と言って、玉を手に入れた上で、相如は言った。
「あなたの御様子を見ると、十五の都市を惜しんでおられる様子がある。それでは、わたしの頭をこの玉といっしょに銅柱にぶっつけて、打ち割ってしまいますぞ。」こう言って、怒りの眼で王を見ながら、銅柱のもとにさしよった様子は、本気で玉をこわしてしまいそうな勢いがあった。
それで、秦王は、「お前、玉を割るではない。十五の都市を与えよう。その手配をする間、玉はお前が持っているがよい。」と言った。
そこで、相如はひそかに人をやって、玉を本国の趙にかえしてしまった。
また河南の澠池(べんち)という所で、趙王と秦王とが会盟して音楽の遊びをしたことがあった。
趙王は琵琶の名手だった。
それで、秦王が無礼にも趙王に命じて琵琶をひかせた。
趙王は相如に相談もせず、すぐに琵琶をひいた。
その時相如は、趙王が秦王の言いなりになったことを怒って、それでは自分は行って秦王に簫(しょう)を吹かせようというわけで、秦王に告げて、「あなたは簫の名手でいらっしゃいます。趙王がお聞きになりたいそうでございます。どうぞお吹きください。」と言った。
秦王がこれを断わったので、相如は、「もしお断わりになるのなら、あなたの命をいただきますぞ。」と言って、近づいて行った。
秦の将軍も剣を持って相如に迫った。
相如がこれをにらみつけると相如のまなじりがぱっと裂けた。
将軍はその勢いに恐れ、剣を抜かずに引き返したので秦王はついに簫を吹いたという。
また後に、相如が趙の大臣として、天下の政治をとっていた時に、同僚の大臣は、相如が自分より勢いの強くなる事をねたんで、相如を討とうとした。
その時相如は方々逃げかくれ、宮中に行かなければならない時は顔を合せないようにして、おじ恐れている様子であった。
その時、相如の家臣がたずねた。
「あの大臣を討ち取るのはたやすい事でございます。どういうわけでそんなにおじ恐れて逃げかくれなさいますか。」
相如は言った。
「わたしはあの大臣をこわがっているのではない。わたしはかつて秦の将軍をも一にらみで退け、秦王に取られた玉をまんまと奪い返した。あの大臣を討ち取るぐらいは言うにも足りない。しかし、軍を起し兵を集めるのは敵国と戦うためである。わたしは今彼と左右の大将としてこの国を守る任にある。もし二人が仲たがいして軍をおこしたら、どっちか一人が死ぬであろう。すると、隣国は、二人のうち一人が欠けたことを喜んで、軍をおこして攻めて来るに違いない。だから、二人そろって、わが国を守ろうと思うから、それであの大臣と軍をおこすようなことはしないのだ。」
相手の大臣はこの相如の言葉を人づてに聞いて、自分の考えを恥じ、相如のもとに来て謝罪の拝をし、二人相和して国を治めた。
相如が自分の身を顧みず道を守ったことはこのとおりである。
今、心に仏道を忘れない事も、あの相如の心のようにあるべきである。
「道を守って死のうとも、道無くして生きていてはならない。」とも言われる。
(『正法眼蔵随聞記』水野弥穂子訳 ちくま学芸文庫 1992年)
今朝の父の一枚です(^^)v
遊びに来てサッカーボールが池に落ちたようです。
拾いに行けなかったのでしょうね?
新型コロナウイルスで休校となり家庭で過ごすことが多くなっているようです。
「もう限界! 休校ストレス」(NHK)
広い場所で体を動かす方が免疫力が高まると思うのですが…
〝新型コロナ「政府、国民は冷静になるべき」 手洗い、換気で対策を 生物資源研究所の根路銘国昭さん〟(琉球新報 3月9日)