2020年3月13日金曜日

13日の金曜日ですが(^_-)

昨日、桜の開花予想が発表されましたね(*´▽`*)
ぽかぽか陽気で桜も間近...?」(えりの気象日記 3月12日)
今日は、13日の金曜日で、キリスト教徒にとっては、
キリストが弟子のユダに裏切られた日なので不吉な日になるのですが、
日本では「十三」という数字は悪いことばかりではありません。
京都では法輪寺に伝わる十三まいりという行事があります。
おまいりで守らなければならない約束事があります(^_-)
京都の路面電車 洛西の景勝地を結ぶ嵐電」(みちしる NHK)
十三詣(じゅうさんまい)
 十三歳になる子供たちが旧暦3月13日に虚空蔵菩薩を祀る寺院へ参詣し、知恵を授けてもらう行事。
かつては男子は15歳ころ、女子は13歳ころが一人前になる年齢とみなされており、成人式に相当する元服や鉄漿(かね お歯黒)付けなどの儀式が行われていた。
民間でも十三鉄漿付けなどの言葉が残り、男子には成人になったしるしに褌(ふんどし)が贈られることもあった。
また、成人仲間に加わる男子が集団で各地の霊山や社寺に参詣することは広く行われていたが、このような風習と虚空蔵尊の縁日の十三日が関連づけられて、十三詣りが行われるようになったものであろう。
各地ではそれぞれ有名な虚空蔵尊で十三詣りが行われている。
京都市嵐山の法輪寺では、帰途に寺の前の渡月橋を渡りきる前に後ろを振り返ると授かった知恵が帰ってしまうといわれ、子供たちがうつむきかげんに橋を渡る姿がみられた。  (斎藤)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
成女式(せいじょしき)
 結婚できる一人前の女として社会的に認められる式。
古くは初潮の祝いが成女式に相当したらしく、たとえば八丈島では「ウイデ」と呼んで結婚式のとき以上に盛大に祝ったという。
また成女式には、「ユモジ祝い」とか「カネツケ祝い」などの名称もあり、腰巻(こしまき)をしたり、カネ(鉄漿)をつけて結婚の資格があることを披露することもあった。
こうした儀礼は十三祝いなどの名称もあることから、13歳前後に多く行われたようである。
長崎県の五島地方では13歳の祝いが盛んで、毎年11月15日に「ヘコイワイ」といって、娘は親戚などから贈られた着物を着て宮参りをし、家では大盤振舞をするという。
(『図説 民俗探訪事典』大島暁雄他編著 山川出版社 1983年)
そして75年前の3月13日の大阪、
3歳の妹は炎に包まれた 記憶刻んだ空襲の絵、残す試み」(朝日新聞)
臨時休館のため、3月22日(日)からの開催となりましたが、
大空襲75年特別企画「大阪空襲体験画展」~未来に伝えたい人びとの記憶~〟(ピースおおさか)
3月13日 
 道元が鎌倉から越前の永平寺(えいへいじ)に帰った。 1248(宝治<ほうじ>2)年
 曹洞宗(そうとうしゅう)の始祖道元(どうげん)は、1247年、執権(しっけん)北条時頼(ときより)の要請で鎌倉に赴(おもむ)いた。
半年余りの滞在中、時頼や多くの人々を教化し戒律を授けた。
時頼は新しく寺を建てて道元をその開山(かいさん)にしようと申し出たが、道元はそれをきっぱりとことわって、この日永平寺に帰った。
さらに時頼は所領を寄進しようとしたが、道元はこれも受けいれなかった。
 青年時代、4年に及ぶ宋での修行を終るにあたり、道元は師から「帰国しても都に住んではならない、国王や大臣に近づいてはならない、深山幽谷(ゆうこく)に居よ」と教えられた。
1243年に越前(えちぜん)の山奥に入って以後、師の教えを固く守りぬいたのである。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)

 「永平寺 道元禅師の教え」(NHK みちしる)
正法眼蔵随聞記』より道元の教えを転記したいと思いますφ(..)
100分de名著『貞観政要 呉兢』で紹介された太宗について道元も述べています。

正法眼蔵随聞記 四
 六 唐の太宗即位の後
〔口語訳〕
 ある夜、教えて言われた。
 唐の太宗は即位された後も、古い殿堂に住んでいられた。
その御殿は破損してので、湿気があがり、風や霧がはいって、天子のおからだにさわりそうであった。
臣下のものが新築されるように申し上げたところ、みかどは、
「いまは農繁期である。今新築の事をおこすと人民が困るであろう。秋の取り入れのすむのをまって造ろう。天子として湿気におかされるのは地に受け入れられないからであり、風雨におかされるのは点の心にかなわないからである。天地の心にかなわないで身を保つことはありえない。民を困らせることがなければおのずから天地の心にかなうであろう。天地の心にかなえば、からだにさわることはあるまい。」
と言われて、ついに宮殿を造らず、古い御殿に住まわれた。
(『正法眼蔵随聞記』水野弥穂子訳 ちくま学芸文庫 1992年)
 まして仏弟子は、如来の家風を受けつぎ、一切の生きとし生けるものを一人子のようにあわれみいたわるべきである。
自分の配下にある侍者、家来だからといって、大声でしかりせめ、苦しめてはならない。
ましてや、同じ門下で仏道を学ぶ仲間や、年上の人、先輩の僧をつつしみ敬うことは如来に対すると同様にすべきであると、戒の文言にもはっきり説かれている。
であるから、今の仏道を学ぶ者も、他人には表から見てわからなくても、今の仏道に学ぶ者も、他人には表から見てはわからなくとも、心の中では上下、親疎の区別をたてず、一切の人のためによいようにと思うべきである。
大きい事でも小さい事でも、人を困らせ、心を傷つける事があってはならない。
 釈迦如来が在世のとき、外道で如来をそしり、にくむものも多くあった。
仏弟子がおたずねして、
「あなたさまはもともと柔和を根本とし、慈悲を心としていらっしゃるのですから、すべての衆生が等しくつつしみ敬うはずでございます。それなのに、どうしてこのような従わない人びとがあるのでございますか。」
と言った。

  仏様は、
「自分が過去世に弟子を率いていた時、たいていの弟子をいましめるのに大声でしかりせめた。その報いで、今、この通り外道からそしり、にくまれるのである。」
と言われた。
この話は、律の中に見えている。
 してみると、住持長老として衆を率いても、弟子の間違いを正し、いましめようとして呵責の言葉を用いてはならない。
おだやかな言葉で、改めさせたり、すすめたりしても、従うものは従うのである。
まして、仏弟子は、親しい人にも、親しくない人にも、また同輩などに対しても、あらあらしい言葉で人をにくんでしかりつけることは、まったく禁止すべきである。
よくよく気をつけるべきである。
(『正法眼蔵随聞記』水野弥穂子訳 ちくま学芸文庫 1992年)
今朝の父の一枚です(^^)v
明日は、雨の予報なので明日は、散歩は無理かなと話していました。
昨日、父と一緒に見ていた
歴史秘話ヒストリア「隠された震災 昭和東南海地震」
父は「知らなかったなぁ」と呟いていました。
戦時中で、報道管制がしかれ日本国民には知らされませんでした。
でも、アメリカは地震があったことをキャッチしていました。
国民を騙せてもアメリカを騙すことはできなかったのです。
緊急事態宣言『放送内容差し替えありうる』答弁を撤回」(NHK)
これは、緊急事態宣言の本当の狙いだと思いますよ。