2020年3月2日月曜日

春の暖かさというよりも…

初めは曇り空でしたが、
青空になり日ざしが暖かいというよりも暑かった(^-^;
モクレンの花が咲き出しました。
顔見知りの方と立ち話。
ついつい新型コロナウイルスの話になるのですが
首相が国民を混乱と恐怖にさせていると話していました。
その方も首相が会議の後、ご馳走を食べに行っていると話していた。

ちなみにShoko Egawa(江川紹子)さん

うっそ~ うちに帰るだけなら、もう少し答えてくれてもいいじゃん!

私がインフルエンザに罹ると重篤になると話すと
その方は、今年はコロナのおかげでインフルエンザが少ないらしいと教えてくれました。
また、喫煙されている方が離れていても煙草の匂いがするよねと
煙は目に見えるけど、花粉よりも小さなウイルスをマスクで防ぐのは無理ですねなどと
話している間に鶴瓶の家族に乾杯の番組の中で本木雅弘さんのアドバイスのように
初めは向き合っていたのが、同じ方向を見ながら話していました(^-^;
正直、インフルエンザの方が致死率は高いのだけどな…

齋藤環さんが2月26日に呟いておられたのですが
根拠のある楽観論より、根拠の曖昧な悲観論のほうが注目されやすいのは、平和主義よりも主戦論のほうが人気があることと同じ。
悲観論は刺激的な「物語」の体裁を取り、楽観論は退屈な「日常」の延長なので、人々はどうしても物語のほうに吸引される。
陰謀論はその最たるもの。
パニック時には要注意。


山根 一眞さんが根路銘国昭さんにインタビューした記事があります。
コロナ『感染拡大のおそれはとても小さい』大御所がパニックを叱る!」( 前編 Bluebacks 2月13日)
コロナウイルス感染拡大は『3月までに終結』と大御所が断言する理由」( 後編 Bluebacks 2月14日)
この記事を読んでいると、クルーズ船に閉じ込めていたのは誤りであったことが分ります。
感染者の閉じ込めはウイルス培養と同じだ
日曜美術館「琉球の風を纏(まと)う 喜如嘉の芭蕉布

NNNドキュメント「ヌカㇻ ヤン ヌ ヤン 知ってください アイヌのこと
番組の中で沖縄では糸芭蕉から芭蕉布が、
アイヌの人々はオヒョウニレからアットウシが織られていました。

摩耶さんが
文化とか民族とかに関係なくそれをいいねっていえる社会ってきっと素晴らしいし
器が大きい社会っていうのにあこがれを持っています。


そんな社会になってほしいですよね。
3月2日 
 普通選挙法案が衆議院で可決された。 1925(大正14)年
 加藤高明(たかあき)内閣が提出した普通選挙法案がこの日、衆議院で可決され、貴族院での審議をへて3月29日に成立した。
 この法律によって納税金による差別がなくなり、25歳以上の男子に衆議院議員の選挙権が、30歳以上の男子に被選挙権があたえられることになった。
有権者は330万人から1250万人に増加した。
しかし、人口の半分をしめる女性には選挙権はあたえられなかった。
市川房江(いちかわふさえ)らは「婦人を除外して男子だけにあたえるのは普通選挙ではない」といって婦人参政権獲得期成同盟会をつくったが、婦人の選挙権の実現は太平洋戦争後まで待たなければならなかった。
 なお、この法律とだきあわせで社会運動をきびしく取締る治安維持法(ちあんいじほう)も同時に成立した。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
市川房枝自伝戦前編』より「二つの〝婦選の歌〟」を転記しますφ(..)

八――第一回全日本婦選大会
  二つの〝婦選の歌


 第一回全日本婦選大会は、(昭和5年)4月27日午後明治神宮外苑の日本青年館で、獲得同盟の第6回総会は翌28日夜、内幸町の大阪ビル集会室で、また新しく設置した評議員会は29日午前9時から11時まで日本青年館で開催することとした。
(『市川房枝自伝 戦前編』市川房枝 新宿書房 昭和49年)
 この全日本婦選大会でぜひ「婦選の歌」を発表したいということで、与謝野晶子氏と、深尾須磨子氏に作詞をお願いした。
何の注文もつけず自由につくっていただいたところ、左のような歌をいただいた。
作曲はガントレット恒子氏の令弟である山田耕筰氏の快諾を得た。
初め山田耕筰氏には十分の謝礼ができないのでと躊躇していたが、「実は与謝野鉄幹氏作の『普選の歌』を以前に作曲したので、よろこんで奥さんの晶子氏の『婦選の歌』の作曲をしましょう。お礼はいりませんよ」とおっしゃっていただいので、お願いにうかがった久布白氏が胸をなで下したとのことであった。
もちろん深尾氏の歌も作曲してもらった。
  婦選の歌(一)
   ――婦選大会に寄す――
           与謝野晶子
 同じく人なる我等女性
 今こそ新たに試す力
 いざいざ一つの生くる権利
 政治の基礎にも強く立たん

 我等は堅実、正し清し
 女性の愛をば国に拡(ひろ)
 人たるすべての義務を担(にな)
 賢き世の母、姉とならん

 男子に偏(かたよ)る国の政治
 久しき不正を洗ひ去らん
 庶民の汗なる国の富を
 明るきこの世の幸(さち)に代へん

 けわしき憎みと粗野に勝つは
 我等の勤労と、愛と優美
 女性の力の及ぶ所
 はじめて平和の光あらん
  婦選の歌(二)
        深尾須磨子

 東の果てに島あり
 日の神ぞ統(す)べます
 その末よわれ等女(おみな)
 光は永劫(とわ)


 一すじに道を道とし
 虐(しいた)げと闘(たたか)
 つひに得る正しき権(ちから)
 正しき楯(たて)

  いざ われ等女(おみな)のほこり
 おほらかに歌ひつ
 いざ受けん桂(かつら)の冠(かむり)
 いざもろ共(とも)
(『市川房枝自伝 戦前編』市川房枝 新宿書房 昭和49年)
Eテレこころの時代~「心のケアから品格ある社会へ

精神科医 安克昌(あんかつまさ)さんの言葉から
心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるのではないか。
それは社会の「品格」に関わる問題だと私は思った。


39歳で亡くなった安克昌さんは在日として
多くの壁や悩みに突き当たる中で
精神科医として阪神・淡路大震災後の神戸で
心のケアのパイオニアとして奮闘されました。
安克昌さんのいう「品格」は、国家の品格という意味とは大きく違っています。
今朝の父の一枚です(^^)v
父親が亡くなるまで奄美で暮していた父が日曜美術館を見ながら、
名瀬で暮していた時に芭蕉布を手伝っていたことを話してくれました。
奄美大島で織られた「芭蕉布」、そして「紬」の登場〟(銀座もとじ)