父の歯科通院の付添いが終ったあと、天気もよくて時間が早かったので、
せっかくだから自転車で確定申告の提出に行ってきました。
混雑していたら困るなぁと思っていたけど、提出だけだったのですぐに終わりました(^^)v
「申告期限・納付期限を
令和2年4月16日(木)まで延長
新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、申告所得税、贈与税及び個人事業者の消費税の申告・納付期限を延長することといたしました。」
更新を休もうと思っていたけど、清水眞砂子さんが出演された
こころの時代~宗教・人生~「己の影を抱きしめて」
を多くの人に見てもらいたいなと思いました。
Eテレで3月28日(土)午後1時から再放送があります。
翻訳家・児童文学評論家 清水眞砂子さんの言葉より
「(『ゲド戦記』の中で主人公が)自分の中の悪を排除するのではなくて抱きしめる、それはものすごく魂の救済だと思った」
清水眞砂子さんのお話を聞いているとうんうんとうなずくことばかりでした。
その中で最後の方で話されていたことの一部を転記しますφ(..)
私も昔話のことを決めつけていたなと思いました。
清水眞砂子さんのおかげでなおいっそう好きになりました。
(…略…)
私ね、ある時ね、昔話って大体、ヨーロッパのもそうだし、日本のはそうばっかでもないけど、最後、めでたし、めでたしで終わるでしょう?
だから、それを初めて読む大人たちは
「そんな、めでたし、めでたしで終わるはずがない」って言いますよね。
まあ、それは当然出てくる声だと思うんですけども。
で、昔話を語り継いだ人たって、そんなに豊かな人たち…
まあ、もちろん侯爵令嬢がいたりすることはあるけれども。
でも、普通にいろり端で語っていった人たちの大多数は、そんな豊かな人たちではない。
使用人なんていなかった人たちが、いっぱいだと思うんですよね。
にもかかわらず、私、ある時ね、
「何であんなにハッピーエンディングばかりなんだろう?」と思ったの。
語った人たちが、そんなに幸せだったかっていうと、そうではなかっただろうと。
相当、ある意味では、惨めな生活をいっぱい体験してきた人たちだったんだろうっていうことに、ふっと気がついた時に、
「あっ、これ、祈りだったのかもしれない」って思ったんですね。
別の生活の言葉で言うと「夢だった」と言ってもいいかもしれないけれども。
子どもの文学っていうのは、やっぱり、そこと非常に近いところにあるもので。
別に、子どもを元気づけようとか、そこまでいかないにしても、
変に私は、元気づけようなんていう意図は、嫌なんですけども。
でも、どこか根柢に人間に対する信頼があったり、
あるいは、そうでなくても神を頼ろうと
頼るというのは、なんか弱い者のすることみたいに言われ…受け取られる危険性もあるけれども。
もういよいよもって、行くところなくて、神に頼るしかないという。
でも、それくらい悲惨な、ある意味では、そういう不幸をたっぷり味わった人たちも
昔話の語り手の中には、たくさんいたんだろうっていう気がするとやっぱり、これ「祈りの文学」なのかなと思ったりするんですね。
そういう祈りを手放さなかった人間って、なんか、すてきと思うんですよ。
どこかで、深いところで、何かを信じているという。
そういう力…人間の力っていうのが、
なんか私は、ある時、ふと「わ~」と思って。
なんかうれしくなって。
だから私自身も全く、そういうものに対して
それまでは、「何よ、作り話」とかね、「こんな甘いこと言って」とか、「みんなが幸せになるはずないじゃん」とか、そう思ったけど、そんなことは、とうの昔にその伝えた人たちは知ってる。
体験している。
にもかかわらず、ああいうものを伝えてきたっていう。
その人間の、こう、力というか、私は、だんだん気付いていって。
なんか、ほんとうに、ひれ伏したくなるくらいに、やっぱり、人間って、すごいなと思ったんですね。
(…略…)