のんびりと日向ぼっこをしている(*´▽`*)
日向は暖かいのですが、日陰は風が冷たかったです…
エナガがつがいで忙しそうにしているなぁ…
と、見ていると新居の材料を探していました。
Eテレの日曜美術館「写真家ソール・ライター いつもの毎日でみつけた宝物」
ソール・ライターのことを知りませんでした。
番組をみて写真集が欲しくなり
『永遠のソール・ライター』(小学館)を注文しました(^^ゞ
再放送は、来週日曜日午後8時からあります。
こんな魅力的なスナップ写真はなかなかないと思うな…
美術館「えき」KYOTO で4月11日~5月10日の期間
「ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター」が開催されるようです。
高橋源一郎さんのTwitterに
中原中也賞の選考会のために山口県に行っていま戻ってきました。
受賞したのは、水沢なおさんの『美しいからだよ』、ほんとうに素晴らしい作品でした。
この詩集、歴史的な意味を持つものになるかもしれませんね。
中原中也と山頭火の足跡を訪ねた山口の旅を思い出しまし(*´▽`*)
「湯田温泉へ(2018年2月19日の記事)」
「防府の町歩き(2018年2月20日の記事)」
中原中也記念館で購入したパンフレット
特別企画展「太宰治と中原中也」(2016年)にあったのが
「待つ」ということ
二人には「待つ」ということをテーマにした作品があります。
太宰治の「待つ」は、若い女性の一人語りで書かれた短い小説で、主人公が駅で何か分からないものをただ待ち続けるという作品です。
太宰がこの小説を執筆したのは、太平洋戦争が始まって間もない昭和17(1942)年頃でした。
当時の日本は厳しい言論統制が敷かれ、積極的に戦争協力の姿勢を示すことなにしには作品を発表することができませんでした。
そのような中、太宰は、この「待つ」を書くことで、時代に同調しない姿勢を描こうとしたと考えられます。
また、この「待つ」という姿勢は、昭和15年に発表された「鷗(かもめ)」という作品にも書かれています。
太平洋戦争開戦時には、中原中也はすでに亡くなっており、時代背景は異なっていますが、今の自分にはない「何か」を未来に向けて待ち続ける姿勢は、中也の「言葉なき歌」や「いのちの歌」にも描かれています。
(特別企画展「太宰治と中原中也」中原中也記念館 2016年)
太宰治の「待つ」は2019年10月28日の記事で紹介しました。
「鷗」は、後日紹介できたらと思います。
中原中也の「言葉なき歌」と「いのちの声」を転記しますφ(..)
言葉なき歌
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い
(『中原中也詩集』大岡昇平編 岩波文庫 1981年)
決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のやうに遙かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい
それにしてもあれはとほいい彼方(かなた)で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)やうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない
さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
(『中原中也詩集』大岡昇平編 岩波文庫 1981年)
いのちの声
もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな
――ソロモン
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにすっかり倦果てた。
僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕の押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。
僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。
しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分からない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。
時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもいこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであろうか?
(『中原中也全詩集』角川ソフィア文庫 平成19年)
Ⅱ
否何(いず)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値ひするものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!
人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望してをり、
勝敗は心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!
併(しか)し幸福といふものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふでもあらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ。
だが、それが此の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先づ休心するもよからう。
Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!
さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。
そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。
Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
(原文では「Ⅳ」は「ⅠⅠⅠⅠ」と「Ⅰ」が四つ)
(『中原中也全詩集』角川ソフィア文庫 平成19年)
今朝の父の一枚です(^^)v
シメが地上で朝ごはんを探してました。