枝垂れ梅の花を見ると奥の方で光っているような…
蜜が出ているのかな?
歩いている時に以前、ツバキの蜜のことを教えてあげた方が
ツバキの蜜をなめると甘かったと話してくださった。
新美の巨人たち〝榮久庵憲司「キッコーマン『しょうゆ卓上びん』」×片桐仁〟
冒頭でも片桐さんが、新美の巨人たちの番組に相応しいのかなと呟いていました。
という私もなんで取り上げたのかなと思ったけど
卓上びんの秘密にビックリしました!
榮久庵憲司(えくあんけんじ)さんは、「道具は道が具わっている」と仰っていた。
妹さんや父を原爆で失い、僧侶でもあるのですね。
〝中国 湖南省 ニワトリが「H5N1型」鳥インフルエンザに感染〟(NHK)
中国は大変だな…
こちらも感染が広がると当然、日本にも影響がでる。
このようなウイルスへの対策は、1国だけで感染を防げないので国際的な協力が必要だと思います。
「新型肺炎 友好都市の武漢を支援するイベント 大分」(NHK)
このような支援が一都市だけでなく世界中からあったらないいな!
違うといわれるだろうけど地震や台風の被害の援助と同じだと思うのだけどな…
『医の民俗』より「麻疹」、「疱瘡」「悪疫予防」を転記しますφ(..)
病気を人にうつすことで治る方法がでてくるのだけど…
麻疹(はしか)
麻疹が流行する時は、北へ向かって流れる川の橋の下をくぐる。
子供をたらいに乗せてくぐらせるのである。
麻疹にかかった時は、北向の馬小屋のかいば桶をかぶせるか、またはご飯を炊いてお櫃にあけた直後の釜を3回かぶると熱が下がる。
大麦を一合袋に入れて病人の名を書き、出入口の敷居の下に埋める。
(『医の民俗 日本の民俗学シリーズ7』根岸謙之助 雄山閣出版 昭和63年)
埼玉県秩父郡では、麻疹に罹ると、麻疹が早く治り軽くすむようにと、橋くぐりをする。
逆さ川と言い、北に向かって流れる川の橋の下に子供を連れて行き、子供の頭にサンダワラ(俵の蓋)をかぶせて、川上から川下へ向ってくぐり、サンダワラを橋の側に置いて、その上にお金かオサゴ(洗米)を載せてくる。
この呪術は麻疹が流れるという意味で、本来はサンダワラは川に流すことになっていた。
古代ローマ人は麻疹の治療法は、患者の爪をつみ取り、その切り屑を蠟といっしょにしてこね合わせ、日の出前にそれを隣家の戸につけておく。
こうしておくと、麻疹の熱は患者から隣家の人に移ってゆくのである。
疱瘡(ほうそう)
子供が種痘をすると、ウツギの木で疱瘡棚を作り、赤い紙の幣束(へいそく)を真ん中に立て、座敷の隅かお勝手などに吊るしておいて、オシラキにご飯を盛って上げる。
疱瘡神は食いしんぼうであるという。
一二日間こうして疱瘡神を祀り、三本辻へ送り出す。
福島県福島周辺では、疱瘡を病んでいる人に「これからどこへ行く」と聞き「誰それのところへ行く」と返事があったら、かならずその人のところへ行くと軽くすむという。
疱瘡に罹った患者の手拭いは四辻に捨てる。
箒を立てておくと、その家に疱瘡様が来ると言い、「我が家は鎮西八郎為朝の家なり」と紙に書いて、玄関に貼っておくと疱瘡神は入って来ないとも言われている。
いわき市田人町では、疱瘡神をモガミサマと呼び、軽くすんだ人の名を言って「誰それの疱瘡を貰いたい」と言い、その人の頭巾をかぶせてもらう。
群馬県多野郡吉井町では、藁で長さ70センチの馬を作り、背中に赤飯をつめた小さな俵を二俵乗せ、種痘がつくと道祖神の辻へ送り出す。
同郡鬼石町下久保の愛宕神社の西に大きな石があり、種痘を植えた子供のある家では、藁の馬を作り、その上に赤い色紙の幣束を立て、竹で疱瘡棚を作り、子供に引かせて行って、この大石の上にあげ、お赤飯と菓子を供える。
これをユナガシと呼んでいる。
利根川郡川場村および沼田市周辺では、朱書きの鍾馗(しょうき)の絵を床の間にかけて、疱瘡神を祀る。
(シメ)
鍾馗の絵は端午の節供ののぼり旗に見ることができるが、もとは中国伝来の信仰である。
韓国人は疫病のはやる時に、鍾馗像を描いた紙を家の軒先か門に貼り出す。
鍾馗は唐の玄宗を悩ました病魔を退治したという言い伝えにもとづいて、疫病よけになると信じられたものである。
利根郡および沼田市における鍾馗の絵を疫病よけに祀る習俗は、もしかすると在日朝鮮人および韓国人から学んだものであるかもしれない。
今はどうか知らぬが、戦前から戦中にかけて朝鮮人および韓国人労働者ならびにその家族が多数、利根郡内に在住していたからである。
静岡県では、疱瘡の流行する時は、赤い旗を作り、竹の疱瘡棚に祀る。
疱瘡が下火になると、禰宜に頼んで河原まで送り出す。
これを「神送り」と言い、疱瘡のすんだ人は赤い旗を担ぎ、免れた人は「袋かつぎ」といって袋を担いで河原へ行った。
そして家に祀ってあった疱瘡神を川へ流した。
治ると疱瘡棚に赤飯・大根・甘藷(かんしょ)などを載せて氏神の木の下に下げてくる。
伊豆では子供が種痘をしてついた時、「笹湯」をする。
その時「いのう峠のまめじゃくし、元の社に立ち帰れ」と三遍唱える。
「笹湯」というのは、ネズクソ(鼠の糞)・麦・米・稗・小豆・ほら貝・あわび貝など7種を混合して湯の中に入れ、その湯を桟俵(さんだわら)の上から笹で腕などにかけることである。
この時笹湯に使用したものは、桟俵とともに道祖神(さいのかみ)さんに納める。
また上に赤い印をつけた疱瘡だんごを作り、道祖神さんにも供え、近所にも配る。
そうすると疱瘡が軽くすむという。
病気を動物などに転移して、これを送り出すという呪的治療の方法は、外国にもその例が少なくない。
台湾の原住民は、天然痘の猖獗(しょうけつ)する時には、病魔を仔豚の中に追いこみ、両耳を切り落として、二つあるいは一つ焼く。
こうすれば疫病を追い払うことができると信じた。
インド東南部のクーミ族は、天然痘が発生すると、それをアラカンから来た悪魔と考えた。
村々は籠城状態に置かれ、人びとは出て行くことも入って来ることも許されない。
一匹の猿を地面に叩きつけて殺し、その死骸を村の入口の門に掛ける。
血に河の砂をまぜて家々に振りかけ、猿の尾で各家の入口を清めて、病魔を退散させた。
悪疫予防
疫病除けの呪術は、家の玄関に呪符または呪物を下げるとか、ムラ境にシメ縄を張ったり呪物・呪具の類を設置することが全国的に共通した方法である。
群馬県利根郡昭和村では、家の玄関または庭先などにクマンバチ(雀蜂)の巣を吊るしておく。
多野郡鬼石町では旧の6月1日に大きな草鞋を作り、ムラの入口に下げる。
山形県最上地方では、今でもヤンマエオクリ(病送)の行事を行っている。
毎年旧の1月21日と、田植の終ったサナブリのころに行なうのであるが、腸チフスなどが流行した場合は、臨時に行なうこともある。
定められた日の夕刻、各家で高さ20センチほどの藁人形を作り、これに唐辛・握り飯・一文銭などを背負わせ、これを門口に立てる。
これとは別にムラ中の子供たちが集まり、等身大の藁人形を作り、大きな男根をつけ、各家から集めた握り飯を腹に抱かせ、柳の枝で作った橇のようなものに載せて、ムラの上手から「ヤンマエ逃げろ、ヤンマエ逃げろ」と叫びながら曳きずりまわす。
この時各家では雨戸を開け、同じ言葉を唱えながら、箒で部屋中を掃き出す。
大きな藁人形は、ムラの下手まで曳きずりまわし、最後に川原に捨てたり焼いたりする。
ヤンマエオクリの藁人形は、以前は置賜地方でも作っていた。
この人形をとくに目の神様としているところもある。
念仏講をして、ムラへ病気の入ってくるのを防ぐことも広く行われている。
ムラ中の主婦が各家を訪れ、大きな数珠をまわしながら念仏を百万遍唱える。
多くは春先の雪の消えぎわに行なうが、夏の疫病の流行する時に行なうこともある。
百万遍念仏を行う時は、ムラはずれやムラ内の三叉路に神符を立てるところもある。
法印からもらってきた板札を立てるところもある。
(『医の民俗 日本の民俗学シリーズ7』根岸謙之助 雄山閣出版 昭和63年)
以上、「呪術による治療」の「一 内科治療の方法」の中から幾つかを紹介しましたが、馬鹿気たことだと思いますか?
明日は「節分」ですね。
豆まきをしませんか(^_-)-☆
恵方巻を方角(今年は西南西)を気にしてかぶりつきませんか?
〝此花区の伝法(当時の申村=さるむら)が巻き寿司の丸かぶり「発祥の地」〟(大阪市此花区)だそうです。