2020年2月22日土曜日

雨が降るまでに…

天気予報では前線が近づいているとのこと
朝に雲の動きを見てみると、雨が降るまでに少し時間があるようなので出かけました。
(昔と比べて雲の動きを見ることができるので助かります)
9時半ごろになると雨が降りだしたので帰りを急ぎました(走れませんが…)。
22日の天気は荒れ模様に」(えりの気象日記 2月21日)
2月22日
 少年使節がローマ教皇グレゴリオ13世に会った。 1585(天正13)年

 この日朝早くローマのヤソ会士(かいし)修道院を出発した正使伊東マンショ(18歳)、千々和(ちぢわ)ミゲル(17歳)、副使原マルチノ(16歳)は、腰に刀をさして白馬にまたがり、軍楽隊・衛士(えじ)とともに黒山の人だかりの中を行進した。
 サン・ピエトロ寺院についた少年使節は、うやうやしくローマ教皇グレゴリオ13世に拝礼した。
九州の大友(おおとも)・大村(おおむら)・有馬(ありま)の三大名の使節として、3年以上の月日をかけ、遠い日本からはるばるやってきた少年たちのあいさつをうけて、83歳の老教皇は思わず涙をこぼしたという。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
今回の新型コロナウイルスのことで、クルーズ船を運営する会社の経営は大変なことになるだろうな…

党の機関紙とも言われる産経新聞が批判をかくようになりましたか!
増税影響、新型肺炎に『責任転嫁』 政府認識と乖離する指標」(産経新聞 2月20日)

安倍首相グルメ三昧 コロナ対策会議わずか10分のデタラメ」(日刊ゲンダイ 2020年2月21日)
を読んであまりの出鱈目さに本当かなと検索すると
首相動静(2月14日)」(時事ドットコムニュース)に

午後5時26分から同34分まで、新型コロナウイルス感染症対策本部。
午後6時39分、東京・内幸町の帝国ホテル着。同ホテル内の宴会場「桃の間」で日本経済新聞社の喜多恒雄会長、岡田直敏社長らと会食。
午後9時27分、同ホテル発。


本当でした!
政府は、国民の目を「新型コロナウイルス」に向けて、
」や「定年延長」問題などをうやむやにしようとしているのでしょうね。
本気だというのなら
クルーズ船で業務 厚労省職員 多くがウイルス検査せず職場復帰」(NHK)
は、ありえないでしょうし
乗客を公共交通機関で帰宅させるのはおかしいと思うのですが…
なかなか乗り気にならない作業が「確定申告」なんですが、
「医療費控除」の明細書の保存期間5年間で
給与所得者の扶養控除等申告書等」は7年間なのに
税金を使って飲み食いした領収書や名簿は、すでに処分しているという。
首相がマスコミを「アンダーコントロール」している賜物なんだろうな!
『白隠―禅画の世界』の中に白隠禅師の言葉があります。
中公新書版は絶版のようで、角川ソフィア文庫で出ています。
 『さしも藻草』巻2、41丁以降にいうところをかいつまんで訳してみよう。

  暗君には、苦言をもって諫(いさ)める老臣もなく、国を愁える賢臣もいないから、独断に陥り、おのれの権威を誇って、毎日したい放題の奢(おご)った生活にふけり、民百姓の艱難(かんなん)に少しも思いを致さない。
(『白隠―禅画の世界』芳沢勝弘 中公新書 2005年)
 民の血と膏(あぶら)を絞り取って、美酒嘉肴(かこう)を並べ、あまたの美女をはべらして宴をする毎日である。
 こんな生活をしていてはいくら金があっても足りぬ。
 だからあげくの果てには、酷吏を派遣して、百姓を責め苦しめ、油を絞り取るように年貢を搾取するのだ。
 賦税(ふぜい)は年々、切りあげられ、諸役(しょやく)も月々に二つ三つと増やされるから、民百姓は地獄の苦しみである。
 そして、こんなひどい実情を君主さま自身はまったくご存じないのだ。
 すべては中下の家臣たちが、忠誠心にこと寄せて、ひそかにたくらんだことだ。
 このような者たちは、一見すると忠臣のようだが、その実、とんでもない大不忠者である。
  これに対して、人情をもってまつりごとにあたる仁吏というものは、いつも民百姓の利害を考え、土地の生産力を勘案し、収穫高をいつも心にかけ、凶年には年貢を軽くし、緒役もゆるめ、百姓が飢えに苦しまぬようにし、国家の安泰を己の急務と心得るものである。
 だからこそ、民もそういう情けのある役人を父母のごとく慕うのである、と。
『於仁安佐美(おにあざみ)』巻之上では民の悲惨をさらにくわしく述べている。

  殿さまは、寝るときは多くの婢妾(ひしょう)をしたがえ、食べるときはご馳走(ちそう)をつらね、このうえない贅沢をしているから、いくら金があっても足りないのだ。
 その結果、民を収奪することになる。
 初春から耕し苗を植え、子供のように慈しみ育てた苗が風水害にやられ、田んぼはさながら荒野に成り果て、稲粒一粒も手に入らない。
 妻子の顔を見つめて、「もはやこれまで、例年どおり収穫があってもぎりぎりの生活なのに、これでは命をつなぐこともできぬ、もとろともに野たれ死にするよりほかはない」と泣き苦しんでいるところへ、残忍非道の役人がやって来て、獰猛(どうもう)な顔つきでいう、「御上(おかみ)の仰せなるぞ。いくら田は荒れても、一粒とてもまけることはならぬ。家財を売ってでも、女房を質に入れてでも、残らず上納せよ。さもなくば、手かせ首かせをつけて、木馬や水責めの拷問になるぞ」と。
『壁訴訟(かべそしょう)』では、こんな悲惨な百姓に同情して、つぎのようにいう。

  百姓たちは、まるで干からびた水たまりにいる小魚のようである。
 ついに困窮きわまり、飢え死にするまでに追いつめられる。
 そして「どうせ死ぬ身ならば、いっそこの怨(うら)みをぶつけ、後はどうなろうとままよ」と思いさだめ、覚悟をすえて一揆に及ぶのである。
 思いつめた百姓たちは、目を怒らし歯がみして、城を七重八重に取りまき、鬨(とき)の声を上げて迫るのである。

 そして、白隠はそんな百姓に同情を示し、「一揆の兆本(ちょうぼん 真犯人)は百姓でない。むしろ悪役人やその手先である村役人なのだ」ちまでいって、激烈な政治批判を展開しているのである。
 このような趣旨は、白隠禅師のいくつもの仮名法語でくりかえし述べられていることである。
「とりかえ云々」は小字で、隅っこにさりげなく書かれているにすぎないけれども、現実政治に対する、このうえなく重みのあるメッセージがそこにこめられているのである。
(『白隠―禅画の世界』芳沢勝弘 中公新書 2005年)
 「世界の記憶『白樺日誌』状態調査」(NHK関西 2月21日)

訪ねた時のブログはなくなっていますが、2011年1月に「舞鶴引揚記念館」を訪ねたことがあります。
貴重な記録がたくさんあり、多くの人に見てほしいと思いました。
記事を読んだ友だちから、お父さんが、シベリアからの引揚者だったと聞きました。

追記)
加速した日本のマスク依存 脅威が去っても、し続ける?」(朝日新聞 2月22日)
記事の中で「元気な人、つける必要ない」とあります。
前から書いていますが、ウイルスをマスクで防ぐのは無理だと思います。