2019年10月28日月曜日

けっこう暑かったです…

朝、ひんやりしていたのですが、歩いているとけっこう暑かったです(^^;
昨夜の「NBAプレーヤー 八村塁 ~“世界最高峰”への軌跡~」(NHK)
録画して見ていました。
八村さんは自分は何者なのかを突き付けられることが多かったのだろうな…

自分は何者なのか?

いないんですよ こういう日本人とアフリカのハーフで
身長もあってバスケやってて本当にいないんです
あっちでもユニーク(唯一無二)だというのは
いいこと言えば本当にスペシャルなので
そういうのが僕は好きなので
アメリカに行っても僕がどれだけユニーク(唯一無二)かわかりましたし
そういうところが僕の持ち味とすごいわかったので
「僕 本当にユニークなんだよ スペシャルなんだな」と思いましたね


Q.アメリカ人はあなたを黒人と見ますか?
それとも日本人と見ますか?

わかりません それは人々が決めることです

Q.自分ではどう思いますか?

僕? 「ブラッカニーズ」
黒人で日本人なので「ブラッカニーズ」です
 
Blackanese(Black + Japanese)

再放送は、10月30日(水)午前0時35分~(29日深夜)
楽しみにしている番組があります。

こころの時代~宗教・人生~「砂浜に咲く薔薇のように」
(Eテレ 11月3日午前5時00分~ )

サヘルさんの言葉

私は「何のために生まれてきたんだろう」ってずっと思ってきたけど、
今は本当に これは言える。
私は人と出会うために生まれ、そのために生かされている。


サヘルさんのTwitterには、いつも素敵な呟きが綴られています。
追記)
グレーテルのかまど「サヘル・ローズの黄金のライスプディング」
の再放送が今夜 午後10時00分~ あります。
クロコノマチョウ
日本各地で自然が少なくなっている今、逆に数が増えている昆虫がいる。
昆虫が増えるためには、その昆虫に適した気候や幼虫の食べ物となる植物などが必要であるが、温暖化や都市化が進んだ土地に適した昆虫もいるのである。
ここにあげたクロコノマチョウは、40年以上前から北上を続けている。
(『大自然のふしぎ 増補改訂 昆虫の生態図鑑
  岡島秀治監修 学研教育出版 2010年)
ゴマダラカミキリ
成虫も幼虫もヤナギやクリ、クワ、プラタナス、ミカン類など、さまざまな木を食樹(しょくじゅ)にする。
本来は林にすむが、果樹園や公園だどでもよく見られる。
ゴマダラカミキリも森林性の昆虫だが、都市や都市の近郊の公園でも見ることができるようになった。
公園が整備され植栽が増え、ゴマダラカミキリにとって好適な環境ができたためである。
(『大自然のふしぎ 増補改訂 昆虫の生態図鑑
  岡島秀治監修 学研教育出版 2010年)
NHKで午後3時8分から再放送があったのですが
逆転人生「中国のカリスマ日本語教師 涙の青春スピーチ」
2012年9月に尖閣諸島をめぐる領土問題で中国国内で反日運動の嵐が吹き荒れる中
朗読、アフレコ 日本語コンテストが様々な困難があるなかで開催されました。
朗読部門で優勝された徐初照さんの選んだテキストが太宰治の『待つ』
徐初照さんは選んだ理由を

この女生徒が待っているのは平和じゃないか
いい国際環境にあるこういう世界を待っているという解釈もあって
すごく当時の私自身の心境に似ている部分もあって


と話されていました。
その『待つ』を転記したいと思いますφ(..)
原文の旧字体を新字体に変更しています。
仮名づかいは旧仮名づかいのままですが、
改行などは原文通りではありません。
 待 つ

 省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎へにまゐります。
誰とも、わからぬ人を迎へに。
(『太宰治全集第五巻』筑摩書房 昭和51年)
 市場で買ひ物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄つて駅の冷たいベンチに腰をおろし、買ひ物籠を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見てゐるのです。
上り下りの電車がホームに到着する毎に、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやつて来て、一様に怒つてゐるやうな顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐つてゐるベンチの前を通り駅前の広場に出て、さうして思ひ思ひの方向に散つて行く。
私は、ぼんやり坐つてゐます。
誰か、ひとり、笑つて私に声を掛ける。
おお、こはい。
ああ、困る。
胸が、どきどきする。
考へただけでも、背中に冷水をかけられたやうに、ぞつとして、息(いき)がつまる。
けれども私は、やつぱり誰かを待つてゐるのです。
いつたい私は、毎日ここに坐つて、誰を待つてゐるのでせう。
どんな人を?
いいえ、私の待つてゐるものは、人間でないかも知れない。
私は、人間をきらひです。
いいえ、こはいのです。
人を顔を合せて、お変りありませんか、寒くなりました、などと言ひたくもない挨拶を、いい加減に言つてゐると、なんだか、自分ほどの嘘つきが世界中にゐないやうな苦しい気持になつて、死にたくなります。
さうしてまた、相手の人も、むやみに私を警戒して、当らずさはらずのお世辞やら、もつたいぶつた嘘の感想などを述べて、私はそれを聞いて、相手の人のけちな用心深さが悲しく、いよいよ世の中がいやでいやでたまらなくなります。
世の中の人といふものは、お互ひ、こはばつた挨拶をして、用心して、さうしてお互ひに疲れて、一生を送るものなのでせうか。
私は、人に逢ふのが、いやなのです。
だから私は、よほどの事でもない限り、私のはうからお友達の所へ遊びに行く事などは致しませんでした。
家にゐて、母と二人きりで黙つて縫物をしてゐると、一ばん楽(らく)な気持でした。
けれども、いよいよ大戦争がはじまつて、周囲がひどく緊張してまゐりましてからは、私だけが家で毎日ぼんやりしてゐるのが大変わるい事のやうな気がして来て、何だか不安で、ちつとも落ちつかなくなりました。
身を粉(こ)にして働いて、直接に、お役に立ちたい気持なのです。
私は、私の今までの生活に、自信を失つてしまつたのです。
 家に黙つて坐つて居られない思ひで、けれども、外に出てみたところで、私には行くところが、どこにもありません。
買ひ物をして、その帰りには、駅に立ち寄つて、ぼんやり駅の冷たいベンチに腰かけてゐるのです。
どなたか、ひよいと現れたら! といふ期待と、ああ、現はれたら困る、どうしようといふ恐怖と、でも現はれた時には仕方が無い、その人に私のいのちを差し上げよう、私の運がその時きまつてしまふのだといふやうな、あきらめに似た覚悟と、その他さまざまなけしからぬ空想などが、異様にからみ合つて、胸が一ぱいになり窒息する程くるしくなります。
生きてゐるのか、死んでゐるのか、わからぬやうな、白昼の夢を見てゐるやうな、なんだか頼りない気持になって、眼前の、人の往来の有様も、望遠鏡を逆に覗いたみたいに、小さく遠く思はれて、世界がシンとなつてしまふのです。
ああ、私は一体、何を待つてゐるのでせう。
ひよつとしたら、私は大変みだらな女なのかも知れない。
大戦争がはじまつて、何だか不安で、身を粉(こ)にして働いて、お役に立ちたいといふのは嘘で、本当は、そんな立派さうな口実を設けて、自身の軽はずみな空想を実現しようと、何かしら、よい機会をねらつてゐるのかも知れない。
ここに、かうして坐つて、ぼんやりした顔をしてゐるけれども、胸の中では、不埒な計画がちろちろ燃えてゐるやうな気もする。
 一体、私は、誰を待つているのだらう。
はつきりした形のものは何も無い。
ただ、もやもやしてゐる。
けれども、私は待つてゐる。
大戦争がはじまつてからは、毎日、毎日、お買ひ物の帰りには駅に立ち寄り、この冷たいベンチに腰をかけて、待つてゐる。
誰か、ひとり、笑つて私に声を掛ける。
おお、こはい。
ああ、困る。
私の待つてゐるのは、あなたではない。
それでは一体、私は誰を待つてゐるのだらう。
旦那さま。ちがふ。
恋人。ちがひます。
お友達。いやだ。
お金。まさか。
亡霊。おお、いやだ。
 もつとなごやかな、ぱつと明るい、素晴らしいもの。
なんだか、わからない。
たとへば、春のやうなもの。
いや、ちがふ。
青葉。
五月。
麦畑を流れる清水。
やつぱり、ちがふ。
ああ、けれでも私は待つてゐるのです。
胸を躍らせて待つてゐるのだ。
眼の前を、ぞろぞろ人が通つて行く。
あれでもない、これでもない。
私は買ひ物籠をかかへて、こまかく震へながら一心に一心に待つてゐるのだ。
私を忘れないで下さいませ。
毎日、毎日、駅へお迎へに行つては、むなしく家へ帰へつて来る二十(はたち)の娘を笑はずに、どうか覚えて置いて下さいませ。
その小さい駅の名は、わざとお教へ申しません。
お教へせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。
(『太宰治全集第五巻』筑摩書房 昭和51年)
解題「待つ」
 京都帝国大新聞の依頼により昭和17年3月掲載の予定で執筆されたが、掲載はされなかった。
結局、新聞・雑誌等には未発表のまま、博文館刊『女性』に収録されたが、その末尾に「(昭和十七年一月)」とあり、これが執筆年月と推定される。
以後の再録本はない。
(『太宰治全集第五巻』筑摩書房 昭和51年)
太宰治が好きで全集を学生の時にアルバイト代をはたいて購入していながら大事にしまっていた…
そのかわり新潮文庫から出ていた本を買って読んでいました。
単行本は重いので寝て読むことができない(^^ゞ
徐初照さんのおかげで『待つ』と出会うことができました。
解題にあるのだけど戦意高揚が求められた時代、
この『待つ』が掲載されなかったのは分かるな…
『待つ』は角川文庫『女生徒』新潮文庫の『新ハムレット』などに収録されています。
毎月最終日曜日の楽しみがEテレ
やまと尼寺 精進日記「神無月 料理自慢は母ゆずり」

蓮の実で念珠を作ることができるのですね!
完全に種を乾燥させないと虫がわくそうなので完成は次回かな?
見逃した方は11月2日(土) 午前5時30分~