今朝は、久しぶりに穏やかな天気でした(^^)v
「水曜朝まで冷え込み 日中は晴れ間広がる」(えりの気象日記 2月18日)
2月19日
大塩平八郎(おおしおへいはちろう)の乱がおこった。 1837(天保8)年
朝9時ごろ、大坂町奉行所の一与力(よりき)が起こしたこの乱は、大きな戦闘にもならず夕刻には鎮圧された。
しかし多数の富商が火災・焙烙玉(ほうろくだま)で襲われ、このために発生した大火によって、大坂の町の2割が焼失した。
乱の直前に、大坂周辺の村々に絹袋に入った長さ1.5メートルに及ぶ木版の檄文(げきぶん)が広くまかれ、なぜ兵を挙げるにいたったかが2千字の長文で述べられている。
そこでは幕府の役人の悪政や富商の莫大(ばくだい)なもうけが攻撃されているが、徳川の支配そのものを否定してはいない。
天保大飢饉(だいききん)に苦しむ民衆の救済を説くこの檄文は、幕府のとりしまりの目をかいくぐって日本全国に流布(るふ)され、「大塩の残党である」とする者により、幕府や富商への批判や一揆(いっき)が各地でみられた。
乱そのものは小規模であったが、江戸幕府をその土台からゆさぶった大事件であった。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
帰宅すると、メールの着信音、見てみると「Jアラート」のテスト。
Jアラートは、どなたかがゴルフなどをしていると
ミサイルが発射されても送信されないんですよね!
核弾頭ミサイルが発射されたからと言って避難しても小さな島国
生き残っても生き続けることができるとは思えないけどな…
それよりも外交でそのような事態にならないように努力する方が現実的だと思うけど。
圧力ばかりかけているけど、
拉致被害者がいつまでも帰ってくることができないのは何故なんでしょうね。
都合のいい事ばかり言っていて、
「森友学園 籠池前理事長に実刑判決 大阪地裁」(NHK)
検事長の延長をしたがるのも無理はないなと思ってしまう。
予算委員会も「新型コロナウイルス」の問題で、逃げ切ろうとしているのでしょうね。
父の安倍晋太郎さんと性格がまるで違う。
安倍晋太郎さんがもう少し長生きされたらと思ってしまう。
大塩平八郎なら今の日本でも、蜂起していると思います。
しかし、「竹取翁歌」は、羽衣説話型の説話、ことに親子説話的になったばあいの説話と、老翁と数人の処女(おとめ)という形式の方向のみならず、説話内容としても類似し、もしくは関係するところがあるように考えるのである。
また、そう解することにより、『竹取物語』に見られる説話と関係がつけられるかどうかと考える。
(『万葉秀歌(五)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
『万葉集』の「竹取翁歌」においては竹取翁ということになっているが、なにゆえに竹取翁と言われたかは不明である。
『万葉集全釈』によると、大和高市郡の南にある高取山(たかとりやま)からきて、「たけとり」というのであるとし、「たかとり」とも訓まれるとする。
また「たけ」は「竹」ではなく、「菌芝」の意であろうとする説もある。
山には菌(たけ)はよく生じるのでそのように解すればより自然であるが、竹も山野に生じる。
人麿の、「小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやけども」と詠じているように自生していたから、竹であってもさしつかえない。
「たか」と訓むばあいでは、「鷹」と解する説もある。
要するに山野にものを取って生活する山翁をさしたのである。
『竹取物語』の翁は竹を取るので竹取翁と名づけられたのであるが、ひろく山翁が竹取翁という詞で表わされたとすることもできる。
従って『万葉集』の竹取翁と『竹取物語』の竹取翁というのは偶然の一致であるとも言えるが、やはり山翁の一般名称であったとも言える。
そうして羽衣説話型においても、比治真奈井説話になると、『竹取物語』のそれにしだいに接近してくるのであるが、『万葉集』の「竹取翁歌」もそれらの間に置いてみるとき、つながりを有してくるのである。
「竹取翁歌」のばあいも、処女は、はじめは老翁を軽んずるが、翁の歌によって父に対するような心持を抱くにいたると思う。
ここで『竹取物語』の説話をみると、この説話は竹の中から生まれたかぐや姫が5人の貴公子から求婚されたのを難題を出してこれを退け、帝の求婚をも辞して天に昇るという点で、後の『宇津保物語』などに見られる求婚物語の先駆ともされている。
しかしこの物語は在来の求婚説話よりも神秘説話の系統を引いている説話だと思う。
求婚説話は、ある難題を解決できれば結婚することができるはずである。
しかし『竹取物語』のばあいは人間としては不可能な難題を出しているのであるから、その結婚の不可能であることは当初から明らかなことである。
この点から見て求婚説話とは言われない。
それは神と人間との結婚がすでに一時的に不可能となった段階において生じた神婚説話というべきである。
すなわち、浦島説話にしても羽衣説話にしても、いったんは神人の結婚が行われ、後に分離するのであるが、そういう結婚さえも行われなくなったところに、比治真奈井説話がある。
これは男性の方が老翁になり、従って結婚ということはとりあげられず、歌と説話になり、また天女が娘になって家が富み栄えるという点で、長者説話となっている。
この親子説話、長者説話という性質を一方に有しながら、別の方面から結婚神話と関連せしめているのが『竹取物語』の説話である。
すなわち竹取翁が山に竹を取りに行って、竹の一節から得たのがかぐや姫であり、この姫がはじめは三寸ばかりの人であったが、やがて成人して普通の人間となり輝くばかりの美しい人となるのである。
それを娘とすることによって親子説話となる。
さらに、「竹取の翁、竹を取るに、此子を見つけて後に竹取るに、節をへだててよごと黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やうやう豊かになりゆく」というように、翁が富んでゆく点で長者説話となる。
そしてその後にかぐや姫に対する5人の貴公子の求婚ということになるのであるが、しかしそれは絶対に可能性のない求婚であって、本来の意味において求婚説話とは言われない。
むしろ神婚説話の変形と見るべきである。
そうして竹取の伝承には純粋の神婚説話となっているものも存するのである。
竹取説話としては、『今昔物語』本朝部巻31に「竹取翁見付女児養語」というのがあり、大体『竹取物語』の説話と同じであるが、5人の貴公子は名もなく、数もはっきり5人になっていない。
また姫の要求した難題も、空に鳴る雷、優曇華の華、打たぬに鳴る鼓というほどのものであって、『竹取物語』にあるような、天竺にある仏の御石の鉢や、蓬莱山にある玉の枝や、もろこしにある火鼠の裘(かわごろも)や、龍の首にある五色の玉や、燕の持っている子安貝と比べてはるかに素樸である。
『竹取物語』では子安貝の外は外国的な思想によるもので、それだけ説話としても『今昔物語』の方が民間説話的である。
『今昔物語』の方が民間に伝承された説話の原型であり、それを『竹取物語』の作者が創作したのかもしれない。
ともあれ、『竹取物語』も『今昔物語』のそれも説話の根幹においては同様であるが、『海道記』や『三国伝記』に載っているものとは説話の根幹に大きな相違がある。
その一つに鶯姫とかぐや姫とが結びついていることである。
ことに『三国伝記』になると、竹林をうぐいすが栖を作り卵を生んでおいたのが生い立ったのが姫であり、姫が美しくかがやくばかりであるためにかぐや姫と称したのであるが、帝が姫を迎えて后とされている。
そうして7年を過ぎて后は帝に向って、我れは天女であることを告げて天に昇るということになっている。
これによると全く羽衣説話の原型と一致する。
このような形式が竹取物語型のそれとどうのような関係にあるかは興味深い。
もし『竹取物語』や『今昔物語』に見える説話よりも前の伝承であるならばいっそう興味深いのであり、『竹取物語』が神婚説話からしだいに変化してゆく過程をはっきり説明することができるのである。
そうした老翁と8人の天女という点から、比治真奈井の説話を考え、さらに老翁と9人の娘子という関係を持つ『万葉集』の竹取翁の歌を見るとき、竹取翁という名が一致しておるのみならず、説話としても関連のあるのを見出すのである。
(「語釈」を省略)
鑑 賞
きわめて長編であるうえに、詞句が難解である。
ことに綿々とつづく泳法や服装その他に対する精密な形容がいっそう難解な歌としている。
構想としては9人の娘子(おとめ)にきらわれて、老翁が若かりし時からを回想するのであって、緑子のとき、童子のときを経て、娘子と同年輩のとき、多くの女性に愛せられたことを歌うのである。
しかも今は老いて娘子などに嫌われている。
しかしこれは、自分をあざわらう娘子(おとめ)らにもやがてやってくる運命であるとするのである。
ただ全体の構成のうえで問題になるのは、二度もある「われにたばしし」(我丹所来為)とある句である。
これを私は「たばしし」と訓んでつぎの「をちかたの二綾下沓」につづけ、一方は「水縹の絹の帯」につづけたのである。
これは『新解万葉集』にも『総釈』にも用いている説であるが、鴻巣氏の『万葉集全釈』や武田博士の『全註釈』では、「我れにぞ来りし」もしくは「我れにぞ来し」として、ここで切って段落としている。
この二つの解釈の相違はこの歌全体の構成のうえで大きな相違になる。
私も鴻巣氏などの説の方がわかりよい点もあると思うが、なおつづくとする方が、この歌の構成として自然であると思う。
ただ「我丹所来為」を文字に即して訓ずると「我れにぞ来し」もしくは「我れにぞ来りし」とする方が自然であるように思う。
「たばしし」は他の訓がたてられるかもしれないが、しかしここで切ってしまうことは何としても不自然のように思われる。
それで一応「われにたばしし」という後につづける訓法に従ったのである。
また「如是所為故為」を「かくぞしこし」と訓ずる方がよいと思うが、「かくぞしこなる」とする訓も興味深い解である。
文字に即するとそのようにも訓めるし、意味からもそうも見られる。
しかしなお私は前者の方に従いたく思う。
このところの中のはじめは衍(えん)とすることも考えられるが、繰返して見られるのは、終わりに「持ち還り来し」を二度繰返した点からもいえるのではなかろうか。
なおこの歌は難解ではあるが、服装その他の歌い方などきわめて巧みで、語彙も豊富につかいこなしており、相当すぐれた力量の歌人の作であることは明らかである。
ことにその思想性から見ても注目すべき作品たるを失わない。
浦島の歌とは異なった意味で重要な作品である。
そうして反歌二首とあわせていっそうこの歌はまとまったものとなるのであり、さらに娘子など9人の和歌とあわせて考えるとすぐれた叙事詩的な性格も見られるのである。
(『万葉秀歌(五)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)
楽しみに見ているEテレの「グレーテルのかまど」(午後10時、再放送は総合とEテレ)
今回のテーマは「源氏物語のつばきもち」でした。
「つばきもち」のことを知らなかったので興味深く見ました。
番組の中で
京都先端科学大学教授・山本淳子さんが、
14世紀の「源氏物語」の注釈書である「河海抄(かかいしょう)」によりますと
餅の粉と甘葛(あまづら 当時の甘味料)を団子にし
つばきの葉で挟んだもの
激しい運動をして、そして、そのあとに
軽く楽しまないかというそういう場面で出てくるんですね。
源氏物語の中で宴などの場面は多いが
食品名が具体的に書かれることはあまりない
でもこの場面は
珍しい場面のひとつ
その筆頭に つばきもちが挙がっている
だからこそ意味がある
この場面は光源氏が41歳
初老の部類に入っている
若者たちは激しい運動をして
我先に食べ物にかぶりついている
それに対してこの家の主である光源氏は
年を取っていて運動するわけでもない
光源氏と若者たちの年齢差
エネルギーの差が際立つ、交差する場面
光源氏が、自分が年を取っているから
魅力をなくしてしまった
女三宮と柏木は
自分が失った若さを持っていて恋に落ちた
激しい羨望、悔しさ
若くて美しく誰とも恋に落ちることができた
光源氏も必ず老いる
そういうふうなことが紫式部が
常に考えていたことだと思うんですね
お菓子は若い人向きの
おいしい甘いもの
源氏物語の中では
二重にも三重にも皮肉に使われている
などと解説されていました。
つばきもちが登場する場面は、これまでにの紹介したことのある「若菜上」に出てきます。
後日、紹介したいと思いますφ(..)
今朝の父の一枚です(^^)v
河津桜にメジロが来ていました。
しばらくしてから私も訪ねた時にもメジロたちがいました。
そのメジロを撮影している方が数人おられました。
長い時間撮影されているようでした。
ベストショットを狙っておられる方と違って、私の場合は、気合いが足りない(^^ゞ