2022年2月3日木曜日

節分

曇り空でしたが風があまり吹いていなかったので歩きやすかったです。
土日は気温が低くなるみたいだけど、風があまり吹かなかったら助かるのだけど…
昨日、父の三回目のワクチン接種でした。
今朝は、36.3度でしたが用心して休養日にすることにしました。

安川康介さんのTwitterに

「オミクロンは風邪なのか」と聞かれることがありますが、
新型コロナの入院患者を多く診ている医者で
「新型コロナはただの風邪」と言っている人は僕の知る限り誰一人いません。
この感染症のリスクを軽視する発言をするのは、入院患者を診ない医者や学者や芸能人達です。

今日は節分。
Eテレ0655のオープニング

今日は節分、豆をまきましょう!
豆まきは、家から悪霊や災難を追い払うと言われています。
ちなみに、恵方巻を食べるかたも多いと思いますが、今年の恵方、つまり食べるときに向く方角は、北北西からちょっとだけ北よりです。


方角で気になったニュースが

方位磁石の指す北は動き続けています」(国土地理院 2月2日)
壬生狂言 京都 壬生寺 無言の説法」(NHK みちしる 2014年)
炮烙割(ほうらくわり)」では、節分に壬生寺に参拝した人々が奉納した素焼きの炮烙を
終盤に舞台の上から落とされ一年の厄を祓います。
節分会」(壬生寺)

(壬生寺を訪ねた2014年3月11日の記事)

こんな行事もあるんですね(*^^*)
節分前に呉市の神社で厄除け 「お多福通り抜け」〟(広島NHK 2月2日)
くらしの季語
 節分


 四季という季節を分けているのが「節分」です。
どの季節にもあるのですが、特に際立っているのが立春の前日です。
この日、除災招福をねがって「豆撒(ま)き」をしますが、そもそもは古代中国に伝わる悪疫を払う「追儺(ついな)」の風習が形をかえて定着したものです。
「節分」は歳時記の冬の時候季語、「豆撒き」は生活(人事)季語となっております。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)
 節分の夜、部屋ごとに、また戸を開け放って「鬼は外 福は内」という唱え言葉で炒(い)り豆を撒きます。
かつては道路の四辻(よつつじ)にも撒いたものです。
こうして東西南北あらゆる方位からの鬼を退散させるのですが、社寺などでは鬼に扮(ふん)した人がマイッタという態(てい)で逃げてゆく場をつくったり、幼稚園などでは鬼のお面の園長先生がイタイヨォと背を丸くしたりして子どもを喜ばせたりする行事になっています。
鬼を打った豆を拾い、年の数だけ食べるという風習もあります。
 節分のこの鬼を「春を呼ぶ鬼」として親しまれておりますが、地域によっては「福は内 鬼は内」と鬼も招き入れるところもあるそうです。
さあ、いよいよ春です。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)
二月
■節分と立春


 2月3日はご存じの「節分」です。
お寺では節分会(せつぶんえ)というのがありますが、神社でやると節分会(せつぶんかい)になる。
神社では「かい」と読みます。
同じ字でも、読み方が違うんだね。
(『江戸・東京 下町の歳時記』荒井修 集英社新書 2010年)
 よく、豆をまいたら年の数だけ食べるっていうけど、浅草では豆の拾って食べることはほとんどありませんでした。
年の数だけ拾ったやつを、紙にくるんでおひねりにする。
そして自分の家から最初の角のところまで行って、後ろ向きになって、ぽん、とその豆を捨ててくる。
拾って食べるという了見が嫌なんだろうね。
うちなんか、そうやっていましたよ。
だから角々におひねりが集まって、今なら「いい迷惑だ」って言われちゃいますね。
 節分といわば鬼だけど、よく葉っぱのついたヒイラギの枝をイワシの頭のところに刺して、屋根の上にのせたり軒下に挿しておくでしょう。
あれはなんなんだと思ったもんですが、あれは鬼が来たときに、イワシのにおいに誘われてそばへ近づいてくると、ヒイラギでもって目を傷めるらしい。
悪い鬼を、門のところで撃退するんだね。
 それから、石工の使う玄翁(げんのう)って知ってる?
金槌のでかいやつ。
あれの柄はヒイラギの木なんです。
堅いわりにはしなやかなので、石工さんたちはヒイラギの木を買っては、自分のうちの庭に植えておくんです。
庭の表鬼門にヒイラギ。
表鬼門というのは北東ね。
で、裏鬼門、南西の方角に南天を植える。
南天というのは「災難を転ずる」ということです。
 浅草にも鬼婆伝説があります。
浅草寺ができた西暦630年ごろ、今の花川戸のあたりは浅茅原(あさじがはら)と呼ばれていたんだけど、そこの一軒家に老婆と若い娘が住んでいて、旅人を泊めては老婆が殺して身ぐるみ剝いでいた。
で、殺した旅人の数が九百九十九人になったとき、観音様が旅人に変身してそこに泊る。
そうとは知らない老婆は、その旅人を殺す。
ところが、死んでいたのは我が娘だったんだね。
 老婆が嘆き悲しんだ挙句に仏眼(ぶつげん)を開いて、大蛇となって大きな池の中に消えていった。
その後、この池は姥(うば)が池と名づけられたんです。
今では埋め立てられて人造池になっちゃったけど、花川戸公園のあたりだね。
この話は、浅草寺にある歌川国芳の「一つ家」という絵馬に描かれています。
出刃包丁を持った老婆の両側に娘と稚児(ちご)がいる絵。
 そんなふうに、鬼でも蛇でも心を改めるといって、浅草寺の豆まきでは、「鬼は外」とは言いません。
「福は内」だけです。
その代わり、永遠を意味する「千秋万歳(せんしゅうばんざい)」と言ってから豆をまきます。
 そして、二月四日になると「立春」になる。
八十八夜にしろ、二百十日にしろ、なんでも立春から数えます。
(『江戸・東京 下町の歳時記』荒井修 集英社新書 2010年)

荒井文扇堂4代目店主 荒井修さん死去」(浅草smartニュース 2016年2月24日)

第20回 東京-浅草・向島・両国へ 国芳を探す旅」(日美ブログ 2016年9月11日)