穏やかな朝で歩いていると体がポカポカしました(^^)v
昨日は「後部硝子体剥離」の経過観察のために眼底検査。
診察後、外に出ると散瞳剤を点眼したために眩しかった(日曜日は、雨が降っていたのに…) 「療養中」のカバーが取れていました。
読んでいると雑木林などについてなるほどなぁと思うことが書かれています。
他の普及啓発看板にも「自然体験観察園」それぞれの場所の内容が書かれていました。
昨日2月14日は、バレンタインでしたが、日本と世界の国との違いを発信している方がいます。
「日本独特のバレンタイン文化 外国人女性が動画制作し公開」(鹿児島NHK 2月14日)
ナビーラ・バーサさんの動画
「Valentines Day in Japan vs South Africa」(YouTube)
時々、聞き取れる単語がでてくる(*´▽`*)そして2月15日は「涅槃会(ねはんえ)」ですが、
百貨店などで、恵方巻やチョコレートのような品物が並ぶことはない(^_-)
お釈迦様は80歳代で亡くなっています。
ムハンマドやキリストよりも長く生きたので、病や老いの姿が伝わっています。
『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』よりブッダが亡くなられた時の様子を転記したいと思います。
繰り返しが多いのは、文字でなく口伝されていたからだと思います。
第六章 〔24,死を悼む〕
八 ここで尊師は初禅(第一段階の瞑想)に入られた。
初禅から起(た)って、第二禅に入られた。
第二禅から起って、第三禅に入られた。
第三禅から起って、第四禅に入られた。
第四禅から起って、空無辺処定(じょう)に入られた。
空無辺処定から起って、識無辺処定に入られた。
識無辺処定から起って、無所有処定に入られた。
無所有処定から起って、非想非非想定に入られた。
非想非非想定から起って、滅想受定に入られた。
そのとき若き人アーナンダは尊者アヌルッダにこう言った。
「尊い方、アヌルッダよ。尊師はニルヴァーナに入られました。」
「友、アーナンダよ。尊師はニルヴァーナに入られたのではありません。滅想受定に入られたのです。」
(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫 1980年)九 そこで尊師は滅想受定から起って、非想非非想定に入られた。
非想非非想定から起って、無所有処定に入られた。
無所有処定から起って、識無辺処定に入られた。
識無辺処定から起って、空無辺処定に入られた。
空無辺処定から起って、第四禅に入られた。
第四禅から起って、第三禅に入られた。
第三禅から起って、第二禅に入られた。
第二禅から起って、初禅に入られた。
初禅から起って、第二禅に入られた。
第二禅から起って、第三禅に入られた。
第三禅から起って、第四禅に入られた。
第四禅から起って、尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた。一〇 尊師がお亡くなりなったとき、入滅とともに大地震が起った。
人々は恐怖して、身の毛が逆立ち、また天の鼓(=雷鳴)が鳴った。
尊師が亡くなられたときに、亡くなられるとともに、サハー世界の主である梵天が次の詩を詠じた。――
「この世における一切の生あるものどもは、ついには身体を捨てるであろう。
あたかも世間において比すべき人なき、かくのごとき師(智慧の)力を具えた修業実践者、正しい覚りを開かれた人が亡くなられたように。」
尊師が亡くなられたときに、亡くなられるとともに、神々の主であるサッカ(=帝釈天)が次の詩を詠じた。――
「つくられたものは実は無常であり、生じては滅びるきまりのものである。
生じては滅びる。これら(つくられたもの)のやすらいが安楽である。」
尊師が亡くなられたときに、亡くなられるとともに、アヌルッダ尊者はこの詩を詠じた。
「心の安住せるかくのごとき人にすでに呼吸がなかった。
欲を離れた聖者はやすらいに達して亡くなられたのである。
ひるまぬ 心をもって苦しみに耐え忍ばれた。
あたかも燈火の消え失せるように、心が解脱したのである。」
尊師が亡くなられたときに、亡くなられるとともに、若き人アーナンダはこの詩をとなえた。――
「そのときこの怖ろしいことがあった。そのとき髪の毛がよだつことがあった。
――
あらゆる点ですぐれた正しく覚りを開いた人がお亡くなりなったとき。」
(釈尊が亡くなったときに)まだ愛執を離れていない若干の修行僧は、両腕をつき出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、のたうち廻り、ころがった、――「尊師はあまりにも早くお亡くなりなりました。
善き幸いな方はあまりにも早くお亡くなりになりました。
世の中の眼(まなこ)はあまりにもお隠れになりました」と言って。
しかし愛執を離れた修行僧らは正しく念い、よく気をつけて耐えていた、――「およそつくられたものは無常である。どうして(滅びないことが)あり得ようか?」と言って。
一一 そのとき尊者アヌルッダは修行僧らに告げた、――「止(や)めなさい。友よ。悲しむな。嘆くな。尊師はかつてあらかじめ、お説きになったではないですか。――<すべての愛(いと)しき好む者どもとも、生別し、死別し、死後には境界を異にする>と。
友らよ。どうしてこのことがあり得ようか?何でも、生じ、生成し、つくられ、壊滅してしまう性のものが、壊滅しないでいるように、というような、こういう道理はあり得ない。友らよ。神霊たちは呟いています」と。
「尊い方よ。どのような神霊たちが呟いていると、尊者アヌルッダは注意されるのですか?」
「友、アーナンダよ。虚空のうちに在って地のことを想うている神々がいる。かれらは髪を乱して泣き、両腕をつき出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、のたうち廻り、ころがった、――『尊師はあまりにも早くお亡くなりになりました。幸いな方はあまりにも早くお亡くなりなりました。世の中の眼(まなこ)はあまりにも早くお隠れになりました』と言って。
また情欲を離れた神霊たちは、正しく念い、よく堪え忍んでいます、――<つくられたものは無常である。どうして(滅しないという)そのことが有り得ようか?>と言って。」一二 そこで尊者アヌルッダと若き人アーナンダとは、その夜じゅう、<法に関する講話>を説いて過ごした。
さて尊者アヌルッダは若き人アーナンダに告げた。――
「友、アーナンダよ。さあ、クシナーラーに入って、クシナーラーの住民であるマッラ族の人たちに告げなさい、<ヴァーセッタたちよ。尊師はお亡くなりになりました。どうかいつでも、お出でください>と。」
「かしこまりました」と、若き人アーナンダは尊者アヌルッダに答えて、早朝に内衣を着け、衣と鉢とをたずさえて、一人の従者を連れて、クシナーラーに入って行った。 そのときクシナーラーの住民であるマッラ族の人々は、或る用件があって、公会堂に集まっていた。
そこで若き人アーナンダは、クシナーラーの住民であるマッラ族の公会堂におもむいた。
そこにおもむいて、クシナーラーの住民であるマッラ族の人々に告げた、「ヴァーセッタたちよ。尊師はお亡くなりになりました。ではどうぞご随意に、お出かけください」と。 若き人アーナンダからこのことを聞いて、マッラ族の者ども、マッラの子たち、マッラの嫁たち、マッラの妻たちは、苦悶し、憂え、心の苦しみに圧せられていた。
或る者どもは、髪を乱して泣き、両腕をつき出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、のたうち廻り、ころがった、――「尊師はあまりにも早くお亡くなりになりました。幸いな方はあまりにも早くお亡くなりになりました。世の中の眼(まなこ)はあまりにも早くお亡くなりになりました」と言って。
(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫 1980年)今朝の父の一枚です(^^)v
ジョウビタキ♂が朝ご飯を見つけていました。
みちのく秋の鳥 皆川盤水(みながわばんすい 俳人)
…前略…
ヒタキとノビタキ
ヒタキは比較的多く俳句に詠まれている鳥だ。
都会の庭にも、気安くやって来る。
良寛の手鞠(てまり)の如く鶲(ひたき)来し 川端茅舎(ぼうしゃ)
の句があるが、鳴き声は、ヒー、トットト、また、カッカカとも聞える。
鳴きながら、頭を下げ、尾を上下に動かして、近距離を低く飛び廻る、風貌(ふうぼう)も、姿も良い鳥だ。
この句の、「手鞠の如く」は写生。
高浜虚子に、この作者は、「花鳥諷詠真骨頂漢」と呼ばれた俳人だけに、「良寛の手鞠の如く」という発想はまことに清新洒脱(しゃだつ)である。
…後略…
(『野鳥の歳時記4 秋の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)