2022年2月9日水曜日

雲がない…

雲がほとんど見られないほどの青空がひろがっていました。
一方
東京23区など関東甲信あすから大雪のおそれ きょう中に備えを」(NHK)
大阪知事が医療非常事態宣言 “病床の確保に努める”」(関西NHK 2月8日)

身内からもこんな発言がでているようです

大阪府が医療非常事態宣言 保健所職員が告発…」(AERAdot. 2月8日)
日本維新の会所属の国会議員がこう懸念する。
「今回の膨大な入力遅れは恥ずかしい限り。
コロナ対応に関連し、吉村知事と松井市長はテレビ露出を増やし、支持率をあげてきた。
衆院選でも自民党の候補は『吉村知事はよくやっているので悪口が言いにくい』と苦笑していた。
しかし、そんな神話もそろそろ限界かもしれません」
 高梨沙羅さんのインスタグラムを見ていると胸が痛くなります。

私が言える立場ではない事は重々承知の上で言わせていただけるなら、
どうかスキージャンプとゆう素晴らしい競技が混乱ではなく
選手やチーム同士が純粋に喜び合える場であってほしいと心から願います。
 中国のことをいろいろ言えるほどの知識はないのですが
私にとって中国の指導者としてすぐ頭に浮かぶのは周恩来鄧小平です。
学生時代に中国では文化大革命がの嵐が吹き荒れていた。
大学の講義で教官が周恩来はNo.2の地位にはならなかったと話していました。
中国のように権力闘争が激しいとNo.2になることは、次を狙っていることになる。
鄧小平は不死鳥といわれるように失脚した後に再び復活していた。
天安門事件では学生や市民を武力弾圧)

昨日、新刊『世界 2020年3月号』の広告が出ていましたが

2月号に「◇世界の潮 『歴史決議』の狙い――党イデオローグと党人史家たちの共鳴 大澤武司」があります。
その一部を転記します( ..)φ
 「歴史決議」の狙い――党イデオローグと党人史家たちの共鳴 大澤武司(福岡大学教授)

…前略…

■習近平の「歴史決議」
……
 もっとも留意すべきは、歴史教訓のあいまい化である。
冒頭の「序言」では、過去二つの「歴史決議」の「基本的な論述と結論は現在もなお依然として適用される」と確認しつつも、鄧(小平)が「歴史決議」に刻み込んだ「個人崇拝の禁止」「『集団指導』体制の樹立」という文言は削除された。
 さらに「全党・全軍・全人民は習近平同志を核心とする党中央の下で団結しなければならない」とする力強い宣言は、三期目の政権継続のみならず、党主席ポストの復活、さらには終身統治までも視野に入れた習の企図を想像させるのに十分といえる。
……
(『世界 2022年2月号』岩波書店)
■鄧小平の歴史決議と歴史的教訓

 第二の決議、すなわち鄧の「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」は、1981年6月27日、第11期六中全会で採択された。
 1960年代後半に毛によって発動された文革(プロレタリア文化大革命)後、1978年春に始まる真理基準論争は、過去の「総括」をめぐる党内議論を喚起するために鄧が上げた狼煙(のろし)であった。
毛の後継者・華国鋒ら「すべて派」が掲げる「毛沢東思想無謬論」への挑戦は、文革を頂点とする、毛時代の極端な「左」傾的「誤り」の総括を必然とした。
 1978年10月、「歴史決議」起草小組が主体となり、その起草作業は始まった。
「実事求是」の立場に基づき、議論は論理的にも緻密を極めた。
そして、建国後の社会主義革命・建設のあゆみを振り返り、毛個人の評価を「功績第一・誤り第二」とさだめ、毛思想を中共の「集団的英知の結晶」と再確認し、これを引き続き堅持・発展させることを宣言した。
 また、毛個人と毛思想を分離したうえで、毛思想に生じてしまった極端な「左」傾が惹起した文革を「10年の内乱」と全面否定した。
こうしたロジックに基づき、改革開放という新たな時代においても、毛思想の旗幟(きし)を高く掲げる中共が統治を継続することを正当化したのである。
 この結果、党内民主が回復され、党規約には「個人崇拝禁止」「『集団指導』体制」「終身制の禁止」の歴史的教訓が刻み込まれた。
さらに毛時代に打倒されたものたちの「平友(名誉回復)」も進められた。
 なお、鄧の「歴史決議」も、のちに『中国共産党的七十年』(中共党史出版社、1991年)という公認の『党史』に昇華されている。
毛同様、鄧も自らの「歴史決議」の枠組みを基礎とした新たな「歴史」を提示することで人民への説明責任を果たし、自身の権威をさらに高めたのである。
■二つの歴史決議と胡喬木

 毛と鄧の二つの「歴史決議」だが、いずれも起草に深く関与したのが、党イデオローグであり党人史家でもあった胡喬木(1912-92)であった。
 胡は毛の政治秘書のひとりで、1941年以降25年間にわたって毛に近侍し、毛の演説原稿や講話、毛発表の重要決議などの起草を数多く担った。
文革時は一時、軟禁状態に置かれたが、のちに復活し、中央党史研究室の初代主任として鄧のもとでも党史工作を主導した。
…後略…
(『世界 2022年2月号』岩波書店)