2022年2月27日日曜日

風が違う…

今朝は、風が強かったのですが
今までのようなふるえる寒さでなかった。
なんか春がやってきたような…
途中で、上着を一枚脱ぎました。
渡邉英徳さんのTwitterに(2月26日)

86年前の今日。
1936年2月26日、「2.26事件」で決起した直後、半蔵門を占拠する反乱部隊。

白黒写真のニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。

二・ニ六事件高橋蔵相殺害」(藤田三郎さん 近衛師団 NHKアーカイブス 戦争証言)

今朝の
目撃!にっぽん「運命を変えた3本指~ミャンマー難民サッカー選手」(見逃し配信:3月6日まで
ウクライナの女性、機関銃持つロシア兵に「何しに来たの」と詰問〟(BBCNEWS 2月26日)
ウクライナの女性は、スターリンの時代を経験されているかもしれない。
あの時代はまっぴらだという思いが伝わってくる。
そしてロシア兵もなんのためにここにいるのかという苦悩をかかえているように思う。

25日に放送されたEテレのドキュランドへようこそ「プーチン政権と闘う女性たち
彼女たちは、合法的な方法で、プーチン政権と闘おうとしている。
なのにプーチン政権側は、罪をでっちあげたり、新型コロナに感染していなくても病院に隔離したりしている。
再放送の予定がなく、見逃し配信もないのだけど
NHKPRのBS世界のドキュメンタリー「3月の注目番組をご紹介!」を見ると
3月21日(月)後11:00から放送されると予告されていました。
(「解説 著者と訳者のこと  澤地久枝」つづき)

 『戦争は女の顔をしていない』は、沈黙の壁に身をひそめて戦後を生きてきた女たちにしつこく戦争の記憶を聞く。
彼女が戦後の生れであること、そして相手の沈黙にまけない執念と勇気と情熱をもち、同時にいっしょに泣く感性をもっていることが、彼女の仕事をささえてきたと思う。
戦死した祖父、パルチザン活動にくわわりチフスで亡くなった祖母、三人兄弟のうち戦後に帰ってきたただ一人の息子が彼女の父であるという戦争の「傷」をひく家庭の出身である。
(『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著、三浦みどり訳 岩波現代文庫 2016年)
 子ども時代を過ごした村には、女しかいなかった。
男の声は聴いたことがないという。
 ソ連は連合軍の一員として勝利している。
しかし戦争の初期、ドイツ軍に攻めこまれたあと、18歳以上なら男女の別なく軍務につけた。
女たちが飛行士、狙撃手からパルチザンの仲間という具合に、実戦の構成員だった国はほかにあるだろうか。
18歳以前、15歳や16歳で軍隊へもぐりこんだ少女もいる。
何人かが前線ではじめて生理に出会う。
生理がとまったひともあり、一夜のうちに白髪になった少女もいる。
 彼女がテープをおこし、インタビューイーに送った原稿はずたずたに削られて送り返されてくる。
「戦争に関する愛国的な仕事」についての「公式報告書」をそえて、闇とたたかい、絶望することを自ら禁じて、彼女の作品は生れた。
 戦場の強烈な印象としてさまざまな「音」を語ったひとがあり、「静寂」といったひとがある。
 そこでは、日常と非日常のさかいがなくなる。
ガブガブの軍服を身につけ、祖国の大地の上で男たちにまじって、あらゆる仕事をした女たちの記憶。
「戦争とは、死とは」。
半世紀近く封印されてきた歴史が語られる。
小説ではない。
すぐれた記録であり、アレクシエーヴィチの短い文章が効果的におかれている。
 砲兵中隊の衛生指導員だったソフィヤはベルリンへ行きつき、国会議事堂の壁に「『戦争』を殺しにここにまできた」と書いてサインした。
何人ものソ連兵士が壁に落書きや署名をしている。
勝者の戦争体験だが、たてまえ絶対でかくされてきた惨憺たる「戦争時代」が、厚いベールをひきはがされた。
 妹といつわって最前線の夫のもとへ行った妻がいる。
『人間の条件』の梶と美千子を思わせる。
上官たちは感嘆し祝福した。
夫が戦傷死したとき妻は妊っていて、男の子を産む。
「行方不明」の通知が来ただけで帰ってこない夫を待ちつづける妻は、女たちの「戦闘」参加はない日本で、待ちつづけた妻たちを想起させる。
「戦争と女」は共通の体験を通っている。
 「元捕虜」の烙印は、日本の「戦陣訓」とつながる思想のもとにある。
捕虜になることは社会的抹殺を意味したのだ。
 この本の元本は群像社から出ている。
絶版がつづいたあと、彼女のノーベル文学賞受賞となった。
群像社は発行人島田進矢氏が「行商」して支えている。
この本もその一部であった。
島田氏がこの文庫化を喜んでいると知らされてこの原稿を書いた。
(『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著、三浦みどり訳 岩波現代文庫 2016年)
今朝の父の一枚です(^^)v
ホオジロ♀に出会っていました。
ホオジロは「人里に春を告げる鳥」だそうです。

特別解説 ホオジロ 柳澤紀夫

  高槻(たかつき)の梢(こずえ)にありて頬白のさえづる春となりにけるかも  島木赤彦

 ホオジロはつい先日まで群れになっていて、地面で餌をさがしていたのに、今朝は電線に止まって囀(さえず)っている。
「春になったのかな」とふっと思ってしまう。
ウグイスほどには誰にも知られているとは言えないが、その小気味良い囀りは春にはかかせない節だ。
 すんでいる場所が、畑や桑畑、河原といった開けた草原様の所であり、こんな場所は人の住んでいる近くだから、ホオジロは人里に春を告げる鳥、と言えるだろう。
(後略)
(『野鳥の歳時記1 春の鳥』日本鳥類保護連盟監修 小学館 昭和59年)