2022年2月6日日曜日

お日さんがありがたい

今朝も気温が低く池には氷が張っていましたが、
お日さんがあたたかくてありがたかったです。
普及啓発看板の老朽化に伴う撤去・新設工事で設置されたのを見ると
緑色のテープに「養生中」と書かれていました。
人間以外にも使うことを初めて知りました(^^ゞ

養生】ヨウジョウ<ヤウジャウ>
②土木建築や植物栽培の際、損傷予防のためにその箇所を被覆(ひふく)するなどの手当て。
(『岩波 漢語辞典』山口明穂、竹田晃編 1987年)
 悩ましい季節がまもなくやってくる(-_-;)

花粉症 オミクロン株と症状共通「花粉症の人は早めの受診を」〟(NHK)
心筋梗塞を発症して以来、循環器科で処方されている薬以外を服用しないようにしている。
花粉の季節が過ぎるのをひたすら我慢しているのだけど…

新型コロナウイルス感染症流行中の花粉症対策について」(日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会)
 俵万智さんのTwitterに

2月の短歌です

これからの二カ月のこと何もかも思い出として始まる二月

バレンタイン君に会えない一日を斎の宮
(いつきのみや)のごとく過ごせり

きさらぎの雨から雪に変わる午後「オレが何とかする」って何を

チューリップの花咲くような明るさであなた私を拉致せよ二月
俵万智さんの短歌にある「斎の宮」につい反応してしまう(^^ゞ

斎宮とは?」(斎宮歴史博物館)
制度上最初の斎王は、天武天皇(670年頃)の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)
  大津皇子薨(かむあが)りましし後、大来皇女伊勢の斎宮より京に上る時よみませる歌
 神風の伊勢の国にもあらましをなにしか来けむ君もあらなくに(163)

  歌 意
 神風のふく伊勢の国にこのままおればよかったのに、何故都へ来てしまったのであろう。
もう君はなくなられて都にもいられないのに。

  語 釈(略)

  鑑賞
 平明な表現の中に、無限の悲しみがこめられている。
大津皇子の臨終の詩にある「泉路無賓主此夕誰家向」と併せて誦する時、この姉弟の悲しみが胸にせまるものがある。
この歌も第一句はか行音のかからはじまって強い調べであるが、第二句のい、第三句のあ、第四句のながやわらかに響く。
そうして第五句のきで強くむすんでいる。
(『万葉秀歌(一)』久松潜一 講談社学術文庫 1976年)

天武・持統の都づくり」(かしはら探訪ナビ)

藤原京ルート」(歩く・なら)
彰義隊について『日本の歴史20 明治維新』より転記します( ..)φ
歴史家の眼は、空を飛ぶ鳥のように歴史の流れを俯瞰して見ていると思います。

内乱の終結
 彰義隊討伐


 新政府は、こうしてしだいに強化されていったが、江戸の旧幕臣の一部の抗戦意欲は強く、また関東と奥羽の諸藩には、(1868年)4月にはまだほとんど新政府の力はおよんでいなかった。
 慶喜がまだ一橋家の家主であったころから、かれに仕えていた渋沢成一郎(しぶさわせいいちろう)や天野八郎(あまのはちろう)は、2月中旬から、同志を集めて彰義隊(しょうぎたい)を名のり、かならず「叛逆の薩賊」を殺しほろぼすことを誓っていた。
はじめその屯所を浅草本願寺(あさくさほんがんじ)に置き、ついで慶喜が謹慎している上野寛永寺(うえのかんえいじ)の境内に移した。
江戸開城の直前から、開城にふんげきする旗本や諸藩脱走の士がぞくぞく彰義隊に参加し、開城後の閏四月ごろには総勢二千人あるいは三千人ともいわれた。
(『日本の歴史20 明治維新』井上清 中公文庫 2006年改版)
 かれらは市中を横行し、新政府軍の将兵とみればけんかをふきかけ、田舎侍と罵倒した。
夜は赤く「彰」の字を書いた丸ちょうちんをさげて歩いた。
関東各地でも、旧幕臣や諸藩の脱走者が、随所に隊をくんで、いわば一種のゲリラ戦を展開した。
前年末に西郷が相楽総三にやらせたと同じことを、今度は、江戸を占領した新政府が旧幕派からやられたわけである。
 しかものとき江戸の新政府軍は、無血入城におごって、早くも士気は頽廃していた。
田舎者の部隊が大都市を占領したとき、よく生ずる現象である。
それを大総督府参謀の西郷はどうすることもできなかった。
したがってかれは、彰義隊を武力で討伐する自信はなく、もっぱら勝海舟・大久保一翁らによってなんとか鎮撫しようと努めたが、勝らのいうことをきくような彰義隊ではなかった。
 4月末、京都政府から軍防事務局権判事大村益次郎(おおむらますじろう)が江戸にやってきた。
かれはもとは周防(すおう)のある村の医者の子で、西洋兵学に通じ、慶応元年(1865)、長州藩の軍制を近代的方向に大改革し、翌年の幕府の長州征討に長州が勝利する軍事的条件をつくった人物である。
かれは彰義隊の暴状と新政府軍の無力を見て大いに憤り、みずから政府軍を指揮して彰義隊をいっきょに討伐しようと強硬に主張した。
 東征大総督はその議をいれ、5月15日、大村の指揮で、薩摩・長州・肥後・筑前・肥前・備前ら十数藩の兵二千人をもって上野を完全に包囲し、本郷の台地に大砲を配備し、午前10時ごろから午後5時ごろまでの激戦で彰義隊を潰滅させた。
このとき彰義隊の兵力は約千人にへっていた。
討伐されるとなると、抜け出したものが半数以上もいたわけである。
このとき大村は、江戸城西ノ丸におかれた大総督府で作戦のすべてを指揮したが、その戦略と戦術は、かれの近代兵学の知識の深さを遺憾なく発揮したもので、一躍名将の名をとどろかせた。
これに反して、西郷はいささか面目を失った。
もともと西郷は謀略を得意とする政治家で、部隊を指揮する軍司令官型ではなかった。
 彰義隊の残党と、それに呼応する房総と武蔵のゲリラ部隊は、5月中にあらまし平定された。
しかしまだ、奥羽諸藩は新政府に従っていなかった。
賊として追討されることになっていた会津・庄内の二藩が抗戦派の主力であった。
(『日本の歴史20 明治維新』井上清 中公文庫 2006年改版)
今朝の父の一枚です(^^)v
エナガは、こんなツルツルの所でも爪をひっかけることができるんだとビックリしました!

エナガは子育てに参加したい
 
 日本にいる鳥の多くは一夫一妻ですが、ごくまれにエナガやオナガ、カワセミのなかまなど、お手伝いを頼むものがいます。
このお手伝いさんは「ヘルパー」とよばれ、自分自身は繁殖せずにほかのつがいの繁殖を手伝って、ひなに餌を運んだり、なわばりを守ったりします。
ヘルパーがいる形の繁殖を「協同繁殖」といいます。
(後略)
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)

鳥たちの子育てネットワーク?」(私の森.jp)