2022年2月1日火曜日

青空が広がり

今朝は、眩しいほどの青空でした。
初めは雲の姿が見えないので淋しいくらいでしたが
帰るころには、少し、雲も姿を見せてくれました。
今日から如月(2月)
昨日の折々のことば 鷲田清一 (2022年1月31日)

 何をそんなに脅(おび)えているのですか? 
                  芹沢俊介

 養育や教育について語ると、現場も知らぬ者が余計な口を出すなという反応がしばしば返ってくると、評論家は言う。
ある日その反応が余りに攻撃的なのでこう聞き返すと、相手は黙った。
いらつき、怒りにまかせ、吐き捨てるように何かを口走る時、当の自分もまた何かに不安を覚え、焦っているのではないかとふり返ってみること。

芹沢俊介 養育を語る 理論編Ⅲから。 

本を転記していると、ものの見方・考え方を学ぶことができます。
目で読んでいるだけでは、気がつかったことにハッとすることが多いです。
OCRソフトを使っていないので転記ミスが多いです(^^;)…
今夜、「ハートネットTV▽ルーツのバトンを受け継いで~フォトジャーナリスト安田菜津紀」が放送されます。

ナレーションをコトリンゴさんが担当されています。

安田菜津紀さんのTwitterに

「オモニは今もなお、レイシストの的となっています。僕が、この判決の節目に顔や名前を出したのは、その集中している被害の矢を、少しでも減らせるのではないかと考えたからです」
心が、震えた。
近刊
あなたのルーツを教えて下さい、桜本の章の一部を公開しました。

かつて、「隠れコリアン」だった。今なぜ、「ともに」のメッセージを川崎・桜本から発し続けるのか


この川崎・ふれあい館での取材や、ヘイトスピーチ、入管収容問題への取り組みについて、明日2月1日(火)20時からのハートネットTVでも放映頂きます。
よろしければぜひ、ご覧下さい


そして、川崎・桜本での取材の章、全文はぜひ、近日刊行のあなたのルーツを教えて下さいで読んで頂ければ幸いです。
WEB記事には載せきれなかった、ふれあい館に集う人やハルモニたちの思い、脅迫状やネット差別の深刻さを綴りました。
慶応三年二月一日<晴れ>寺島村(てらじまむら)

 日本橋から北東へ五キロ、葛飾(かつしか)寺島村。
 このあたりは園芸農家が多い。
植え付け時期がちょうど今時分、春先という木が多いらしく、晴れた日などは園芸好きの江戸市民がどっと押しかけて、市場なみの賑(にぎわ)いだ。
 江戸の人は花や木が好きだ。
どんなに小さな庭にも、良く手入れされた木が繁(しげ)っている。
庭がなくても鉢植(はちう)えは並べきれないほど持っている。
土えらびから肥料の与え方、整枝剪定(せんてい)の方法まで、実に熱心に勉強し、丹精込めて可愛(かわい)がる。
江戸人の三大趣味は釣(つり)と飲食とこの園芸だ。
(『江戸アルキ帖』杉浦日向子 新潮文庫 平成元年)
 私は花や木を見るのは好きだが、趣味はないので庭は荒れ野だ。
趣味はないというよりも無精なのであって、切り花さえ、水を腐らせてしまうので買わない。
願わくば、園芸好きの燐家に囲まれた家に住みたい。
塀越(へいご)しにチラリとでも景観を分けていただければ大満足だ。
 椿(つばき)を見る。
パリッとした色濃い葉っぱの中の紅(あか)い花。
桜よりも牡丹(ぼたん)よりも薔薇(ばら)よりもこの木が好きだ。
(『江戸アルキ帖』杉浦日向子 新潮文庫 平成元年)
杉浦日向子さんは小野篁が六道珍皇寺の冥土通いの井戸から冥府に通ったように
今の世と江戸の世を行来していたのではないかなと思う(^_-)-☆
路上観察学入門』に杉浦さんが寄稿されています。
文章を転記しますが、そこにはイラストと日向子文字で書かれたコメントが載っています。
それらは、省略しています。

(冥土通いの井戸については2015年2月9日の記事に載せました)
D・F 或る日の江戸地区約一尺観察 試みる人 杉浦日向子

[1]江戸大通りの観察

 路上観察の為江戸へ行く。
 地上約一尺に目標を決めたので始終下ばかり向いて歩く。
おかげで今回は一度も犬の糞を踏まなかった。
「伊勢屋稲荷に犬の糞(くそ)」とは江戸に多いもののたとえだ。
足元に気をつかわずに歩けるのは大通りの商店の軒先だけだ。
 江戸人は、流石に心得ており、もっぱらはじを通行する。
時折、急ぐ奴がその外側を走る。
商店は丁稚を使い絶えず店の前を掃除しているが、道のまん中は自然に取り残されてゴミの中州ができている。
ここの掃除は公式行事の時だけだ。
(『路上観察学入門』赤瀬川原平、藤森昭信、南伸坊編 ちくま文庫 1993年)
[2]馬つなぎの観察

 紙問屋の馬つなぎに注目する。
 馬つなぎとは、いわばパーキングメーターのようなものだ。
鉄の環に手綱をかけておく。
 馬つなぎ場に特有のサインがあらわれている。
 横木や桟が、ガジガジにかじられているのだ。
 角の柱には馬が体をこすりつけた跡が見られる。
柱の角が減り、馬の毛が木のささくれに多数引っかかっている。
 地面には数カ所穴がうがたれている。
小便跡である。
フンは片付けられることが多いがたまには見る。
[3]商店の敷居の観察

 敷居に注目する。
 馴れない内は敷居によくけつまずいたものだが、江戸の店には必ずといって良いほど敷居がある。
 大旨(おおむね)、まん中が、人の通行により摩耗していて、減り具合のはげしい時には当て木がされる。
 店によっては板を山型に渡して、けつまずきを防止すると同時に敷居を保護している。
 どの敷居にも見られるサインは、下駄の泥のそぎ落としである。
角の立つところでそれが行われる。
丁稚がまめに掃除するが、すぐに新しいのが付着する。
[4]ヘイとドブの観察

 塀の多くは簡素な板塀で片手で容易に押し倒すことの可能なものが多い。
下部が腐ってザクザクになっている。
塀の外側には溝が作れていて、このあたりで子供が良く遊んでいる。
塀と溝のわずかな隙を伝って歩いているのを良く見かける。
そしてすべり落ちた痕跡もたいてい見られる。
 溝には水藻が繁殖しており、灰色の小魚や川エビや虫が生息する。
それらが子供の目当てだろう。
 長屋のドブ板はガタピシうるさい代表格だが、毎日裏表を変えてやれば、あれほど反(そ)りゃしまいと思う。
[5]路上の足跡

 路地を帚で掃き清めて足跡を採集する。
 武士の足跡は大きな特徴が認められる。
外またで歩幅が広い。
左側に帯刀している為(約5キロ)左に重心がかかると言われるが足跡だけではそこまでわからない。
実際の足は、やはり左足が大きいのだそうだが、草履を左右別にあつらえることはしない。
 町人の成人男子の場合、歩幅は同じように広いが、足の向きがまっすぐである。
 老人、女性は歩幅がせまい。
女性は七人通行の内、内または一人もいない。
又老人には杖の跡も加わる。
[6]歩行者の足

 足の格好もさまざまである。 
武士はほとんど足袋を着用しているが、町人の場合、裸足が圧倒的に多い。
 裸足でほこりっぽい道を歩くから、足はくすんで、爪などは土がはさまって見るからにキタナイ。
 履物をぬぐうような所では必ず足だらいといって足を洗うぬるま湯をサービスしてくれる。
 魅力的なのは町飛脚の足で、弾力があり、しなやかで、足裏の肉付きが良く、足の中の足という風格がある。
逆に、足袋常用の女性は、多くが甲高のむっくりで、畸型に近い。
(『路上観察学入門』赤瀬川原平、藤森昭信、南伸坊編 ちくま文庫 1993年)
今朝の父の一枚です(^^)v
忙しそうに動き回るコゲラをよく写せたなと思いますp(^^)q
夏の句ですが(*^^*)…

 木啄(きつつき)も庵(いほ)はやぶらず夏木立  (奥の細道)

 四月五日黒羽滞在中、臨済宗の寺雲厳寺の奥にある旧知の仏頂和尚の山居の跡を訪ねた時の作。
仏頂は芭蕉の禅の師で鹿島の人。
芭蕉は鹿島紀行の折に訪ねたが、晩年は雲厳寺にあってここで歿した。
紀行の前文に「さて、かの跡はいづくのほどにやと後(うしろ)の山によぢのぼれば、石上の小菴、岩窟にむすびつけたり。妙禅師(みょうぜんじ)の死関、法雲法師の石室をみるがごとし」とあってこの句を載せる。
とりあえず作った一句を柱に残して帰ってきたとある。
 木啄は俳諧では秋季とされているが、それは約束としてであった、肌寒い山奥で夏嘱目してもしても、異とするには当らない。
だから芭蕉が夏木立の間に木啄のつつく音を聞いたか、或いは案内の人からここらに木啄の多いことを聞いたかして、即興的に木啄をこの句に詠み込んだと想像できよう。
仏頂に対する親愛の念が木啄を得て具象化の機会を見出したもので、そこからこの山深い幽寂境に、仏頂が木啄と共に脱俗的な明け暮れを送ったさまを生きいきと思い描いたのである。
木啄を友として夏木立の中の草庵生活を送った仏頂の人柄への慕わしさを言っているのだ。
(『芭蕉全発句』山本健吉 講談社学術文庫 2012年)