2022年2月5日土曜日

雲に隠れると…

やはり今朝は寒いです。
青空でよかったなぁと思っていたのですが
太陽が雲に隠れると急に風がでてくるようで寒さが増しました。

あすにかけ日本海側中心に大雪のおそれ 交通への影響に警戒」(NHK)
 医療事務ハルさんのTwitterに

東京マラソンは2万5千人の参加者全員にPCR検査するんですね。
発熱外来の患者さんは検査してもらえないのに


<東京マラソン2021に参加されるランナーの皆様へ>全員PCR検査実施について」(2月4日)
オリンピックが始まりましたが
スノーボード 芳家里菜 練習中にけが せき椎損傷で大会欠場へ」(NHK 2月4日)
ここまで来て、ケガで出場できないなんて…
肉体的だけでなく精神的にも大きなダメージだろうな…
再び選手生活がおくれようになるまで、回復できますように!

人工雪コースは「防弾」の硬さ、スノボ女王が不安視 北京五輪〟(AFP●BBNews 2月3日)
ケガ人が出ませんように…
今週のEテレ0655「たなくじ」は「有名な絵画を見ると大吉」でした。
前日の日曜日に見ていたのが
日曜美術館「激動の時を生きた浮世絵師 月岡芳年

紹介された作品の中で「月百姿」の「卒都婆の月」は、
小野小町の晩年の姿を描いていて、老いいることは美しいことだと思った。

杉浦日向子さんの『合葬』を読んでいたので、オッと思ったのが…
番組によると月岡芳年は、上野戦争の直後に戦場を見に行ったといいます。
そして、実際に目にしたと思われる光景を描き込みました。
番組で「森力丸」という浮世絵が紹介されていました。
月岡芳年「魁題百撰相」「森力丸」〟(東京都立図書館)
↑苦手な方はアクセスしないでください。

杉浦日向子さんが「日曜日の日本」(『合葬』あとがき?)の中で篠田鉱造を紹介してくれました。
篠田鉱造の『幕末明治 女百話(上)』で上野戦争を目撃した女性の聞き書きが載っています。
転記したいと思いますが、残酷な描写があります。
  上野彰義隊戦争の前後
 生首をば提灯扱い


 江戸が欠(あく)びをして、明治が眼を醒(さま)しかける慶応ですね、彰義隊が上野で、官軍と戦った怖ろしさは、生首で逃げようがありませんでした。
と申しますのは、浅草蔵前(あさくさくらまえ)に住んで、札差(ふださし)の片端(はしくれ)でしたが、妾(わたし)はまだ娘時代で、お裁縫にいっていますと、ソレが十四日で、いよいよ前の日、上野の戦争が十五日ですから、ソノ十四日に、お裁縫の稽古も、ソコソコに宅(うち)へ帰って来ました。
戦争があるといって『落付いて針のメドを通しちゃアいられない』とお師匠さんもいいますので、宅(うち)へソウソウ帰って『阿父(おとつ)さん、上野で戦争があるんだそうだよ』といいますと、『ナニ馬鹿なことをいう、ソンなことがあって、おたまり小法師(こぼし)があるもんか』といって気になるか、どっかへ聞きにいったようですが、蒼くなって帰宅し『なるほど、お前のいう通りで、近々戦争があるらしい。目星(めぼ)しいものは、持って逃げる支度をしなければならない、これは弱った』、母などは臆病風に取ッつかれて、逃支度をいたし始めました。
(『幕末明治 女百話(上)』篠田鉱造 岩波文庫 1997年)
翌日は十五日で、神棚さまへ榊(さかき)を供え、御神酒(おみき)を呈(あ)げた途端に、大砲の響きで、榊はバッチラかる、御神酒はひっくりかえる、『サア初まった、親子三人離れちゃアいけない。なんだってこうなっちゃア、慾を離れて、あんまり背負(しよ)ったり体へ巻付けて、重味をつけたら、逃げられないから、好加減(いいかげん)にしろ。ソレに和泉橋(いずみばし)の落合(おちあい)さま(旗本)の、若さまなり、お嬢さまなりは、御一所に連れて逃げてあげなくっては』と、浅草橋(あさくさばし)の方へ参りますと、右往左往に、逃げ廻る人々で、火事場騒ぎですが、浅草見附は、モー官軍が固めていて、青竹の交叉(さしまた)に、臓腑の百ひろを垂れた、今申す生首がズラリ、通ろうとすると、警護の官軍が、生首を持って、面白半分に『これだぞこれだそ』と、娘と見て、提灯(ちょうちん)扱いに示(み)せるんですから、怖くって怖くって、眼も向けられません。
柳橋(やなぎばし)からと思ったら、今火をつけて煙ばかりだという話。
天王橋(てんのうばし)の方へ戻りますと、血刀(ちがたな)を提げた人が、幾人となくやって来るんで、中には生首を二つも提げていました。
(わたし)ども親子三人は、大神宮さまの御札を、背中に背負っていますんですが、天王橋のとこでは斬合っているのを見受けました。
血だらけになって、双方斬結んでいたんですが、芝居なら観ていられますが、真剣は物凄くって、狂気のように親子三人、どうにもしようがないと、また蔵前の家(うち)へ駈戻ってしまったんです。
 娘心の咄嗟の考え

 ソコで妾(わたし)は『阿父(おとつ)さん、モーこれはいけないから、いっそ伊賀(いが)さまのお払米(はらいまい)、アレが三俵あるから、親子三人で、あれを焚(た)いて、おむすびを握り、大道へ並べて、皆さんに喰べさせてあげようじゃアないか』と、親子死ぬなら、三人揃って、この蔵前の宅で死に、セメて彰義隊だろうが、官軍だろうが、お腹が空(す)いているにちがいない、こうして焚出(たきだし)をしたら、ムザムザ妾共親子の命を、奪(と)って行きもしなかろうと、娘心の咄嗟(とっさ)の考えを、阿父(おとつ)さんが『旨いとこへ気がつきゃアがった、そいつは至極の考えだ』といいましたから、早速一俵のお米から、焚き初め、母と妾とで、握り出し、山と握ったのを、表へ戸板を出して打並べ、ソレへ塩を振りかけておいて『どなたでも喰べていらっしゃい、御遠慮は無用』と書いて張ったもんですから、通りがかった人も、官軍の人も、旧幕の逃げ出す人も、ムシャムシャ『これは助かる』『これはいい思付きだ』といって、喰べて行かれました。
中にはお金を置いて、『どうせ命が危ないんだ、金なんか要らない』といって行く人もありました。
 十五日は大砲の響き、上野の御本堂が焼けているなど、物騒な噂で夜になったんですが、その晩の物凄さ、こっちは無茶苦茶に焚出をしていて、何が何だか分りませんが、夜が明けると、またも戸板の上へ、おむすびを並べました。
翌十六日は、御近所の方も見えて、お握りを『手伝ってあげましょう』と、二、三人手伝ってくれましたが、お釜が大きくないんですから、三俵の白米を焚出しするのに、全(まる)二日かかってしまいました。
どうやら官軍が勝って、彰義隊は敗北、上野山内は焼けただれて、眼も当てられない。
だが町人は別段お構いないということで、親子三人顔を見合して、気が抜けたようにガッカリしてしまいました。
 彰義隊からすしや

 ところが親類筋の、下谷御徒町(したやおかちまち)に住んでいた藤岡(ふじおか)と申す家(うち)の倅(せがれ)で、まだ嫁を貰ったばっかりのが、彰義隊へ加わって、捕虜(とりこ)になってしまったんです。
何でも御本堂の先に、土牢があってそこに捕ってしまっているという話なんです。
これはあとで聞いたお話なんですが、ソノ藤岡の倅が、運がいいといえばいい、悪いといえば悪いんで、捕虜(とりこ)となって首を刎(はね)られるに極っていますが、ソノ首を刎ねられるより、当面のたまらないのは、土牢の中が垂れ流しですから、穢(きたな)くって汚なくって、どうにもこうにも我慢がしきれない。
これは別に逃出す訳でもないが、土を掘って、この穢ないところから脱(のが)れ出したいが、一生懸命で、二、三人で土を掘って、外部へ出たら、案外警固が手薄だったので、これ幸いと逃げ出して、榎本(えのもと)さんの率いる軍艦に乗って、函館(はこだて)へ落ちる仲間となったんですが、銚子(ちょうし)沖の、あしか島で難船、どっちを見ても島の間にはさまってしまったんですね。
ソレでも銚子から助け船を漕ぎ出したが、波が荒くって、なかなか助けられないで、鉄(かね)の鎖を投込んで、これにつかって、陸(おか)へお上んなさいとうのですが、三日三晩、潮水を呑んで、唇は脹(は)れあがってひっくりかえり、不食不飲(くわずのまず)の五体は、ヘトヘトですから、多くの人は、折角このくさりに捉(つかま)っても、浪に呑まれて空しく魚の餌になったのが多いのに、その中から藤岡の倅は助かって、漁師仲間に囲ってもらい、鰯(いわし)の油絞りをして、露命をつないでいたものです。
ヤットほとぼりの醒めた明治の御代を幸い、忍んで来たんですが、コノ藤岡では、阿父(おとつ)さんも阿兄(にい)さんも官軍だったんで、『どうもこのまま一所には置かれない、神田明神の叔父さんに泣付け』と、教えられ、花火師をしている叔父さんに囲ってもらい、花火をというのでしたが、叔父さんが、『花火よりすしを習え、喰べ物なら、どうやらこうやら、夫婦口はすごせるだろう。花火じゃア喰えるかどうか分からねェ』といわれ、おすしやに通い、スッカリ覚え込んで、御成街道(おなりかいどう)へ『すしや』を出しましたが、その看板がおかしいんですよ。
  貸して愛想(あいそう)をつかそうより、
     かさずにいつでも笑い顔

とかいてあったおすしやさんがソレでした。
明治初年あの辺のお通行のお方は、御存知だろうと思います。
あんな怖かったこともありませんが、実地の芝居を見物したと思えばよいなど、阿父(おとつ)さんはいいましたが、実地の芝居は冷汗をかきますよ――。
今に不審に思われるのは、戦争の前の歳に、大川端で土左衛門が多かったことは、大変でした。
ワザワザ見に参った訳じゃアないんですが、見物中に交(まじ)っていたら、変な人物が、『姉さん、来年はこれどこじゃアない、川の流が堰(せ)き止るくらいだよ』といいましたが、戦争を知っていたんでしょうかしら。  
(『幕末明治 女百話(上)』篠田鉱造 岩波文庫 1997年)

荒物屋「あかにし」に貼られていた標語を思い出しました(*´▽`*)