2022年2月17日木曜日

青空だけど…

冷たい風が吹いていたので寒かったです。
信号待ちをしていたときに前の福井ナンバーのトラックを見ると雪も積んでいた。

岐阜 福井で大雪 北陸や近畿北部など積雪急増のおそれ 警戒を」(NHK)
 NHKニュース おはよう日本で11分30秒頃から紹介されていた(見逃し配信:2月24日まで)

バリアフリーノート(mahoraノート
発達障碍の人たちのために考え出されたそうです。

発達障がいの当事者だけでなく
こどもからお年寄りまで
みんなに使いごこちのいいノートができました

中沢けいさんのTwitterに

藪蛇。
どうも維新のみなさんは藪を突っつくのが大好きなようで。
しかもだ、大蛇がいる藪を好んで突っついているように見える。


と言うのは、このことかな?

水道橋博士さんのTwitterに

橋下さんをヒトラーに喩えた管直人さんは訴えないまま筋違いのボクを訴えると息巻く松井市長。
調べれば調べるほど間違っていたことに気が付きました
橋下さんやヒトラーじゃない。
松井市長がヒトラーで、宣伝大臣のゲッペルスが橋下さんです。
政治は「結果責任」ならとっくに辞任すべきですね。


ヒトラー演説 熱狂の真実』を読んでいて、ヒトラーの演説について誤解していたなと気がつきました。
 プロローグ

 イメージは往々にして一人歩きする。
ヒトラー( Adolf Hitler )の演説の場合も例外ではない。
ヒトラーの演説と言えば、声を大きく張り上げるヒステリックな姿が思い浮かぶ。
ヒトラーはたしかに、クライマックスシーンでは大きなジェスチャーでがなり立てるように語り、話すスピードも速い。
敵陣営の話題にでもなれば、右手人差し指を立て小刻みに宙に揺らしながら威嚇的に語る。
テレビなどで、このようなシーンが繰り返し流されているのだろう。
しかし実際には、演説中のヒトラーがいつもそうであるわけでないし、またそれだけがヒトラーの演説の特徴でもない。
イメージが一人歩きして行った先から、ヒトラー演説を一度連れ戻してみないといけない。
(『ヒトラー演説  熱狂の真実』高田博行 中公新書 2014年)
 ヒトラー演説の実像にたどりつくには、ヒトラーが語ったことば自体の分析が不可欠である。
まず、実際にひとつ演説文を見ておこう。
次に挙げるのは、首相就任の11日後となる1933年2月10日にヒトラーが行った演説の一節である。
ここでは、1919年2月にワイマール共和国が誕生してからナチ党(国民社会主義ドイツ労働党)が政権を掌握するまでの14年間にわたる政府の政治的失策が糾弾されている。
われわれのイメージどおりの演説文であるかどうか、一度じっくりと読んでいただきたい。
  そしてついに、崩壊の手が都市に再び伸び、今や失業者の大群が膨らみはじめている。
 100万、200万、300万、400万、500万、600万、700万、今日では実際には700万から800万になるかもしれない。
 彼ら[ワイマール共和国を作った者たち]は誰からも妨害を受けることなくこの14年の間に、破壊のかぎりを尽くした。
 [……]私自身が14年の間に一度たりとも動揺せずにこの運動[ナチス運動]を築くために常に働いてきたのと同様に、また、党員を7人から今の1200万人にまで増やすことができたのと同様に、私はそしてわれわれはドイツ国民の復興のために働くつもりである。
 この運動が今日ドイツを統治するものになったのと同様に、われわれの指導によって今後のドイツは再び偉大な国に、また活気のある国に戻るであろう。
 統率するにあたりわれわれは、まったく何にも惑わされはしないと固く心に決めている。

  ドイツ国民の復活はなにもしないでもひとりでに始まるなどと、私はみなさんに約束するつもりはない。
 われわれはこれから仕事をなしていきたいと思うが、ドイツ国民の手助けなしにはできないし。
 自由、幸福、そして生がなにもせずに突如として天からもらい受けられるなどとはけっして考えてはならない。
 すべての根本は、まさに自らの意思、自らの仕事にあるのだ。
 他人の援助を頼むこと、われわれ自らの国家でないものに、われわれ自らの国民でないものに援助を頼むことは、ぜったいにしてはいけない。
 われわれ自らのなかにのみ、ドイツ国民の未来はある。
 もしわれわれ自らがこのドイツ国民を、自らの仕事で、自らの勤勉さで、自らの決意で、自らの反骨心で、自らの執拗さで高く導き上げるならば、かつて祖先たちがなにもしないでドイツをもらい受けたのではなく、自らの力で国を創り上げたとのまさに同様に、われわれは再び道を駆けのぼるであろう。
 このようなヒトラーの演説が聴衆を熱狂させたすれば、熱狂させた秘密はどこにあったのであろうか。
演説文の表現のどこにどんなことばの仕掛けがあり、ひとらーがどのような音調で語り、どの箇所でどのようなジェスチャーを用いたからであろうか。
また、どのような政治的・歴史的状況のなかで聴衆の心を捉えたのだろうか。
 ヒトラーは、四半世紀、25年間にわたって演説を行っている。
その始まりは、ミュンヘンのビアホールで開かれた公開集会で初めてその通る声と印象的なジャスチャーを披露したとき(1919年10月)であり、その終わりは、ベルリンの首相官邸近くに掘られた総統地下壕で最後のラジオ演説を録音したとき(1945年1月)である。
政権を取るまでのヒトラー演説は本当に聴衆を熱狂させ、政権期のヒトラー演説は本当にドイツ国民の士気を高揚させたのだろうか。
演説するヒトラーに説得力とカリスマ性を刷り込むために用いられた道具は、時代とともにどのように「進化」していったのだろうか。
疑問は尽きない。
 本書は、一方で言語面に、他方で演説の置かれた政治的・歴史的文脈にスポットライトを当てて、ヒトラー演説に迫ろうとするものである。
時間軸に沿って跡づけることで、ヒトラー自身も気づかなかったヒトラー演説の役割ないし機能の変容が見えてくるかもしれない。
触れられることが多くても、分析されることは少なかったヒトラー演説の真実を、このようにして浮かび上がらせてみたい。
(『ヒトラー演説 熱狂の真実』高田博行 中公新書 2014年)
今朝の父の一枚です(^^)v

つぐみ【ツグミ】

…前略…

 ツグミ類は奈良時代から〝つぐみ〟の名で知られている。
「出雲国風土記」出雲郡に、䳯(つぐみ)の名がでている。
平安時代には、「和名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」に「鶫鳥、漢語鈔云豆久見 弁色立成云馬鳥」とでていて、〝つぐみ〟の外に〝まてう〟とも呼んでいた。
室町時代には、〝つぐみ〟の外に〝しなひとり〟とも呼ぶようになり、「秘蔵抄」下、一四五「しなひ鳥おちくるいそのなくくりにかかるおもひにゆくかたもなし」に詠われている。
〝しなひ〟は当時ツグミ類であったが、江戸時代になると、シロハラ、アカハラを呼ぶようになった。
…後略…
『図説 日本鳥名由来辞典』菅原 浩・柿澤 亮三編著 柏書房 1993年)