明日、明後日と冬型の気圧配置が強まり、
寒さが厳しくなるみたい… 「大阪市 新型コロナ 新規感染者入力漏れ 約1万2700件」(関西NHK 2月3日)
保健所の職員への批判は気の毒だと思う。
市長は「マンパワーの問題だった」と答弁していますが、
保健所職員は過労死寸前になっているほど激務が続いている。
都道府県別 直近1週間の人口10万人あたりの感染者数を見ていると
2月2日時点で大阪がトップに来ている。
保健所の機能をここまで悪化させたのは、あなた達だろうと言いたくなる。
橋下徹氏が知事、市長を務めていた時代から、保健所、病院などを縮小してきた。
橋下氏などは、看護師などの給与が高いと攻撃をしていた。
〝橋下徹が大阪市長時代に大阪市の看護師の給料が「高すぎる」「バカ高い」と攻撃〟(LTERA 2020.12.05)
府政・市政は府民・市民の健康と命を守るという覚悟が貧弱だと思う。柳美里さんのTwitterに
オミクロンに感染して、現在自宅療養中の私が言えることは、
「オミクロンは、断じて、ただの風邪ではない。インフルエンザより辛い」ということです。
体の弱い幼児やお年寄りが、わたしと同じオミクロンの症状に襲われたら、命の危機に瀕すると思います。
今日は、立春。
こんなニュースがありました(*^^*)
「立春とタマゴ」(NHKアーカイブス 1947年)
寒中見舞い
暑中見舞いは風習として生きているが、さすがに寒中見舞いを出すことは少なくなった。
二月四日は立春。
「暦をくれば春の日数に入り候へども、梅うぐひすなどかけても思ひよられぬ御寒さにおはしまし候をいかゞ暮させ給ふや。」
一葉の生前に唯一刊行された本『通俗書簡文』の文例。
活版印刷が普及しはじめたころ、このような手紙の書き方の本が多くつくられた。
二十四歳の一葉も時の大出版社博文館の編集者大橋乙羽(おとわ)に頼まれ、小説を書く手を休めて、生活のためこの「日用百科全書」シリーズの一篇にうち込んだ。
ついでにいうと、このときの編集を手伝ったのが、大橋乙羽の家に居候していた泉鏡太郎、鏡花である。
(『一葉の四季』森まゆみ 岩波新書 2001年)
明治29年に脱稿し、早々5月に出版、11月には一葉はこの世の人ではなくなる。こんなニュースがありました(*^^*)
「立春とタマゴ」(NHKアーカイブス 1947年)
寒中見舞い
暑中見舞いは風習として生きているが、さすがに寒中見舞いを出すことは少なくなった。
二月四日は立春。
「暦をくれば春の日数に入り候へども、梅うぐひすなどかけても思ひよられぬ御寒さにおはしまし候をいかゞ暮させ給ふや。」
一葉の生前に唯一刊行された本『通俗書簡文』の文例。
活版印刷が普及しはじめたころ、このような手紙の書き方の本が多くつくられた。
二十四歳の一葉も時の大出版社博文館の編集者大橋乙羽(おとわ)に頼まれ、小説を書く手を休めて、生活のためこの「日用百科全書」シリーズの一篇にうち込んだ。
ついでにいうと、このときの編集を手伝ったのが、大橋乙羽の家に居候していた泉鏡太郎、鏡花である。
(『一葉の四季』森まゆみ 岩波新書 2001年)
文字どおり血を吐くような最後の仕事となった。
「雪の上ふく風の寒さに春は炬燵(こたつ)のうちばかりと思ひ居りしを、御文ならびに好物の品たまはり御情(おんなさけ)のあたゝさを身にしめては、余寒(よかん)の冴ゆるも忘るゝやうに御座候」。
返事の例文。
病床の若い一葉はどんな気持ちで、こんなやさしい、相手を気づかう文例のかずかずを書いたのだろうか。 巻紙に毛筆で書き、使いの者に持たせていた手紙も、郵便制度の成立とともに形式や用具が変ってくる。
一葉はそんな時代の転換期に生き、官製はがきの便りも残している。
ほかにも、歌留多会のとき懐中時計を忘れていったのを返す手紙、初奉公に出て慣れない土地で淋しがる友を慰める手紙、暴漢に襲撃された紳士の妻を見舞う手紙、設定といい内容といい、とても実用文例とはいいかねるものが並ぶ。
一葉は実用書の執筆に文学的創造力を存分に生かした。
「余寒見舞の文」の次の項は「初午(はつうま)に人を招く文」。
「江戸に多いもの、伊勢屋稲荷に犬の糞(くそ)」といわれ、いずこの路地にもあった稲荷も減り、長屋中でソバを食べ、子どもには菓子を配った初午の祭りもとんと聞かなくなった。
(『一葉の四季』森まゆみ 岩波新書 2001年)春 理想の春
春立つといふばかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆるらむ
壬生忠岑(みぶのただみね)(拾遺集<しゅういしゅう>・春・一)
春になったと口にするだけで、雪深い吉野山も、今朝は霞(かす)んで見えるのだろうか。
藤原公任(ふじわらのきんとう)という人を知っているでしょうか。
紫式部や清少納言・和泉式部という指折りの作家たちとも知り合いの、平安時代中期を代表する文化人ですが、彼は、数ある和歌の中で、この歌こそ、最高の秀歌だとしたのです。
いったいこの歌のどこがそんなに優れているというのでしょうか。
「春立つ」は、立春のことで、暦(こよみ)の上で春になった日。
現在の暦では二月のはじめごろに当たります。
まだまだ寒い、というより一年でも一番冷え込むころで、しかも場所は奈良県南部の吉野郡の山岳地帯、雪深いことで知られるところです。
春らしい様子などどこにもない。
でも、そこに春の証拠が発見できた、とするのがこの歌なのです。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)
では、普通、春が来たことは何によって発見できるのでしょうか。
歌の世界では、霞こそが春の到来を表すものの代表とされました。
霞は霧と違うので注意してください。
和歌では、霧は秋の季節のもの、霞は春のものです。
それだけでなく、現象としても異なります。
春、日光によって地表面が温められるようになりますと、上昇気流が発生します。
これによって、地上の水分や細かな塵(ちり)などが舞い上がり、地表近くの空気を濁(にご)らせる。
冬の間は収まっていたのですね。
そして遠くのものをぼやっとさせます。
遠くのものといっても、高いビルやタワーがあるわけではありませんし、奈良や京都は盆地ですから、見えるのは山か空です。
それらがぼんやりと見えにくくなる現象が霞なのです。
冬の澄みきった空気と対照的で、たしかに春を実感するのにふさわしいですね。
かといって、自然現象としては、立春の日になったといって、すぐに霞がかかるわけではない。壬生忠岑(みぶのただみね)(拾遺集<しゅういしゅう>・春・一)
春になったと口にするだけで、雪深い吉野山も、今朝は霞(かす)んで見えるのだろうか。
藤原公任(ふじわらのきんとう)という人を知っているでしょうか。
紫式部や清少納言・和泉式部という指折りの作家たちとも知り合いの、平安時代中期を代表する文化人ですが、彼は、数ある和歌の中で、この歌こそ、最高の秀歌だとしたのです。
いったいこの歌のどこがそんなに優れているというのでしょうか。
「春立つ」は、立春のことで、暦(こよみ)の上で春になった日。
現在の暦では二月のはじめごろに当たります。
まだまだ寒い、というより一年でも一番冷え込むころで、しかも場所は奈良県南部の吉野郡の山岳地帯、雪深いことで知られるところです。
春らしい様子などどこにもない。
でも、そこに春の証拠が発見できた、とするのがこの歌なのです。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)
では、普通、春が来たことは何によって発見できるのでしょうか。
歌の世界では、霞こそが春の到来を表すものの代表とされました。
霞は霧と違うので注意してください。
和歌では、霧は秋の季節のもの、霞は春のものです。
それだけでなく、現象としても異なります。
春、日光によって地表面が温められるようになりますと、上昇気流が発生します。
これによって、地上の水分や細かな塵(ちり)などが舞い上がり、地表近くの空気を濁(にご)らせる。
冬の間は収まっていたのですね。
そして遠くのものをぼやっとさせます。
遠くのものといっても、高いビルやタワーがあるわけではありませんし、奈良や京都は盆地ですから、見えるのは山か空です。
それらがぼんやりと見えにくくなる現象が霞なのです。
冬の澄みきった空気と対照的で、たしかに春を実感するのにふさわしいですね。
あるいはそれ以前から霞んでいることだってある。
つまり春の到来を表す霞は、春らしい風景を待ち望む、期待感の表れなのですね。
早く春めいてほしいという願いが込められているのです。
その基本をまず押さえておきましょう。
和歌は現実をそのまま再現するものではありません。
むしろ、現実には簡単に得られないような、理想的な状態を追い求めるものなのです。 でもいくら理想を求めるといったって、現実をまったく無視してよいだろうか、それでは現実感がなくなってしまうのでは、と疑問に思うでしょうか。
そのとおりです。
昔の人だって、現実感は大事にしていました。
理想や期待感・願望にだって、リアリティは必要です。
そこで昨夜壬生忠岑は、こう詠むことを思いつきました。
立春になったと皆が言っている。
たしかに暦の上では春だ。
その証拠に、昨日まで雪が降り積もっていた吉野の山々にも、霞がかかっているのが見える。
こんな山奥にも、ちゃんと春はやってきたのだ。
いや待て、あれは本当に霞がかかっているのか?
春らしさを求める私たちの期待感が、そういう幻(まぼろし)を見させているのではないか?
でも、間違いなく霞がたなびいているのが見えるのだ……。 実際に霞はかかっているのか、そう見えているだけなのか、よく考えるとわからなくなります。
真相はぼんやりと謎めいてきます。
それこそ春の霞にふさわしいでしょう。
こういうのを「余情」といいます。
「よじょう」と読んでもいいのですが、昔の人はこれを「よせい」と呼んで、和歌の優れた表現のあり方として重視しました。
読み込むほどに歌の内容が深くなっていくような、そして心に染み込んでいくようは表現の働きのことです。
この場合では、期待感と現実の境目が消えてゆき、その間(あわい)に溶け込んでいくような読後感を指します。 ついでにいうと、「吉野」という土地柄も、この歌の余情を倍加しています。
応神(おうじん)天皇・雄略(ゆうりゃく)天皇といった神話的な時代から天皇の行幸(ぎょうこう)があり、離宮(りきゅう)が置かれていたといわれ、『万葉集』にも盛んにその美しさが歌われています。
そういう遥かな天皇の歴史の昔に思いを馳せるのにふさわしい場所なのです。
霞の向うには、歴史が霞んでいるのです。
壬生忠岑(みぶのただみね<生没年未詳>) 9世紀末から10世紀初頭にかけて活躍。
『古今集』撰者(せんじゃ)の一人。安綱(やすつな)の子で、歌人忠見(ただみ)の父。
家集(かしゅう)に『忠岑集』があり、歌論(かろん)『和歌体十種』の著者ともいわれる。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)今朝の父の一枚です(^^)v
昨日、食品売り場フロアに行くと買い物客ですごい混雑。
巻き寿司とイワシ売り場コナーでは、人を縫うようにしか歩けない。
怖くなって別の売り場でカツ弁当を買って、そそくさと逃げ出した(^^;)
父が毎日感染者数が多いのにボヤいていますが
食品売り場がお客さんで溢れていても、店員さんは、私のように逃げることができないし
会社に通勤している人は、電車やバスに乗らないといけない。
生活のために感染のリスクを知っていても働かないといけない。
私のように外出をできるだけ控えている者でも買い物には行かなければならない。
「マスクして50cm以内の会話 リスク高まる 富岳シミュレーション」(NHK 2月2日)
明日、Eテレで午後2時から「100分deパンデミック論」の再放送があります(^^)/