歩きはじめは黒い雲が陽をさえぎって風が冷たかったです。
それでも日差しが届くと暖かい。
春が近い気がしてきます。
そのおかげかアセビ(馬酔木)も咲き出していました。ブログの管理を見ると昨日の記事で3000になっていました。
今回は3001になります。
2013年からこちらのサイトを利用するようになりました
それまで記事をアップしていたサイトはサービス終了になりました(T_T)…
1時間程のリハビリ散歩で出会った草花や野鳥、虫たちなどを写して記事にしています。
プロフィールにあるように2011年7月31日に心筋梗塞を発症して、心臓の上半分が壊死してしまいました。
退院後はリハビリとして公園を歩いています。
歩くだけだとせっかちな性格なのでついつい歩くテンポが速くなります。
入院中も病棟の廊下を歩いていると、看護師さんから歩くのが速すぎると何度も注意されました。
で、被写体を探しながらキョロキョロして歩いていると自然とゆっくりになります。
また、オートフォーカスで写した方がピントが合うのですが
脳の活性化のためにとマニュアルで写していますが、ピンボケが多い(^^;)
また、野鳥を撮るには連写で撮影する方が多いようですが、シングルで撮影してしいます。
反射神経が鈍いのでシャッターチャンスを逃すことが多い(^^ゞ今朝のあさイチ「プレミアムトーク 作曲家・金子隆博さん▽朝ドラの音楽を担当♪」(見逃し配信:2月25日まで。配信していない映像もあります)
いつもなら録画を見終わった後に消すのですが、今回は、ダビングをしようと思っています(*^^*)
金子隆博さんは、42歳の時に難病に指定されているジストニアを発症して、サックスが吹けなくなってしまいました。
ジストニアという病名がわかるまで4年かかったそうです。
妻である美奈子さんの「暗くなるのはやめたい」、「じゃあ、何やる?」、「他のことやろう!」という発想が素敵でした。
金子さんが仰っていたのは、未曽有の出来事が人生で起こった時にどんな行動が取れるのか。
そして、最後に外山吉雄さんとのセッションも素晴らしかったです。こころの時代~宗教・人生~「“ほんとう”を探して」(再放送は、明日、Eテレ午後1時~)
小野和子さんのお話も素敵でした。
番組の最後に紹介されていたエピソード
震災から 僅か5か月後にあえて海辺で 被災の体験を語ってもらう場を設けるという提案をされました。今日こそ、ぼやかないでおこうと思ったけど
この記事を見たらあまりにも酷い
〝大阪市長「忙しくて先送りに」 感染者共有システムの外部委託不備で〟(産経新聞 2月18日)
9650万円という金額なので市長の決裁がなければ支出されないと思うのですが…
そして昨日、水道橋博士とのことを紹介しましたが
2016年5月3日に松井市長は、以下のツイートをしていたそうです。
公党・公人は、悪意の記事や誹謗中傷に耐えてナンボということです。
5月3日ということは「憲法記念日」にちなんでのツイートなのでしょうね。先人たちの底力 知恵泉 温泉スペシャル(1)「文豪たちの名湯活用術」
川端康成、夏目漱石、与謝野晶子のエピソードが紹介されていました。
その中で与謝野晶子の「若き人人に」(『愛の創作』)が紹介されていました。
読みたいなと思ったのですが、文庫本などには収録されていないようです。
検索すると国立国会図書館で読むことができました。
転記したいと思いますが、いつものように転記間違いがあると思いますm(__)m愛の創作
若き人人に
人生の進歩と云ふことは、同じ軌道を汽車が踏んで走るのと違ふ。
反対に在来の軌道を踏みはづすことで無ければならない。
其処に新しい活動、新しいリヅム、新しい線が創造される。
それが真実の「進歩」名に値する。
(「『愛の創作:感想集』与謝野晶子 アルス 大正12年」国立国会図書館) 軌道を踏みはづすことは勿論冒険である。
冒険は至極結構。
冒険を敢てせねば進歩は無い。
大人は冒険を怖れる。
老人は一層怖れる。
彼等は「常軌を逸する」と云ふ言葉を堕落の意味にのみ悪解して、それを正当に且つ善意に解釈することを忘れる。
その故は、彼等の生命が疲労し、倦怠して、冒険の勇気と創造の能力を失つてゐるからである。 大人と老人との多数には進取が無くて保守ばかりがある。
彼等は昔から何かを発明したか。
彼等は人生の下り坂にある者である。
彼等の筋肉は硬ばり、彼等の魂は憶病になつていゐる。 大人と老人との多数は進歩を嫌ひ且つ拒む。
少くとも彼等は進歩の邪魔物となる。
彼等とても「進歩」を口にすると共に「進歩」の設計をもする。
併し、彼等の云ふ所の、且つ為す所の「進歩」は「保守」の洗ひ張りか、さもなければ「保守」の上に加へる「進歩」の鍍金である。 大人と老人とは安全を顧慮し過ぎる。
大事を取り過ぎる。
自分達のその臆病と、冒険性の麻痺と、創造能力の欠乏とを言葉巧みに掩ひ隠す技術だけが彼等に発達してゐる。
彼等とても青年と共に冒険を云為しないでは無い。
併しながら、衆目が見て明かに冒険を必要とする場合にでも、大人と老人とは利口に立廻り、決して青年と冒険の第一線に進出しない。
彼等は後方にゐて日和見する。
さうして、青年の冒険が未だ成らずるに於ては百方ケチを附けて悪罵し、その既に成るに於ては、労せずして愧づる所無く、青年の冒険の収穫を自己の上に利用する。 人間は、古い生活の様式から全く脱しきれる者で無い。
また脱しきる事を必要としない。
古い様式は人間の母胎である。
人間は其処から生れて必要な限に於てその古い様式を参酌する。
併しその一本の軌道を襲踏して前行しようとは思はない。
赤ん坊を見ると、彼は少しく古い様式を採りながらも最も多く彼自身の様式――新しい持前の様式に依つて生きようとしてゐる。
古い様式の生活者たる大人や老人から見れば、赤ん坊は初めから脱線して生れて来た新人である。
「後生畏るべし」と云つた孔子の言葉は好い。
赤ん坊はすべて改革者である。 赤ン坊がその持前の新しい様式の軌道に自由に就くことを拒んで、僭越にも、大人と老人とが彼等自身の生活様式の軌道を踏まさうとするのが従来の教育である。
個性の自己活動が早くも赤ン坊時代から妨げられる。
けれども、魂も肉体もみづみづしい人間の内から押出す旺盛な力は強い。
大人と老人が因習の軌道を強制しても、それに従ふやうに見えながら、その強制に抵抗して、内内で、意外に彼等の自己を主張する。
彼等は自己の鋭敏な感覚であらゆる新味を受容する。
触れるもの、聴くものから新しい世界を感得する。
なんと云ふ尖つた直覚と、豊富な幻想と、芳烈な熱情と、雄健な創造力とを持つてゐるのであらう。
かくして古来の地上に最も価値ある事業の大部分は、青年の頭脳と、心臓と、筋骨とから作り上げられた。 人は青年期が改革的精神の頂上である。
この花季を過ぎると、人は体的にも、心的にも発育が止まつて下り坂に入る。
例外もあるが、大多数の人は、一旦青年期に創造した新しい生活の深化と、仕上と、維持とに壮年期以後を送るのである。
一言で云へば「守成」の人となるのである。「守成」は決して最早新しい生活では無い。
同じ軌道を走るものである。
人間全体の生活が上滑りするのを防ぐ消極的配剤としては、或限度まで「守成」を基調とする人間が青年と並んで共存することは望ましい。
クラシツクの思想の好い点は其処にある。
併し限度を越えて「守成」の人が社会に勢力を持ち過ぎると、人生の進歩は遅滞し、それが久しきに亘ると、社会は下落する。
青年の改革的精神が窒息させられるからである。
「世の中が行詰る」とは此状態を云ふのである 我国に於る近年の「改造」の叫びは、決して青年の叫びで無かつたと私は思ふ。
「守成」の精神に「進歩」の鍍金を掛けた、下り坂の、創造能力の枯渇した、多数の大人と老人とが、鬼の念仏のやうに心にも無い「改造」の叫びを、後方の安全地帯から揚げたに過ぎない。
依然として多数の青年は彼等「守成」の人人の踏台にされて、息苦しい日を送つてゐる。
政界にも、財界にも、教育界にも、まだ老人、中老人の勢力が頑張つてゐる。
まだ何処にも青年の潑刺とした改革的精神の爆発が現はれない。
かくして日本人の現状は益益行詰る。
私は行詰れ、行詰れと思ふ。
其後に来る青年の手に真実の「改造」の炬火が捧げられねばならない。
(1922.5.19)
(「『愛の創作:感想集』与謝野晶子 アルス 大正12年」 国立国会図書館) 巻第五 子罕第九 23
子の曰わく、後生(こうせい)畏(おそ)るべし。
焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ)の今に如(し)かざるを知らんや。
四十五十にして聞こゆること無くんば、斯(こ)れ亦た畏るるに足らざるのみ。
先生がいわれた、「青年は恐るべきだ。これからの人が今〔の自分〕に及ばないなどと、どうして分かるものか。ただ四十五十の年になっても評判がたたないとすれば、それはもう恐れるまでもないものだよ。」
(『論語』金谷 治訳注 岩波文庫 1963年)
今朝の父の一枚です(^^)v
コゲラ(L15cm)
…前略…
[生活]
近年は都市緑地が見直されている。
住宅地の中にも緑が確保されていくうちに、コゲラは都市へ進出してきた。
小さいのでかたい生の木に穴を掘ることはできないが、一部の枝でも枯れていれば、これをめざとくみつけて巣穴を掘る。
都市部でも木々が成長してきて、枯れ木や枯れ枝が増えてきたのかもしれない。
危険がなければこうした木を残しておきたいが、生の木に人工的に枯木の一部をくくりつけ、コゲラに巣をつくらせた例もある。
ヤマガラなどの小鳥はコゲラの古巣をよく利用するが、上信越地方より北では、ニュウナイスズメがコゲラの卵をくわえ出し、使用中の巣穴を乗っ取ってしまうこともある。
コゲラはつがいで直径300~500mのなわばりをもつので、小さな鳥とはいえ、せまい緑地にそうたくさんすむことができない。
なわばり争いでキキキキと鳴いて首を振ったり、翼を半開きで振るわせたりする。
春には他のキツツキ同様、ドラミングを行うが、コゲラのそれは短くて音も弱い。
初めて聞くと、さしずめカエルのいびきといった印象である。
繁殖期、夜は主にオスが卵を抱いてあたため、昼はつがいが交代で抱く。
ヒナは成長して巣立っても、ときには7ヵ月も親元を離れないという。
3羽のコゲラがひとつの巣のヒナを育てていたという観察例があるが、甘えん坊がいつまでも親のそばにとどまる口実として、弟や妹を育てる手伝いをしていたのだろうか。
(『鳥のおもしろ私生活(旧版)』ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)