2022年2月24日木曜日

まだまだ寒いけど…

今朝も寒いけど風があまり吹いていなかったので助かりました。
一方、明日からの入学試験が大変です。

新千歳空港 足止めの客が運転再開した列車へ 受験生にも影響」(NHK)
大阪はにわか雪程度ですが
札幌 北区のホームセンターでアーケードの屋根倒壊」(北海道NHK 2月23日)

荒木健太郎さんのTwitter(2月23日)に

雪の重さは想像しにくいので描いたもの。
新雪だと積雪1cmで降水量約1mmですが、
実際には上に積もる雪の圧密で降水量約3mm相当です。
豪雪時に4m積雪すると1m四方で100kgの小ぶりな力士が12人(1.2t),
6m四方の屋根で432人分(43.2t)の重さに。
雪は案外重いので雪下ろし中の事故も含めて危険なのです。

(図:6m四方の屋根に4m積雪している場合の重さ

積雪深4mになることはあまりないので、
雪の重さを説明するときは積雪深2mで1m四方あたり小柄な力士6人、
6m四方で216人(21.6t)と説明しているんですが、
封印していた4mバージョンを使える状況になるとは…。
実際に解析された積雪重量もほぼ同じ。

すごすぎる #天気の図鑑 

(図:「2mの積雪」の重さは小柄な力士6人ぶん!
プーチン氏は「天才」 トランプ氏が称賛〟(JIJI.com 2月23日)
彼はいつもウクライナを欲しがっていた。私は『それはできない』と言ったが、欲しいのは分かった
分っていながらなんの手立てもしなかったのだろう。
2019年にプーチン大統領と会談した際に暗黙の了解をしていたと勘ぐってしまう。
自国中心主義のトランプ氏は、ロシアや中国が台湾侵攻をしても黙認していたと思う。
この記事を書いている間にも速報で
プーチン氏、「軍事作戦」実施を表明 ウクライナ外相「侵攻始まった」〟(BBCNEWS)
と流れています。


2021年8月放送の100分de名著「戦争は女の顔をしない アレクシエーヴィチ
戦争は女の顔をしていない』より澤地久枝さんの「解説 著者と訳者のこと」を転記したいと思います( ..)φ
なお岩波現代文庫のサイトで「試し読み」ができます。
 解説 著者と訳者のこと  澤地久枝

 2015年度のノーベル文学賞は、ベラルーシ出身のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチにきまった。
 意外にと思った日本人は多いのではないか。
この人の名前にはじめてふれた人もすくなくないと思う。
 1948年(日本の敗戦の3年後)、母の故郷ウクライナで生まれた。
育ったのは父の故郷ベラルーシである。
ベラルーシはかつて、白ロシアとよばれていた。
 『戦争は女の顔をしていない』は彼女の第一作である。
(『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著、三浦みどり訳 岩波現代文庫 2016年)
 彼女について書く前に、どうしてもふれずにはいられない人がある。
ロシア語のすぐれた通訳であり翻訳者であった三浦みどりさんのこと。
 わたしは1987年6月のシベリア再訪以来、同行通訳に三浦さんをお願いし、以来旅をかさねてきた。
彼女は名前を出さず「Y」で通した。
 三浦さんはロシアに長年の友人を持ち、彼や彼女たちの病気や貧しさに心をくだいていた。
彼女のテーマは迫害されている「チェチェン」であり、故郷を追われているスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチであった。
 ベラルーシと言われて、はじめはどこなのか見当もつかない感じだった。
しかし、シベリアのナホトカ滞在中、わたしたちは土地の映画館に通って、3時間の長篇『ざんげ』や『禍いのしるし』『キン・ザ・ザ』を肩を寄せあって看た。
 ロシア語はまったくダメなわたしに、三浦さんはおさえた声で会話の要点を伝えてくれる。
ソ連時代であったが、この内容でよく上映されたと思う世界が画面にひろがった。
 1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻により、第二次世界大戦がはじまる。
1941年6月独ソ開戦。
スターリン独裁下のソ連は、モスクワ近くまでドイツ軍に攻めこまれた。
政治の失敗、絶対的独裁のツケが人びとを襲う。
 『禍いのしるし』の舞台はドイツ占領下の白ロシアである。
ドイツ軍の暴威はおそるべきものだが、市民を襲ったのは自国の党幹部がナチスに変身し、身近なロシア人をつぎつぎにスパイ、あるいはパルチザンとして告発したことだ。
 一夜にして旗をとりかえ、民衆の敵になって民衆を売った。
 初期に占領された土地は、自由になるまで(祖国の解放まで)どの土地よりも長い時間、ナチス・ドイツの跳梁下におかれた。
ベラルーシやウクライナは、ドイツ軍と民衆の敵となった同胞によって踏みにじられた土地であった。
「自由」などはない。
 戦争が終ったあと、その土地で生れ、直接には戦争を知らないアレクシエーヴィチが、ひろく女たちの証言を聞き歩き、年へて文章にまとめた背景に、この「政治」があった。
 彼女のノーベル文学賞受賞を誰よりも喜ぶはずのみどりさんは、もういない。
三年前、2012年12月に亡くなっている。
 葬儀は多摩葬祭場であり、夜ふけて不安になるほど暗く遠い道を多摩墓地近い祭場へ行った。
アレクシエーヴィチがその3年のちにノーベル文学賞をおくられると誰も思わなかったはずである。
 知りあって数年後、三浦さんは結婚して奥井みどりになっている。
「どんなひと?」と聞いたら、「こういうひとと結婚したらすばらしいとずっと思っていたひと」と言う。
理学方面のロシア語専攻のひとだった。
 その夜、喪主はしょんぼりしていて顔を見られない。
三浦さんは手当て療法にこっていて、わたしも一度だけその「道場」に参加したことがある。
告別の席には療法のリーダーの姿もあった。
 「みどりさん、ひどく痩せたので心配していましたが……」
 「医者へ行けと言っても、そんなことを言うなら離婚すると言われて。わたしはなにもできなくて心残りです……」
 腹部のガンだった。
(『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著、三浦みどり訳 岩波現代文庫 2016年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^^)v
モズのメスを写しています。
猛禽なんだけどメスは優しい顔を見せてくれるときがある。
一方、人間のオスは…

もず【モズ】
…前略…

 奈良時代から〝もず〟の名で知られている。
「万葉集」巻十、2167「秋の野の尾花が末(うれ)に鳴く百舌鳥(もず)の声聞くらむか片待つ吾妹(わぎも)」では、〝もず〟が秋の野のススキの茎の先に止っているのが詠われている。
モズはふつう木の枝の先に止まるが、木のない草原では丈の高い草の茎の上に止まる。
1897「春されば百舌鳥の草ぐき見えずとも吾は見やらむ君が辺(あたり)をば」には「もずのくさぐき」が詠まれている。
「くさぐき」は、ふつう「草の中に潜(くぐ)る」ことといわれているが、大言海では「木の枝の繁みに潜ること」としている。
春になって〝もず〟が繁みに入って姿がみえなくなることを「もずのくさぐき」といい、「見えず」の序になっている。
…後略…
(『図説 日本鳥名由来辞典』菅原 浩・柿澤 亮三編著 柏書房 1993年)