2020年4月16日木曜日

クマバチもパトロールを始めたp(^^)q

歩き出したときは、ひんやりしていたのに
日ざしが当ると木陰を探すほど…
クマバチも飛び出してパトロールを始めましたp(^^)q
クマバチのオスの習性」(小学3年)
 「熊本地震 本震から4年」(NHK 熊本)
1回目の地震の後、自宅に戻って被害にあった方がいました。
当時は、1回目が本震で、次に余震が起きると思っていましたよね…
今、地震や豪雨の災害が起きないように祈るばかりです。
4月から公園の指定管理者が代わったので、駐車場のスタッフに会えなくなりました。
また、公園内で顔見知りになっていた作業員の方とも会えないなと思っていました。
その方が車から降りてきて挨拶をしてくださった。
部署は変わられたのですが、公園での仕事を継続できたそうです。
いつも公園内を巡回しながら樹木の状態などを点検されています。
その時に、ゴミなども見つけて拾っておられます。
公園の管理をしてくださっているみなさんのおかげで
気持ちよくリハビリ散歩を続けられているとお礼をいいました。
防護服代用の雨がっぱ 寄付届く」(関西NHK)
医療スタッフの感染を防止しないと大変なことになるのに
防護服やマスクが不足する状態になっているのはなぜなんだろう…
布マスクを明日から配達されるみたいだけど
優先順位は、医療の現場や介護の現場などだと思う。
中国で感染拡大が起きているのを見ていながら何をしていたのだろう。

米国大統領は、「COVIDー19」に国の名前をつけて〇〇ウイルスと言ったり
日本の副総理兼財務相が〇〇ウイルスと地域名をつけて発言しているけど
それは、失策を隠蔽するためだと思う。
国民が、モリカケや桜で政府の隠蔽や改竄を許してきたことが
コロナへの対応の遅れとなっている。
Eテレ「緊急対談 パンデミックが変える世界〜歴史から何を学ぶか〜」の中で
磯田さんやヤマザキマリさんたちが、
政府の対応の遅れについて直言されていたけどEテレだから放送できたと思う。

情報を統制している国は、中国だけではないようです。
新型コロナ報道めぐり38国以上で検閲や拘束 国境なき記者団」(NHK)
この危機の時代には、国際的な協力と知恵が必要だと思います。
ウイルスには国境などない!忖度もない!

こんな方法があったのかと思ったのが
布マスクフィルター注目集める」(NHK 関西)
いろんなアイデァを出し合うことが、人類が生き残るために必要になっていると思います。

日本文学史序説<上>』より「『古今集』の美学」の続きを転記しますφ(..)
何度か読み返しているのですが、そのたびに、新しい発見があります。
というか、転記することで理解していなかったなぁと実感しました(^^ゞ
 抒情詩のイデオロギー的背景、殊に仏教との関係が、『古今集』の時代に根本的に変ったとは思われない。
諸国に国分寺をつくり、東大寺の大仏を開眼した八世紀の仏教思想は、その痕跡をほとんど『万葉集』に残していなかった。
仏教的な彼岸への関心は、『古今集』の歌にも、ほとんど反映していないし、空海が見事に展開し、比叡山がやがて洗練するであろう「空観」に到っては、ほとんど全くその影響を及ぼしていない。
(『日本文学史序説<上>』加藤周一 ちくま学芸文庫 1999年)
  よのなかは夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ(巻十八、942、よみ人知らず)

 これが唯一の例外である。
むろんこの他にも仏教に影響されたらしい歌が、いくらかある。
しかしその数は、100首のなかの一首にも足らない。
しかもその内容は、人生夢の如しといい、憂き世を捨てて山に入ろうというものであって、たとえ仏教を知らなくても持ち得る感想にすぎない。
哀傷歌(巻十六、『万葉集』の挽歌に相当する)のなかで、殊に感動的なのは、在原業平の作とされる次の一首である。
  つゐにゆく道とはかねてきゝしかどきのふけふとはおもはざりしを(861)

 もちろんこれは仏教と関係がない。
仏教が国教であったときに、そして仏教美術が頂点に達し、仏教哲学が高度の思弁的洗練に到ったとき、日本語の抒情詩集が徹底して世俗的であったという点では、『万葉集』と『古今集』との間に大きなちがいはなかった。
 重大なちがいは、抒情詩の題材、共通の主要な題材である「恋」の内容、時間に対する態度、感覚的洗練の程度であり、つまりところそれらの全体に係る『万葉集』と『古今集』との美学の対照にあった。
 題材の概略は、歌の分類法と各範疇の歌の数によって、窺うことができる。
『万葉集』の歌の圧倒的多数は、恋、あるいは少なくとも男女関係をうたい、四季によって歌を区別することは、『万葉集』二十巻のなかで、わずか二巻(八巻・十巻)が「四季雑歌」と「四季相聞」を立ててたにすぎない。
しかも「四季相聞」は、四季の風物に寄せて恋を語ったものであり、「四季雑歌」の多くも恋に係る。
しかるに『古今集』はその二十巻のうち、五巻を「恋」にあて、六巻を「四季」にあてて、しかも後者を巻頭におく。
その歌の数も、ほとんど同じである(「恋」360首、「四季」342首)。
「四季」の歌のなかには、季節の風物に寄せた恋の歌らしきものもあるが、『万葉集』の場合とはちがって、大部分は恋とは関係なく、季節感を詠じたものである。
たとえば紀貫之の春の歌。
  袖ひじてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん(巻一、2)

 これは『万葉集』に稀で、『古今集』に典型的な題材である。
このような新しい題材(季節の花鳥風月)を「恋」と同じ程度に重視した『古今集』の美学は、あきらかに『万葉集』のそれとはちがっていた。
あの有名は「日本的季節感」――やがて俳句の季題にまで及ぶところの――は、ここにはじまる。
また「日本的な自然愛」とよばれているものも、おそらくはここにはじまるのである。
 『記』・『紀』の伝える「古代歌謡」が人事、それも男女関係に集中していて、ほとんど全く「自然」を詠っていないことは、すでに述べた。
『万葉集』の歌人たちが、主として人事に係るかぎりで、身辺の自然的環境を描き、大洋や高山や野獣の住む森に触れていないことも、すでにいった。
それが八世紀中葉までの事情であった。
九世紀の『古今集』の歌人たちは、決して新しい「自然」を発見したのではない。
『万葉集』の歌人が、彼らの恋を託するために詠った花や鳥や風や月を、恋をはなれても、それ自身のために詠うようになったにすぎない。
すでに『万葉集』の時代の職業的歌人、山部赤人には、そういう傾向が見えていた。
なぜなら職業的歌人の日常的活動は、非日常的な恋の感情のみを動機としては、成り立つはずがなかったからである。
『古今集』の歌人の多くは、四人の撰者の場合に典型的なように、多かれ少なかれ和歌を専門とした知識人である。
しかもそこに「歌合」が加わり、その他の社交的歌作の機会が加わった。
赤人の流儀が継承され、拡大強化されたのは、当然である。
しかもその拡大強化は、宮廷と貴族社会――奈良時代よりもそれ自身規模を拡げてきたところの――内部でおこった。
赤人は遠く旅をして、少なくとも彼自身の眼で道中の自然を見ていたが、『土佐日記』の貫之は、海路土佐から都に到る長い旅の間に、都を恋い慕うばかりで、道中の自然に何らの注意も払っていない。
貫之の眼には碧い海も、朝の太陽も、雨に煙る山々も、吹雪に荒れる野原も、見えなかったらしい。
思うに「日本的な自然愛」には注意する必要がある。
少なくとも貫之が「自然」を愛していたということはできないだろう。
彼が愛していたのは、都の春の水、都の花、その春雨、春霞、竜田山のもみじと秋風である。
彼が春・秋の歌のなかでうたった花は、おどろくなかれ、六種類しかない(さくら、梅、山吹、おみなえし、ふじばかま、菊)。
小鳥に到っては、二種類(うぐいすとほととぎす)。
貫之が花を愛し、小鳥を愛していたとは考えにくい。
彼は何を愛していたのだろうか。

おそらく「自然」をではなくて、言葉をであろう。
ほととぎすという鳥ではなくて、ほととぎすという言葉、物ではなくて、物の名。
故に『古今集』は「物名(ものゝな)」一巻(巻十)をたてていた。
しかも貫之は『古今集』の歌人のなかの例外ではない。
それどころか、撰者にして、しかも集中歌数のもっとも多い代表的な歌人である。
赤人の場合にかぎらず、『万葉集』には旅の歌が少なくなかった。
旅の風物を見ようとしなかった貫之の場合にかぎらず、『古今集』の専門的歌人たちは、旅の「自然」に関心をもっていなかった。
「羇旅(きりょ)」の歌は、わずか16首、「物名」の47首にもはるかに及ばない。
しかし「日本的季節感」と「日本的自然愛」の型を決定したのは、まさにこのような最初の勅撰和歌集にほかならなかった。
 かくして必然に「歌枕」の時代が来る。
「歌枕」こそは自然的環境に対する関心が、第一義的に、風景そのものの美に向けられていたのではなく、むしろ繰り返し歌にあらわれたその風景の名まえに向けられていたという、まさに「日本的」な傾向の集中的表現である。
かくして平安時代の歌人は、行ったこともない「歌枕」の「自然」、たとえば白河の関の秋風を詠い、画家は、見たこともない「名所」、たとえば日本八景の「自然」を描くようになる(『明月記』)。
そういう「自然愛」の伝統は、その源を『万葉集』にではなく、『古今集』にさかのぼるのである。
(『日本文学史序説<上>』加藤周一 ちくま学芸文庫 1999年)
今朝の父の一枚です(^^)v
サトザクラも散り出して、ハナミズキが咲き出した道。
父と母が通っていた道です。