今朝もひんやりとしていましたが、
風がほとんど吹かなかったので
日向にでると暖かかったです(^^)v
アメリカザイフリボク(バラ科)の花が咲き出しました♪
明日にも「緊急事態宣言」が発令されそうですね。
「外出自粛」から「外出制限」もしくは「外出禁止」になるのかな?
「いま、拡散してほしいこと(4/5現在)」(コロナ専門家 有志の会)
この中にも、
「外出は、散歩、ジョギング、食料品の買い出し、通院、行く必要のある仕事程度にとどめてください。」
と書かれていますが、外出禁止となると、心筋梗塞や脳梗塞などのリスクが高まります。
「外出自粛で高齢者の健康に影響懸念 新型コロナウイルス」(NHK)
もりまゆみさんのTwitterに
この人が辞めるまでリツイート辞めない。
国土交通省も対岸の火事じゃないよ、服に火がついているよ。
と怒りの書き込みがありましたが、責任逃れもいいとこです(; ・`д・´)
今は、書き直しているようですが、最初にアップしていたのが
「国は自粛要請をしています。感染拡大を国のせいにしないでくださいね」
さらに悪質なのは
〝佐々木国交政務官、感染学生「どこに入社するのかな」とツイート〟(毎日新聞)
学生たちは、帰国時に検疫を通過しているのにチェックされなかった。
それだけ日本の検疫体制は甘いということにもなるのだと思います。
その責任は国土交通省にあるのではないでしょうかね。
この方は、ご自身の責務について認識が甘すぎます。
嫌中・嫌韓の報道をする産経新聞でさえ
「韓国、シンガ、台湾…スピード最優先で新型コロナ押さえ込み」(4月4日)
『ユリイカ臨時増刊 総特集宮沢賢治』(1977年刊)に水木しげるさんがエッセイを寄稿しています。
エッセイなので宮沢賢治の研究ではありません(*´▽`*)
読んでいて、水木さんは愛すべき畸人だと思うのですが、
どうも水木さんよりももっとユニークな方がいるようです。
水木さんが「人間ばなれのした人」とまでいう人とは…
私は学生時代から、その方の漫画の愛読者なのですが(^_-)-☆
動物や虫たちの話 水木しげる
だいたい犬や猫がなにを考えてくらしているか、ということは大きな問題だ。
いや、犬猫に限らない。
雀とか虫の類が人間とは別の言葉をもって、自分たちの世界をかたりあっているわけだが、人間にはひとつも分からないのは残念なことだ。
(『ユリイカ臨時増刊 総特集宮沢賢治』編集 清水康 青土社 1977年)
分からないものだから、多分、バカだろうというようなことになっているようなふうだが、彼等は別にバカでもない。
ぼくは先日、机の上に蟻がたくさん横行しているので、不思議に思って観察すると、ぼくがくずかごに捨てたあめ玉の残りかすに集っていることを発見した。
大切な仕事机が通路に使われていたわけだ。
ぼくはしばらくじっとみていたが、なかなか立去ろうとしないので、宮沢賢治なんかはしないだろうが、ぼくは残忍だから、みせしめのためにマッチをすって、一匹ずつ焼き殺した。
蟻たちは友達が変貌したものだからひどくあわてて、友達のやけどの様子などを調べたりして、お互いに話しなんかしていたが、どうやらその机では仕事ができないので、蟻たちの死体をそのままにして、別の机で仕事をやり、あくる日、蟻の死体はどうなっているだろうと机をみると、なんと一匹も死体がないではないか。
おどろいたぼくは、早速家内に、掃除をしたかどうかをたしかめると、二、三日は掃除していないというぐうたらな返事だった。
……すると蟻たちは、自分たちの死体をとりかたづけ、或いは葬ったのかもしれない。
ぼくは不思議に思い、またあめ玉のカス(カスというのは小さくなったあめ玉のこと)をくずかごに入れて、あくる日、机の上をみると、やはり蟻たちが行列を作っているのだ。
ぼくはまたマッチで、二、三十匹焼き殺し、その机をそのままにして寝た。
そして、あくる日机の上を見ると、死体はきれいにかたづけられ、蟻の足一本残っていなかった。
彼等はやはり、人間と同じように死体をとりかたづけるわけだ。
ただ、言葉がわからないから通じないけれども、ココロはあるわけだ。
即ち、虫には虫の言葉があるわけだ。
賢治の童話に「やまなし」というのがあるが、カニがヘンな言葉でしゃべったりするが、これは本当にあることだと思う。
蟻が言葉らしきもので連絡しあって、死体をかたづけたように、カニにもやはり言葉はあるわけだ。
ぼくの家のまわりには雀がいるので、家内はいつもパンの残りを箱に入れて棚において雀に食べさせているが、強いの独占しようとしたり、仲よく食べたり、話したりしている。
「鬼ごっこ」ではないだろうが、それらしきこともしている。
みていると人間とさして変りないようだ。
七、八年前の話だが、かの、つげ義春氏がそば屋の二階に間借りしている頃、つげ氏は寝イスを買って一日中横になっているのが唯一のたのしみだったようだが、あまり静かで無人だと思ったのか、或はつげ氏の心が雀とかよったのか、雀が毎日遊びにくるようになり、始めは窓のあたりにきていたらしいが、しまいには寝イスのまわりを廻ったりして、安全をたしかめたのか散歩していたのか知らないが一週間ばかり毎日遊びにきたらしい。
間もなく、ヒザの上で遊んだりしていたらしいが、信頼できる人間だと思ったのだろう、しまいには、ワラなんかをくわえてきて、つげ義春先生の腹のあたりに巣を作ろうとしたので、つげ氏もあわてて立ちあがったらしいが、いずれにしても雀が遊びにくるというのは大変めずらしい話である。
ぼくはつげ氏にその話をきいて「ぜひマンガにすべきです」といったのだが、いまだマンガになっていない。
雀だって言葉が分からなくても、人間ばなれのした人とは友達になれるわけだ。
(「人間ばなれのした人」に脇点「、、、、、、、、、」。以下同じ)
この宮沢賢治も「鹿踊りのはじまり」とか猫なんかの出る童話なんかみると、やはり言葉が分からなくても友達だったわけだ。
彼の童話はいずれもすがすがしい微笑をさそうわけだが、「雨ニモマケズ」などを読んで感激した人たちが、いつしか聖宮沢賢治にしてしまうと、せっかくすがすがしい微笑をさそう童話がなにか重苦しいものに感じられるからおかしなものだ。
いわゆる、「真を求めそのために詩を失う」といった感じだ。
ぼくは彼は東北の「ムラビト」にしておいた方がはるかに味わい深いものだと思う。
(『ユリイカ臨時増刊 総特集宮沢賢治』編集 清水康 青土社 1977年)
今朝の父の一枚です(^^)v
先日は、池の石垣でしたが、今度は別の場所の石垣にシジュウカラが隙間をのぞき込んでいたそうです。
不安な時に、心を癒してくれるのは音楽や映画、読書などの芸術だと思う。
Brut JapanのTwitterに
COVID-19の脅威と最前線で戦う世界の医療関係者たちのために、ヴァイオリン奏者ルノー・カピュソン、チェロ奏者のヨー・ヨー・マやシェク・カネー=メイソンなど世界中で活躍する24人の音楽家たちが、「動物謝肉祭」(カミーユ・サン=サーンス作曲)の演奏を贈る。(冒頭英語字幕)