顔見知りの男性がスマホで撮影した画像を見せてくれて
石の裏に花が咲いていたと嬉しそうに教えてくださった。
この場所は、数年前、ワンちゃんを連れた女性が花を添えて手を合わせていた。
その時の種が落ちて花が咲いたのか?
それとも花を植えられたのか?
女性に声をかけて確認していないけど
ペットのお墓にされていたと思いますと伝えるとニコニコされていました。
昨日は、エープリルフールだったけど、
「1住所当たり2枚の布マスクを配布の方針 安倍首相」(NHK)
1住所に2枚ですか…
少子化問題に取り組んでいるはずなのにどういう計算なのかな?
1世帯の家族数は2人だと…?
「新型コロナウイルス感染症対策本部(第25回)」(首相官邸)
ちなみに私は、マスクにティッシュを挟んで使っています。
感染症の防止には、無理があるかもしれませんが、
感染拡大に少しでも効果があるかなと思っています。
「警視庁警備部災害対策課」(2018年10月26日)のTwitter
「中学生の手作りマスク 高齢者施設や児童養護施設などに 甲府」(NHK)
妃さんの手作りのマスクをつけた皆さんのにこやかな様子と、首相の姿をついつい比べてしまう。
そして
「この一枚が皆様のお役に立ったら嬉しいです!
マスクは手洗いでお願いします。
手洗い、うがいは念入りに♡
※マスク作成時にはそのつど手指消毒をしてから作りました。
妃より 」
というメッセージに心を込めて作っていたことが伝わってきます。
妃さんがメッセージの中に書いているように手洗いが一番の予防対策です。
今村顕史さんのTwitterに
「手洗い」は、いろいろな感染症に効果のある万能な予防対策。
もちろん新型コロナにも有効です。
自然災害と異なり、感染症で『水』の供給は止まりません。
単純なことを繰り返す...そこに活路があるのです。
妃さんの活動も素敵ですし、
「4年間伸ばした髪の毛 小6男児が寄付 岩手 宮古」(NHK)
女の子ならそんなに抵抗がないと思うけど、
男の子がするのには周りの理解と応援がないとできないと思う!
ヘアドネーションの活動もコロナの影響で活動を休止しているそうです。
「ヘアドネーションの受付一時休止の継続について」(JHD&C)
今朝のNHKの「おはよう日本」の中で、
「不要不急の外出」について視聴者からの質問に答えていました。
外出自粛といっても、1歩も外に出てはいけないということではなく、外に出ただけ、人とすれ違っただけでは感染しないので、食料などの買い物や気分転換のための散歩はしてもよい。
〝専門家「『3つの密』を徹底的に避けて」 新型コロナ〟(NHK)
緊急事態が宣言されると外出禁止になるのかな?
芥川龍之介の「捨児」を転記をします(最終回)。
「その後のことは言わずとも、大抵お察しがつくでしょう。勇之介は母親につれられて、横浜の家へ帰りました。女は夫や子供の死後、情(なさけ)深い運送屋主人夫婦の勧(すす)め通り、達者な針仕事を人に教えて、つつましながら苦しくない生計を立てていたのです」
(『芥川龍之介全集 第五巻』編集者:伊藤整、吉田精一 角川書店 昭和43年)
客は長い話を終ると、膝の前の茶碗をとり上げた。
が、それに脣(くちびる)は当てず、私(わたし)の顔へ眼をやって、静かにこうつけ加えた。
「その捨児が私です」
私は黙って頷(うなず)きながら、湯ざましの湯を急須(きゅうす)に注(つ)いだ。
この可憐(かれん)な捨児の話が、客松原勇之介(まつばらゆうのすけ)君の幼年時代の身の上話だということは、初対面の私にもとうに推測がついていたのであった。
暫く沈黙が続いた後(のち)、私は客に言葉をかけた。
「阿母(おっか)さんは今でも大丈夫ですか」
すると意外な答えがあった。
「いえ、一昨年歿(な)なくりました。――しかし今お話した女は、私の母じゃなかったのです」
客は私の驚きを見ると、眼だけにちらりと微笑を浮かべた。 「夫が浅草田原町に米屋を出していたということや、横浜へ行って苦労したということはもちろん嘘じゃありません。が、捨児をしたということは、嘘だったことが後(のち)に知れました。丁度母が歿くなる前年、店の商用を抱えた私は――ご承知の通り私の店は錦糸の方をやっていますから、新潟界隈(かいわい)を廻って歩きましたが、その時田原町の母の家の隣に住んでいた袋物屋(ふくろものや)と、一つ汽車に乗り合わせたのです。それが問わず語りに話したところでは、母は当時女の子を生んで、その子がまた店をしまう前に、死んでしまったとかいうことでした。それから横浜へ帰って後(のち)、早速母に知れないように戸籍謄本をとって見ると、なるほど袋物屋の言葉通り、田原町にいた時に生れたのは、女の子に違いありません。しかも生後三月目(みつきめ)に死んでしまっているのです。母はどういう量見(りょうけん)か、子でもない私を養うために、捨児の嘘をついたのでした。そうしてその後二十年あまりは、ほとんど寝食さえ忘れるくらい、私に尽くしてくれたのでした。 |
客はちょいと口を噤(つぐ)むと、考え深そうな眼をしながら、思い出したように茶を啜(すす)った。
「そうしてあなたが子でないということは、――子ではないことを知ったということは、阿母(おっか)さんに話したのですか」
私(わたし)は尋ねずにはいられなかった。
「いえ、それは話しません。私の方から言い出すのは、余りに母に残酷ですから。母も死ぬまでそのことは一言(いちごん)も私に話しませんでした。やはり話すことは私にも、残酷だと思っていたのでしょう。実際私の母に対する情(じょう)も、子でないことを知った後(のち)、一転化を来したのは事実です」
「というのはどういう意味ですか」
私はじっと客の目を見た。
「前よりも一層なつかしく思うようになったのです。その秘密を知って以来、母は捨児の私には、母以上の人間になりましたから」
客はしんみりした返事をした。
あたかも彼自身子以上の人間だったことも知らないように。
(大正9年7月)
(『芥川龍之介全集 第五巻』編集者:伊藤整、吉田精一 角川書店 昭和43年)
今朝の父の一枚です(^^)v
昨日の雨と風で花の道ができていました。
母と父が歩いていた頃もこんな道ができていました。