今朝は、温かいというよりも歩いていると暑さを感じるほど…
母が好きだったハナカイドウが咲き出した(^^♪
花言葉は「仙女の焔/穏和」
母の年齢に近い方と立ち話。
ソメイヨシノだと思うのですが、細い枝から葉が出ている。
他の枝は、満開になっているのに…
台風21号で折れた枝の花も満開になっていることを伝えると
人間は、コロナで右往左往しているのに
自然は凄いですね、毎年、見事に花を咲かせてくれる。
と、話していました。
メルケル首相は、感染されていなかったのでよかったです。
記事を読んでいると
「ドイツでは、政府が打ち出した大規模な経済支援策やメルケル首相の冷静な危機管理の対応に国民の支持が高まって」いるそうです。
やってま~すをアピールしている首相とは大違いだと思う。
「新型コロナ ドイツ首相は復帰 イギリス首相は隔離続行」(NHK)
齋藤環さんのTwitterに
#アベノマスク で浦沢直樹の好感度が上がった(良い読者ではなかった)。
あの程度で叩かれるから日本の風刺漫画はしょせんやくみ○る止まりなのだと心から得心した。
お笑いで政治風刺が好まれないのもこういう土壌ゆえだろう。
ただの「空気の攪拌」だからな。
この国民性、お上には都合が良いよね。
とあったのでなんのことだろうと検索したら、素晴らしい似顔だった。
これで炎上するのは首相の支持者の猛烈な炎ご(援護)のおかげなんだろうな。
もりまゆみさんのTwitterに
今大金持ちが名を残すとしたら、人の命を救う医療を進めることだ。
悪名を残したいならマスク2枚配ることだ。
ChikaさんのTwitterを引用ツイートされていました。
ビルゲイツ、最も可能性の高いワクチン7種類の生産ライン製造開始。
うち5種類、数千億円分が無駄になることは織り込み済み
4月4日
「琉球処分」が強行された。 1879(明治12)年
一週間ほど前に巡査160人と歩兵約400人をつれて首里城に乗りこんだ内務省の役人松田道之(みちゆき)は、この日、琉球藩を廃して沖縄県を置くことを布告した。
新たな県令には鍋島直彬(なべしまなおよし)が任命された。
代々つづいた琉球王朝はここで途絶(とだ)えた。
この日まで藩王と士族たちは、清国(しんこく)からの援軍によって独立を保とうといろいろ奔走(ほんそう)していた。
藩王が病気だから処分を待ってくれとか、清国の了解を得られれば命令に従うとかいって、時間をかせごうともした。
そんな琉球の態度をみて、日本政府は清国が介入する前にすばやく琉球処分を断行したのである。
このように日本政府が琉球の歴史をふみにじり、琉球を日本国家に強圧的に組みこんだにもかかわらず、本土より税金を高くし選挙権も本土より20年以上も後に認めるなどしたため、沖縄の発展が遅れた。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
今日は、二十四節気の「清明(せいめい)」
沖縄では「シーミー(清明祭)」が行われるのですが、
大阪でも彼岸の室内での行事が中止になっているように
沖縄医師会がコロナの感染のリスクが高くなると呼びかけを行っています。
「シーミー」について『年中行事事典』より、
続いて岡本太郎さんの『沖縄文化論』より「本土復帰にあたって」を2回に分けて転記しますφ(..)
シーミー(清明祭<せいめいさい>)
沖縄県では、旧暦二十四節の一つ清明(新暦では4月5日ごろ)の節に行なう先祖祭。
沖縄県中部・南部でさかんである。
18世紀中ごろに中国から沖縄に伝わった清明の風習が、沖縄在来の先祖祭祀と結合し、まず首里の士族層に流行して徐々に一般へと波及した。
清明節に入ると、日を決めて門中墓(もんちゅうばか)の墓前に門中成員が集まって、供物を供え会食する。
供物の重箱を置く場所や参会者の座順は、宗家を中心として早い分家から順になっており、系譜の認識が反映している。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
本土復帰にあたって
沖縄の本土復帰――ほんとうに喜ぶべきなのかどうか、言いようのない疑念が残る。
私のように久しく沖縄に惹かれ、しばしば訪れてあの透明で美しい島の風土と文化に身近にふれた者には、いま沖縄の置かれている運命、その危険な重さが、わが身にものしかかってくる思いがする。
(『沖縄文化論――忘れられた日本』岡本太郎 中央公論新社 1996年)
もちろん、何十年にもわたる異民族支配の不当さ。
その屈辱。
復帰が島民の悲願であったことも知っている。
しかしいよいよそれが現実となった今、あらゆる問題がまったく違った相のもとに浮かびあがってきているのだ。
本土のオプチミストのように、戦争でとられた領土が返ってくる、めでたい、祝え、という感覚で処理されたのでは、この島々は浮かばれない。
私は沖縄の人に言いたい。
復帰が実現した今こそ、沖縄はあくまでも沖縄であるべきだ。
沖縄の独自性を貫く覚悟をすべきだ。
決して、いわゆる「本土なみ」などになってはならない、ということを。
沖縄の復帰は嬉しい。
しかし現実的には様々の問題がある。
いわゆる本土の人間が、ただ領土という感覚でなくこのことをもっと骨肉にこたえて感じとるべきなのだ。
去年、沖縄の人に聞いた言葉に私は絶望感をおぼえた。
「本土からいろんな人がやってくる。しかしお体裁のいいことを言っても、腹の中でみんなわれわれをさげすんでいる。」
先進国ぶったいつもの悪い根性だ。
沖縄にこそ日本文化の純粋で強烈な原点がある。
復帰にともなって、政治・経済の問題ばかりがあれこれ取り上げられる。
二十何年もうち捨てられてきた島の人々の生活条件が今あらためて検討され、引き上げられるのは当然のことだ。
しかし、それが単に経済大国日本のおこぼれとして、「沖縄も面倒を見てやろう」というていのものだったら、それは果たして沖縄にとって幸いなのだろうか。
経済発展とか開発が無条件にプラスであり、幸福をもたらすと考えられた時代はもう終っているのだ。
本土が戦後二十五年、あくせくと働きとおしてGNPをあげ、いまその結果の矛盾にぶつかって、絶望している。
俗にいう「生活の豊かさ」、しかしその反面、失ったものがいかに大きいか。
これから「戦後」に出発しようとしている沖縄の人たちは、自分自身の生き方の問題として方向を決定しなければならない。
ずるずると流され、本土流の考え方にまき込まれて、あの美しい自然も、心も、気がついてみたら荒廃しきっていた……そうなる危険は、まことに大きい。
本土と沖縄のズレは一つ一つの些末なことにあらわれる。
たとえば、沖縄の官僚制度が未熟で、行政能力がないといような批判をきく。
近代的システムはすべて機能的なビューロクラシーによって運営される。
そちらの側に立ってみれば、「貧乏なくせに予算もつかい残す」などとは、言語道断の無能、マイナスとしかうつらないのだ。
(ビューロクラシー bureaucrac 官僚政治。官僚支配。)
官僚や政治家、経済人、本土のエリートには沖縄の人間的モメントがわからない。
私自身の体験。
十三年前、はじめてこの島を訪れたときのことだ。
沖縄の友人と約束して待っていたが、二時間たっても来ない。
こちらはセッカチだから、ジリジリし、カンカンになっているのだが、やがて彼はにこにこ笑いながら、人のよさそうな顔で、ゆったりとあらわれた。
そのとたんに、私はとても愉快になって思わず笑いだしてしまった。
時間など超越して、まったく悪気のない顔で再会を喜んでいる彼の方が、人間的に本当ではないのかと思ってしまったのだ。
これは中南米でもインドでも、いつも感じさせられることなのだが、近代的時間のシステムにまだまき込まれていない、悠々とした生活が生きている世界。
あの人間的時間をも、嬉しく理解しなければならない。
この島独特の表情。
決して豊かではない小さな島々で、台風にさらされながら、穏やかで逞しい人々が素肌で、自然とともに生きて、ながい生活の間につくり上げた分厚い伝統。
民謡にも踊りにも、民具、石垣、あらゆる生活的な造型にも、それはにじみ出ている。
そして何よりも沖縄の人のいのち、その肌あいこそ、世界に稀な、すばらしさなのだ。
この著書(『沖縄文化論』)を書いたのはもう十年も前になるが、この素っ裸の島の凄み、美しさ、感動はいまも変っていない。
一見「何もない」文化の本質、意味を、沖縄の人は今こそ、もっと強烈に自覚してもらいたい。
そして本土流の卑しい常識、物を持たない、裸であることが恥ずかしいことであるというようなものをさわやかに吹きとばしてほしい。
(続く…)
(『沖縄文化論――忘れられた日本』岡本太郎 中央公論新社 1996年)
今朝の父の一枚です。
サクラが満開で、散り始めました。
明日は、冷えるみたいなのでもう少し、サクラを楽しめるかな(^_-)
でも、私は寒暖差に体調を崩しやすい(-_-;)
「土曜はぽかぽか陽気 日曜は肌寒く」(えりの気象日記 4月3日)