Eテレ0655で、今日は100日目になると教えてくれました。
月日が経つのが早く感じる(^-^;
公園でカンサイタンポポが咲いているのを見つけました(^^)v
セイヨウタンポポとの交雑種も増えているとか?
しばらく気温が上がらない日が続くとか…
「9日は8日ほど気温が上がらない この先低温続く」(えりの気象日記 4月8日)
なんか触覚が体に不釣り合いなほどなが~い虫が、風に吹かれていました。
ちょっと飛んだのだけどすぐに葉っぱにつかまって休憩(*´▽`*)
風で揺れて被写体ぶれになったけど…
どうも蛾の仲間でクロハネシロヒゲナガのオスのようです。
メスは触覚は、これほど長くないのでオスは大変です(^_-)-☆
4月9日
東大寺の大仏開眼供養(かいげんくよう)の儀式が行われた。 752(天平勝宝<てんぴょうしょうほう>4)年
「それ天下の富を有(たも)つ者は朕(ちん)なり、天下の勢を有つ者も朕なり。この富と勢とを以て、この尊像を造らん。」
――聖武天皇がこう宣言して大仏建立にふみ切ってから9年、この日ついに大仏開眼の式があげられることになった。
聖武太上(だいじょう)天皇・光明皇太后(こうみょうこうたいごう)・孝謙(こうけん)天皇は百官をひきいてこの儀式に臨み、僧侶1万人がこれに参加した。
金色に輝く大仏は、とてつもなく大きかった。
その造立のためにはたらいた民衆は、延べ200万人をこえると推定される。
この儀式に使われた品物の多くは、今日も正倉院(しょうそういん)に残されている。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
「大仏の開眼式」(小学6年)
当時、地震や日照りなどの災害が相次いだ上に、天然痘というはやり病が広がっていましたが、
その「責めは、われ一人にあり。災いの責任は国を治める私にあるのだ」と続日本紀(しょくにほんぎ)に記されています。
今の自己責任の時代と違うなぁ…
「聖武天皇の苦悩」(小学6年)
天然痘、コレラなど感染症は昔から人々を恐怖のどん底に陥れていました。
漢方薬などがあっても有効な治療法がなかった時代。
それでも流行は、いつか沈静化しました。
当時の人々よりもウイルスということを知り、有効な薬がまだ見つからなくても、なんらかの対処法を知っている私たちです。
今回の新型コロナウイルスの怖さは、終息した後にも大きな後遺症があると思っています。
〝緊急提言!「命」とともに「いのち」を守れ/中島岳志×若松英輔×保坂展人〟(論座 2020年4月7日)
〝野党は今こそ「もう一つの自民党」でなく「別の世界」を示せ/中島岳志×若松英輔×保坂展人〟(論座 4月8日)
は、そのことを考えさせてくれる重要な対談だと思いました。
「私が記者会見でマスクができないワケ」(NHK)
今朝のニュースの中でも聴覚障碍者の方が困っていることが報道されていました。
大阪府知事が今までマスク姿で会見を行っていましたが
最近は、マスクを外しているなと思ったら
聴覚障碍者のために口元を見せているようです。
知事や市長が万博誘致やカジノ誘致を進めていることには反対ですが
このような配慮は必要だと思います。
「大阪府・吉村知事が定例会見4月8日(全文1)」(THE PAGE Yahoo!ニュース)
にゃん吉さんがTwitterしていたのですが
小倉智昭氏「事業規模108兆円という金額が一人歩きしてるが、この中には納税、保険料納付を1年猶予する26兆円や補正予算で五輪で使われてない10兆も入ってる。目先に騙されてる」
実際、政府が真水で出すのは108兆円の内、15.5%のたったの16.7兆円。
こんな非常事態でも国民を騙すんですか、安倍総理
最初、108兆円の予算と聞いたときは、国民のためにやっと動き出したかと思ったけど、やはり裏があったのですね。
今年はネズミ年なので『ネギをうえた人―朝鮮民話選―』より
ネズミが登場する朝鮮の民話を紹介しますφ(..)
親子ネズミ
わがままむすめがいました。
なにをいいつけても、ハイと、へんじをしたことがありません。
すこしでも気にいらないと、おとうさんや、おかあさんに、だだをこめて、こまらせました。
そのくせ、じぶんのわがままは、なんでも、とおさずにはおきません。
ほんとうに、こまったむすめでした。
(『ネギをうえた人―朝鮮民話選―』金素雲(キムソウン) 岩波少年文庫 2001年新版)
おとうさんや、おかあさんが、どんなにいい聞かせても、まるでききめがありません。
毎日、なにかしら、もんくをこしらえては、ぶつくさと、すねているのです。
「この子は、いまにどうなるだろうか。」
親たちは、そればかり心配しておりました。
ところが、ある日のこと、むすめがひとりで、ぼんやり、へやにすわっていますと、そこへ、一匹の子ネズミが、チョロチョロと、出てきました。
「まあ、いやらしい。」
むすめは、びっくりしましたが、あんまり小さいネズミなので、こわいとは思いませんでした。
へやのすみに、米つぶがすこしばかり、こぼれておりました。
子ネズミは、へやじゅうを、あちこち、さがしてあるきましたが、米つぶの落ちているのがわかると、いそいでひきかえして、もとの穴へ、はいっていきました。
しばらくすると、さっきの子ネズミが、また、チョロチョロと、出てきました。
こんどは、ひとりではありません。
子ネズミのうしろには、おかあさんネズミが、ついていました。
子ネズミは、おかあさんネズミを、あんないするようにして、お米のこぼれているところへ、つれていきました。
おかあさんネズミは、うろうろして、口さきでお米のつぶをさがしあてました。
そして、チュウチュウと音をさせながら、その米つぶをたべました。
おかあさんネズミは、目が見えないのです。
ひとりでは、食物(しょくもつ)を、さがすことができません。
それで、子ネズミが、食物(しょくもつ)をさがしては、おかあさんネズミに、たべさせているのでした。
そのうちに、おもてのほうで、人の足音がしました。
すると子ネズミは、チュウチュウ鳴いて、おかあさんネズミを、せきたてました。
そうして、大いそぎで、またもとの巣のほうへ、おかあさんネズミをまもりながら、はいっていきました。
わがままむすめは、はじめからおしまいまで、じっとそれを、見ておりました。
そうして、すっかり、はずかしくなりました。
「ネズミでさえも、あんなに親をたいせつにするのに、わたしは、なんというわがままものだろう。」
そう思うと、いままでのおこないの、まちがっていたことが、はっきりわかりました。
それからは、まるで人がちがったように、親をたいせつにするようになりました。
みんなからも、よいむすめだと、ほめられるようになりました。
(『ネギをうえた人―朝鮮民話選―』金素雲(キムソウン) 岩波少年文庫 2001年新版)
今朝の父の一枚です(^^)v
明日は、母の命日です。
父は、桜が咲いているこの下を
母と一緒に降りて来たことを思い出していました。