2020年4月21日火曜日

1日、来ない間に…

クサイチゴの実がなっていたリ、ユリノキの花が咲いていたリ、
キショウブの花も咲いていて、一気に季節が進んだような気がしました。
でも、今週は…
今週半ばに"寒の戻り" 来週は一転温暖に」(えりの気象日記 4月20日)
昨日は、雨が止まなかったので眼科を受診していました。
病院のドアーは、自動になっているのですが、
新型コロナ対策として開けたままになっていました。
心筋梗塞を発症したことを御存知なので手をよく洗い、
手で目を触れないようになどとアドバイスをしていただきました。
心がけているのは、外から帰ってくると、手を洗い、次に顔を洗っています。
その後、再度、手を洗ってからうがいをしています。
福井県 マスク購入券を県内全世帯に配布へ 50枚入り2箱まで」(NHK)
政府は、布マスクを配布するのでなく、福井県のような方法を考えつかなかったのか?
緊急事態宣言を発出したときに
マスクなど医薬品や食料品の売り渡しを業者に求めること」ができるのですから。
緊急事態宣言で強制的にできることは?」(日本経済新聞)

妊婦向けの布マスク 不良品6700枚に 原因調査」(NHK)
以前、このニュースを見た時に、国内メーカーで重労働になっているのではと思ったけど、東南アジアや中国に発注しているのですね。
衛生品なのに袋に製造元が表示されていないのはおかしいと思っていました。
見ただけでは分からない汚れなどがあると思う。
品質管理ができていないマスクをつけるのは不安です。
ETV特集「7人の小さき探究者~変わりゆく世界の真ん中で~
子どもたちが考え考え、言葉を探しながら話す目が突き刺さってきました。
番組の最後の方で

「今日の僕」って何者なんだろうね?と聞かれたまるさんが

何だろう。
じゃあ タピさんは、今、何ですか?


「自分は何ですか?」って聞かれた時に仕事を言うんだ。

私もどう答えるのだろうと考えたけど、答えがないな…
4月23日(木)に再放送がありますし、
4月25日(土)午後11時59分まで見逃し配信を見ることができます。

まるさんが聞いていた曲は「アトラクトライト」(YouTube)

次回のETV特集は、4月25日(土)午後11:00~
緊急対談 パンデミックが変える世界 ユヴァル・ノア・ハラリとの60分
 情熱大陸「坂本史衣(感染管理専門家 )」もよかった!
坂本史衣さんの笑顔を見ていると穏やかな気もちになる。
前回の河岡義裕さんも坂本史衣さんも共に「淡々と」取り組んでおられた。
番組の最後に、希望はありますか?と聞かれて

希望はあります。
前に進んでいるということは、終わりに向っているので。
前に進めば終わりに近づく。
そういう気持ちで毎日毎日を進んでいくような状況です。


「見逃し配信」があります(4月26日(日)22時59分まで
離ればなれの母と再会…6歳娘の涙 トルコ」(日テレNEWS24)

坂本史衣さんの番組で看護師のみなさんが懸命に働いて下さっていました。
その中で、顔にぼかしが入っている方がいました。
その方たちは、家族に話すことができなくて、それでも使命感をもって働いてくださっている。

新型コロナクラスター対策専門家のTwitter

新型コロナウイルスに立ち向かうためのお願い
医療従事者の方々やその家族等に対する偏見や中傷が報告されている中で京都大学 神代 和明 より皆様へのお願いです。
一人ひとりが感染リスクを減らす行動をとり、互いに協力することが必要です。
多くの方々に届いて欲しい願いです。

加藤周一氏の『日本文学史序説<上>』より
第二章 最初の転換期 『古今集』の美学」の続き(最終回)を転記しますφ(..)
 『万葉集』と『古今集』とのもう一つの大きなちがいは、時間の概念に係る。
『万葉集』は想出をうたわず、現在の感情をうたう。
過去を現在に重ね、昨日を透して今日を見る屈折した心理の表現は、はじめて(少なくとも典型的には)『古今集』にあらわれたものである。
すでに貫之の春の歌(前出)には、三つの時間が重なっていた。
「春立つ今日」は、「袖ひじて」水を汲んだ昨年の春(または夏)と、その水の凍った冬と、過去の二つの時期の想出と重ねて、語られている。
(『日本文学史序説<上>』加藤周一 ちくま学芸文庫 1999年)
  月やあらぬ、春やむかしの春ならぬ 我身ひとつはもとの身にして (巻十五、747、在原なりひら)

 ここでは環境の変化と我身の同定(持続)とが対照され、――禅家ならば「奪境不奪人」ということだろう――、
一首の志は時の経過そのものを主題とするかの如くである。
  花の色はうつりにけりな いだづらに我身世にふるながめせしまに (巻二、113、小野小町)

ここでは長雨(ながめ)降る間に花の色のあせた時の経過と、みずから世に経るのを眺めて移りきた年月とが、巧妙な修辞によって重ねあわせられている。
このような時間の経過に対する極度に鋭敏な感覚は、おそらく奈良時代には到底想像できないものであった。
 もはや都の外に出ることも少なくなった貴族歌人たちの関心の対象は、いよいよ狭くなり、その限られた対象の微妙な性質に対して、彼らの感覚はいよいよ鋭くなった。
貫之は久しぶりに訪れた故郷の花の香りが昔と変らぬことに注意し(巻一、42)、ふじばかまの匂に「やどりせし人」の香を想出していた(巻四、240)。
また失名の歌人は、五月の花たちばなと「昔の人」の袖の香をくらべている(巻三、139)。
彼らは音に対しても敏感で、風の音に秋の訪れをよみとった(巻四、169、藤原敏行)ばかりでなく、去年と今年のほととぎすの声さえも比較していた(巻三、159、よみ人しらず)。
このような感覚の洗練、時の流れに対する敏感さ、その上に築かれた繊細な美学は、貴族社会の内側で、真言・天台の二宗の浸透しなかった意識の層において、まさに現世的な土着世界観の枠組のなかで、またそのなかでのみ、成立したのであり、一度成立するや、やがて来るべき300年の摂関時代の文化の主軸となったのである。
 『古今集』の伝統は、かくして平安時代の貴族文化の伝統そのものである。
13世紀の初に政治権力の中心が貴族支配層の手から武士の手に移ったとき、貴族たちが自己同定の根拠としたのは、まさにその文化であった。
彼らは『新古今集』(1205)をつくり、「古今伝授」に熱中した。
前者は後述するように『古今集』の分類編成に従う。
後者は『古今集』の極端な瑣末な若干の点について(いくつかの鳥の名まえ、いくつかの木の名まえなど)、師が一般には公開しない説明(秘事)を特定の弟子に伝えるという習慣である(この習慣は、藤原基俊から藤原俊成が古今伝授をうけた1138年にはじまったとされる。相伝の系図は、俊成以後、定家、為家とつづき、その後二条・京極・冷泉の三家に分れた)。
そのおどろくべき瑣末主義にもかかわらず、「古今伝授」が歌人におって重大事であったのは、それが勅撰集の撰者の資格に係り(文化的権威)、また経済的利益(荘園の領有)ともむすびついていたからであろう。
秘事相伝のことは、平安時代末から多くの芸事については広く行われるようになったが、「古今伝授」はその先蹤(せんしょう)である。
18世紀の前半に富永仲基が印度・中国・日本の文化を比較して、日本文化の特徴はものをかくすことだといったときも(『翁の文』)、彼はそれ以外のことを指摘しようとしていたのではなかった。
「秘伝」という日本文化に特徴的な現象も、おそらくはその源を『古今集』に発する。
 実に9世紀が決定した美的感受性の型は、平安時代を貫いたばかりでなく、貴族支配層の政治的没落の後にも長く生きのび、能と連歌を通って、歌舞伎や誹諧にまでその影響を及ぼしながら、今日に到った。
8世紀以前の美学的な類型の影響が今日にまで及ぶものは、ほとんど全くない。
(『日本文学史序説<上>』加藤周一 ちくま学芸文庫 1999年)
今朝の父の一枚です(^^)v
だいぶ前からボタンの蕾を写していて、
咲くのを楽しみにしていました(*´▽`*)