2020年4月23日木曜日

冷たい風…

冷たい風が吹いていて
地面にはユズリハの葉がいっぱい落ちていました。
野鳥の撮影をされる方は見上げて歩いておられますが
私は、下を見て歩いているのでつい目にはいる(*´▽`*)
ゆづり葉 河井酔茗」(青空文庫)
携帯の待ち受け画面にヤマザキマリさんのアマビエ!(^_-)-☆

昨日は、循環器科の受診。
血液検査の結果をみると、中性脂肪の値が前回よりも高くなっていました。
今は、来園者の多くならない時間帯で1時間ほどリハビリ散歩をして
その後は、買い物に外出しているだけです。
主治医の先生は、それでいいと仰ってくださった。
もし、次回の受診日までに今以上、新型コロナが蔓延して病院が閉鎖などになった場合
数日前に電話連絡をすると直接受診しなくても自宅宛てに処方箋と
指定した薬局に処方箋を送ってくださると教えてもらいました。
居住している地域でも、大きな病院の看護師の方が感染したので心配していました。
いつもなら心臓リハビリの再開をお願いするのですが
マスクをつけてのリハビリは無理なので、コロナが落ち着く秋頃にとお願いしました。
心肺機能が低いので、町中を歩く時にマスクをしていると息苦しくなります。
人通りが多いところでは、マスクをしていますが
人が少なくなるとマスクをずらしています。

慢性疾患等を有する定期受診患者等に係る……」(厚労省)
望月衣塑子さんのTwitter

#コロナ は続いているが忘れてならない #森友改ざん 真相解明を
衆院財務金融委は22日 #森友 の国有地売却巡り、衆院調査局長に予備的調査を命じたと明らかにした。
野党4党が自殺した財務局職員の手記公表踏まえ、調査を要求。
調査局は結果まとめた報告書を委員会に提出する


首相の支持者たちは、コロナが優先だとすぐ反応するけど
「人の噂も七十五日」とばかりに、森友や桜などについて国民を騙してきた
隠蔽体質の政府の出す情報は、信じられない。
東京オリンピック・パラリンピックの延期が決まった途端、感染者が急増したと勘ぐるのもこのためです。
検事長定年延長問題も首相が訴追されないための地ならしとしか思えません。

揺らぐ“検察への信頼”~検事長定年延長が問うもの~」(NHK)
村山由佳(時々もみじ)さんのTwitterに

給付金を辞退するのが美徳、みたいな同調圧力が気持ち悪い。
あなたの辞退したお金を、国が本当に有益なことに遣ってくれる保証はないよ。
その気持ちがあるなら堂々と受け取って、経済を回すためにどんどん遣えばいい。 
私は、潰れてほしくない飲食店からテイクアウトをして、本を沢山買います。


今の首相や政府のやり方を見ていると、有効な支援策をこうじているとは、とても思えません。
給付金は、私たちが支払った税金から出ています。
村山さんの仰るように無駄遣いの政府に代って、国民一人一人が有効な援助をする方が得策だと思う。
父は、伯母の三回忌に出席したかったけど、諦めてもらいました。
新型コロナが落ち着いてから、給付金を活用してお墓参りに行ってもらおうと思っています。
最初の方でヤマザキマリさんのアマビエを待ち受け画面にしていると書きましたが、
そのアマビエを知ったのは
日曜美術館「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」で紹介されていました。
その中で、日本、西洋、そして現代の表現について取り上げられていました。
転記したいと思いますが、全部は、書けません。
日曜日午後8時からに再放送がありますし、4月26日(日) 午前9:45 まで見逃し配信もされていますので
興味のある方は、ご覧ください。
山本聡美さん

大前提として疫病と戦うという発想が、現代人と比べると低かったのかもしれない。
恐ろしいものとともに共生する方法を祭や美術や音楽や和歌のような言葉
祈りの言葉で生み出してきたのが、過去の日本の営みだった。

・法隆寺 国宝釈迦三尊像 7世紀前半
 ・国宝辟邪絵(へきじゃえ)天刑星(てんけいせい) 12世紀末(奈良国立博物館)

疫病=鬼
4本の手が生えている小さな鬼を次々に捕らえて、お酢に浸して食べるという場面。
画面の左のバケツのようなものに、お酢がたっぷり入っていて
鬼たちを次々に入れて口に運んでいる。
鬼たちは哀れな表情でジタバタしている。
疫病に特定の姿を与え、ふるまいを理解することが
絵巻を見る鑑賞者の安心につながってた。
現代、電子顕微鏡で捉えたウイルスの姿でメディアで報道されると
こういうものかと、まずは理解の第一歩につながる
・国宝 六道絵 人道苦相図 13世紀後半
・融通念仏縁起絵巻(清涼寺本) 15世紀初頭

仏事を行っている道場の門のギリギリまで疫病たちが大勢押しかけている。
ありとあらゆる姿をした疫病に家の主が一巻の巻物を示して
その巻物には念仏の仏事に参加している人たちの名前が記されている。
つまり参加者名簿
これだけの人が念仏をしているので
おまえたちの来るべき場所ではないと諭すと
疫病たちは念仏の功徳に感じ入って
一人一人の名前の下にサインを残して
この人達に悪いことはしないと約束して退散していったというストーリーなんです。
そこに疫病が押し寄せたが、仏の加護によって押し戻すことができたという
一連のストーリーとして鬼の姿が和らげられユーモラスに語られる。
物語の中に恐れが回収されていくという役割があった。
・国宝 平家納経(12世紀中頃)

不安や恐れが豪華で美麗で精緻な図画を求めた。
日本美術史の黄金時代、美しさが極められた時代。
その原動力を支えたのが疫病、災害、内乱など社会的な負の部分への対処かもしれない。
平安時代の美術に感動するが、美しさの背後にあるモチベーション
何が願われていたのかを考えると、美しいほど、その願いの大きさ
願わなければならない、不安の大きさが見えてくる。
過去の美術は災害や疫病に対して心のケアを重視
人が目の前で死んでいく。
もしかしたら自分もそうなる。
その恐れを抱いたとき、どんな気持ちで過ごすかが重要。
神や仏に支えられる局面があり、美術がそれをサポート
祈りが形に、恐れが形として表されることの安心感。
このことを過去の美術から考えていきたい。
小野正嗣さん

闇が深いほど光は強く美しく目に映る
疫病がまん延し、人がたくさん亡くなる暗い時代において、人はより強く光を希求する。
それを具現化するものとして美術が、けんらん豪華になるのは、
我々人間が持っているその心の在り方なのかな

大変な時の方が美しいもの、尊さ、希少さが、ビビッドに伝わってくることもある。

我々疫病を語るときにすぐ戦争の比喩を使う。
果たして適切かどうか。
「病との戦いである」「病を克服しなくては」
もちろん克服しなくてはいけない
でも病も人間が作り出したもの
人間が苦しむけれども、我々と共にある。
いかに向き合うか。
戦うよりは、向き合って生きていく。
病という現実を受けとめ、それでも生き続けていく
小池寿子さん
「ピサ カンポサントのフレスコ画」(14世紀中頃 シノピエ美術館)

本当に信仰を貫くならばひたすら神に祈る生活を送るべきだというメッセージがある。
当時のキリスト教の考え方では、死が襲ってくる、病に倒れることは、神の罰、懲罰と考えられていた。
多くの人間が亡くなるのは人間の罪ゆえだ。
だから罪を悔い改めるようにと
説教のために描かれた絵解きの作品
(1348年からヨーロッパ全域に蔓延したペスト)
・ペトラルカの詩『凱旋』の挿絵(16世紀初頭)

次々に周りの人たちが死んでいくのを見て、あまりにも悲惨なので
本当に神は救ってくれるのかと
信仰に対する揺らぎが起った。
・ハルトマン・シェーデル『世界年代記』の木版画(1493年)

(民衆をあおるニセ預言者)
"イエスなんか信じてると災いが起るんだ"
それを民衆が聞いている。
預言者に悪魔がこそこそと耳打ちをして"もっとデマ飛ばせ"といっている。
ニセ預言者たちが出てくる
偽物の預言者デマゴーグ
フェイクがフェイクを生んでいくのは、まさに15世紀に起っている。
ユダヤ人が井戸に毒を投げたとか、弱い者いじめのような方向に
すべてのエネルギーが向かうようなデマを飛ばす。
ハルトマン・シェーデル『世界年代記』の木版画「火あぶりにされるユダヤ人」
自分たちにとって敵と見なした者たちを
追い詰めていく集合心理が異常に働いている
何かが原因で(災いが)起こっていく
その原因はアイツかもしれないと
負の感情は集中しやすい。
今の社会でもいろんなところに見られる。
「死の舞踏」(15世紀後期)エストニア・聖ニコラウス聖堂

死者が手を引いて
"あなたは生きている間にこんなに立派なことをしたと言っているけど本当か"と話しかける。
すると王や教皇が、"確かに地位を上り詰め、欲しい物は手に入れた。しかし、今とあんっては墓場に行くのみだ"
セリフを解読すると、死者が生きている人に教え諭している。
死者は生きている人よりもいろんな事を知っている。
死者の教えを傾聴しようではありませんか。
それによって生きる知恵を学ぼうというのが「死の舞踏」の趣旨。
・バルトロメオ・ペラーノ・ダ・カモーリ「授乳の聖母」(1346年頃)
・フィリッポ・リッピ「聖母子と二天使」(1465年)

親しみやすい、愛らしい、人間らしいマリア像は、苦難を経た時代の後だからこそルネサンスで花開いた。

・サンドロ・ボッティチェッリ「石榴の聖母」(1487年)

人間の力ではどうしようもできないことです。
疫病のまん延は当時の人にとって
人知の及ばない災いが起こったとき、人間は思いがけない力を持ち得る
人間は次の活路を必ず見つけ、ヒントを得る。
そういう存在だと思う。
小野正嗣さん

中世にペストがイタリアで流行したとき、避難した人々が物語を語り合って
そういう生活を慰めようということで有名な「デカメロン」が生まれた。
疫病が芸術や文学作品を生み出す原動力にもなった。

人間は悪の原因を他者に押しつけて、
遠ざけようとすることが
文学作品や美術作品に描かれてきている。
ペストについての作品を読むたびに
人間はどれほどかつてから進化しているのかと
技術的に、あるいは文明的として栄えているかもしれないけれど
人間のメンタリティ 心のありようは、
実はそれほど変わっていないんじゃないか
自分たちの負の側面に直面させられて
その都度、美術作品や文学作品に立ち返ることによって
こういうことはかつてもあったはずだと
間違った方向であるということで軌道修正できる。
そういう意味で美術作品や文学作品は尊いものだと感じます。
「死の舞踏」
ルネサンスの文化は人間の持つポジティブな側面をより鮮明に力強く描き出した。
そこに行き着くまでには「死の舞踏」のようなことをした上でなければ
人間の真の姿が見えにくくなっていた
人間とは何かを考える上で、通らなければならなかった長い暗いトンネルだったのかもしれない。
人間は疫病に接したときに、あらゆる負の側面が放出される
人間ってなんなんだと考えると思うのですよ。
少し収束したとき、一体われわれは、人間という名に値する生き物かどうか
立ち止まって考えることができる。
長野栄俊さん

アマビエは、
江戸時代の終わりごろなんですけれども
弘化3年の日付が入っている「かわら版」という江戸時代のメディアなんですけど
『肥後国海中の怪』の右側の文章には
肥後の国、今の熊本県の海の中にアマビエと名乗るものが現われて
その後、6年間の豊作と疫病の流行を予言する
さらに自分の姿を写して人々に見せなさいと言って
海の中に去っていったと書かれている。
(アマビエの手掛りとして、
『越前国主記』
海彦(アマビコ)
三本の足を持つ猿の顔の妖怪。
『青窓紀聞』
錦絵 猿のかたちの光物(熊本)明治15年
コレラが流行した時に感染予防として売られたもの)
長野栄俊さん

カタカナで書いているものを見ると
アマビエの「ヱ」とアマビコの「コ」が似ている。
これは「コ」の字を「ヱ」に書き間違えたのか
あるいはわざと書き換えたのかと研究者は考えている。
(なぜ、アマビエは疫病予防のパワーがあるとされるのか)
山本聡美さん、

何らかのイメージをお守りとして身につける風習は、古くからあったでしょうし
江戸時代には「疱瘡(ほうそう)絵」という絵が、病気から守ってくれるお守りとして広く用いられた。
「疱瘡絵」
江戸時代猛威をふるった天然痘除けのお守り
赤が強調され、絵柄は武者絵、金太郎、縁起物の達磨など様々。

例えば金太郎のような元気な健康的な姿が描かれて
それを身につけるということの安心感
それがお守りになるという共通の理念
社会的に広く共有されているイメージに対する信頼感が
このイメージを身につけている限りは
安全だという発想につながっていった
(アマビエは)すごく不思議な姿で、魚なのか人間なのか分からないイメージだが
それが理屈を越えてお守りになるところが
幕末の日本人も現在も変わらないのかもしれない。
小野正嗣さん

(外出もままならない時に)
いろんな形でデザインし、かわいいキャラクターに変えたり
多くの人たちの創意とユーモアが素晴らしい
アマビエのチャーミングさが
かかわっている人の心の余裕というか、チャーミングさが素敵だと思いました。

(SNSでのつながり方)
苦境のある時に人間の心が明るい方に
ポジティブな方向に動くことの好例だと思う
負の方向に振れることもあるわけですけれど
ポジティブな方向にアマビエと一緒に人々が向かっている
人間ってすごいな
(ヤマザキマリさんのメッセージ)

(ヤノベケンジさんのメッセージ)
"安寧守る「狛犬」ー比叡山延暦寺より降り立つ守護獣たち"(京都芸術大学)
小野正嗣さん

苦しい状況にありながらも
人は心のどこかに美術や文学や芸術全般のための
スペースを必ずどこかに持っている
アートを求める祈りのようなものが、どんどん深まっている。
もちろん大切なのは人間が人間らしく普通に生きること
だけど疫病に直面してそこから何か得ることができるとすれば
こういう不自由を強いられることによって
自由の尊さが分かる
健康に楽しく周りの人たちと出会い
言葉を交わし美術について語り笑うことが
どれほど人間にとって本質的な活動であるか
より強くいま感じられてると思う
命というものの尊さをより深くより強く
感じることがでていると思う。
我々にとって生きるとは何なんだっていうこと
ひとりひとりが考えることができる時間にはなっているのかも知れない。
今朝の父の一枚です(^^)v
母と一緒に歩いていた道にハナミズキが咲いています。
昨日、病院に行くと「面会制限」と表示されていました。
母が入院したのが、今でなくてよかったねと父と妹と話しています。
母を寂しがらせたくなくて、毎日、見舞いに行っていました。
完全看護ですが、今、入院している患者さんは家族などに会えなくて辛いだろうな…