2020年4月26日日曜日

風が強いけど…

今朝は、風が吹いていたけど心地よかったです(^^)v
つい先日まで風が冷たくて寒いと言っていたのに…
初夏のような陽気にバイカウツギも咲き出しました。
NHK「バリバラ」再放送が直前差し替え 伊藤詩織さんら出演分が別の回に〟(毎日新聞 4月26日)
の記事に見逃し配信をみると、この内容で番組を差し替えるのは圧力があったとしか思えないなぁ…
会長を変えた効果がでていると勘ぐってしまう。

4月30日(木)午後8時29分まで見ることができます。
バリバラ「バリバラ桜を見る会~バリアフリーと多様性の宴(うたげ)~ 第一部」〟
こちらも毎日新聞の記事
視察「許可なく撮影」「すごく偉そう」 少女支援の集い、自民議員に抗議〟(4月23日)
25日になってやっと
「大人数で視察 セクハラも」自民議員らに抗議文 少女支援団体〟(NHK)

Colabo(コラボ)代表の仁藤夢乃さんのTwitterに

馳議員のブログ「視察の件で阿部俊子代議士がお詫びにこられたので、対応を相談。団体側にも丁寧にお伝えください」開いた口が塞がりません。
馳議員によるセクハラを認めることや、一人ひとりから文書での謝罪を求めることなど、私たちの抗議と要望は無視ですか?


バリバラ(Eテレ)や仁藤さんたちに様々な冷たい強風が吹いていると思うけど、発信し続けてほしいです。
先日、山中伸弥さんのコメントで初めの方を紹介できなかったのですが

けっこう日本は今特異的な状況だと思います。
イタリアとかニューヨークとかですね、医療のキャパシティーを超えてしまったという形の医療崩壊が起こったんですが、日本はですね、別の形の医療崩壊が起ころうとしています。
それはですね、院内感染等が多数報告されています。
このウイルスは、院内感染を私は完全に防ぐのは不可能だと思っています。
たくさんの患者さんの診療をされると院内感染は絶対に起こっていきますが、院内感染が起こると何か変なことをしたんじゃないかとか対策が十分じゃなかったんじゃないかとか、そういう目にさらされてしまってですね、医療従事者最前線の方が疲弊してしまって看護師さんとかもやめてしまうとか、いろいろな偏見とか差別によって、医療崩壊が起ころうとしています。 

「“闘い”ではなく“共存”へ」ノーベル賞受賞者・京都大学 山中伸弥教授〟(NHK)
そう言えば、山中伸弥さんにも去年、変な風が吹いていたなぁ…
とも!さんのTwitter

我が家は母子家庭で、母は看護師です。
母が今朝出勤前に、話があるというので、正座して母の話を聴きました。
母『あなた宛に遺書を書いたの。わたしに万一のことがあったら隔離の上、最悪の場合はこの姿であなたとお別れ出来ないと思うの。
だから、念のためにあなたに直接言いたい。』


このあと、とも!さんの言葉が続きます。
読んでいると胸が痛くなります。
今、医療関係者だけでなく、自宅で留まることなく私たちのために働いてくれている人がたくさんいます。
食料品販売、薬局、運送、清掃などなど…
ところがその人たちへの差別的言動が見られるのが情けないです。

再度、
【日本赤十字社】「ウイルスの次にやってくるもの」(YouTube)
山本有三の「心に太陽を持て」という詩があります。
歌にもなっているので、転記するとJASRACよりクレームがくると思いますので
心に太陽を持て』の「解説(高橋健二氏)」に初版本の訳詩があるので、そちらを転記しますφ(..)
続いて、「キティの一生」も数回に分けて転記したいと思います。
心に太陽を持て
あらしが吹こうが、雪がふろうが、
天には雲、
地には争いが絶えなかろうが!
心に太陽を持て
そうすりゃ、何がこうようと平気じゃないか!
どんな暗い日だって
それが明るくしてくれる!
(『心に太陽を持て』山本有三編著 新潮文庫 昭和56年)
くちびるに歌を持て
ほがらかな調子で。
毎日の苦労に
よし心配が絶えなくとも!
くちびるに歌を持て
そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか!
どんなさびしい日だって
それが元気にしてくれる!
他人のためにも、ことばを持て
なやみ、苦しんでいる他人のためにも。
そうして、なんでこんなにほがらかでいられるのか、
それをこう話してやるのだ!
くちびるに歌を持て
勇気を失うな。
心に太陽を持て
そうすりゃ、なんだってふっ飛んでしまう!
   ツェーザル・フライシュレン
(『心に太陽を持て』山本有三編著 新潮文庫 昭和56年)
  キティの一生

 キティ・シーワードは、子どもの時に、つめたい世間へほうりだされました。
身よりもない、みなし子だったからです。
気の弱い子だったら、生きて行くこともできなかったでしょう。
どうにかしておとなになったとしても、ひょっとしたら、不良のなかまに引っぱりこまれていたかもしれません。
しかし、キティは、そんな女ではありませんでした。
かの女(じょ)は人間として、立派な一生を送りました。
かの女の名は、多くの人々のあいだで、今でも語りつたえられています。
(『心に太陽を持て』山本有三編著 新潮文庫 昭和56年)
 それなら、キティ・シーワードは、キューリー夫人のように、えらい学者になったのでしょうか。
いいえ、死ぬまで無学で、貧乏な女に過ぎませんでした。
では、フランスのジャンヌ・ダルクのように、祖国のために、すばらしい戦功を立てたのでしょうか。
いいえ、ただの裏なが屋のおかみさんとして、ごみごみした町の中で、一生を終わっただけです。
いったい、それなら、この無学で貧乏な、裏なが屋のおかみさんが、どうして死んだあとまで、多くの人々にしたわれるのでしょう。
 キティは、イギリスのランカシア州の生れでした。
前にも言ったように、早く両親にわかれたので、小さい時から、それは、それは、ひどい苦労をかさねました。
はじめは、子もりをしたり、女工になったりして、どうにか自分の口をうるおしてきました。
しかし、かの女はどこへ行っても、実直に働いたので、人からかわいがられました。
年がいくに従って、給金も少しはあがり、貯金もいくらかできるようになりました。
こうして、かの女はおとなになったのです。
 一人まえになったかの女は、ある船員と結婚しました。
やがてかの女は、ふたりのむす子の母おやになりました。
しかし、この楽しい生活も長く続きませんでした。
夫が波にさらわれて、死んでしまったからです。
 かの女は泣く泣く、夫の葬式をすませました。
それからというものは、女の細うで一本で、子どもふたりを育てなければなりませんでした。
しかも、長男は生れながらの病身だったので、その看病をしてやるだけでも、ひと通りの苦労ではありませんでした。
十四、五年もの長いあいだ、かの女は、勤めに出る前、勤めから帰ったあと、一日も休むことなく、病気の子どもの看護をしました。
そんなに心をつくして看病したのですけれども、病気はちっともよくなりません。
長男の容体は日ましにわるくなっていくばかりです。
しまいには、節々が痛んで、ベッドにからだをつけて寝ていられないようになりました。
そのころ、キティはクギの製造工場へかよっていたのですが、毎日、鉄クギをこしらえるために、手にはまめがたえません。
かの女は、そのまめだらけの手を病人の背なかへまわし、夜っぴて、むす子のからだを、じっとささえていてやりました。
だが、こんなにまで心をこめて看病してやったかいもなく、長男は、とうとう死んでしまいました。

(「まめ」に傍点「、、」)
 かの女は力を落としました。
けれども、働かないでは、その日をすごすことができません。
かの女は次男の成長を楽しみに、また、精をだして働きました。
そればかりではありません。
長男をなくしたあとで、かの女は、みよりのない、目くらの女を、自分の貧し屋根の下に引き取って、七年間も世話をしてやりました。
 そのご、キティはリヴァプール市へ移り、テニソン街という、暗い裏まちに住むようになりました。
この時分には、次男も工場へ出て、働ける年齢になっていました。
ところが、かの女はどこまで不幸なのか、まもなく、その二番めのむす子にも、死なれてしまいました。
 さきには、夫を失い、引き続いて、ふたりの愛児を失ったキティの心もちは、どんなだったでしょう。
かの女は今まで、多くの苦しみにもたえてきました。
しかし、今度という今度は、さすがのキティもすっかり気力を失ってしまって、いっそ、死んでしまいたい、と思ったくらいでした。
 けれども、自分に悲しい事があるからといって、つらい事があるからといって、自分で自分のいのちを断つというのは、人の道にそむくことです。
たとい、どんなに苦しくとも、生まれてきた以上、人間は働かなければいけない。
それが人間の務めなのだ。
いくたびも思いわずらったあと、キティは、やっとこういう考えを持つようになりました。
 それに、自分の周囲を見まわすと、自分よりも気の毒な人たちが、大ぜいいました。
かの女には、それが、今までよりも、もっとはっきり、見えてきました。
身よりもなしに育ったキティは、数々の苦しみをなめてきましたが、それだけに、苦しんでいる人への思いやりは、ほかの人よりもずっと深い者がありました。
かの女は、これらの人たちのことを思い、そういう人たちのために、いくらかでも役に立ちたいと考えました。

…続く…
(『心に太陽を持て』山本有三 編著 新潮文庫 昭和56年)

三鷹市山本有三記念館
今朝の父の一枚です(^^)v
ホオノキの蕾が膨らんでいます。
朴と言えば坂村真民さんを思い出します。

   朴の花ことば

さびしさにこもり
朴の花をしのび
こひしさにこもり
その花の香りを恋う
ああ
「誠意ある友情」という
花ことばのうれしさよ
タンポポ堂の朴よ
大きくなれ
わたしもお前と共に
この花ことばを
大きなものにしてゆこう
(『坂村真民詩集 詩国(しこく)第一集』大東出版社 昭和52年)