2020年4月5日日曜日

気温差が激しいな…

昨日あんなにぽかぽか陽気だったのに、風が冷たい
もうそろそろ咲いているかなと見ると咲いていました。
名前を忘れたのに「地獄の釜の蓋」は覚えていた(^^ゞ
キランソウ(シソ科)は、
高血圧、鎮咳、去痰、解熱、健胃、下痢止めなどに効果があるので
別名「医者殺し」とも(^_-)-☆
新型コロナも早く薬が見つかるといいですね!
今日は、日曜日ということもあって親子連れが多かったです。
中には幼稚園の制服を着て、撮影している親子もいました。
撮影した後、お母さんが子どもに見せていました(*´▽`*)
入園式はあるのかな?
花筏(はないかだ)
①散った桜の花びらが川や池の水面に集って浮びただよっているのを、筏に見立てた語。
室町時代の小歌を集めた『閑吟集』に
吉野川の花筏 浮かれて漕がれ候(そろ)よの 浮かれて漕がれ候よの」、
私の恋は、吉野川の花筏。
浮かべて漕がれ、心浮かれて焦(こ)がれているんだもの、と。
春の季語。
 花筏乱して鯉の現れる  佐藤次郎
②(略)
(『花のことば辞典 四季を愉しむ』倉嶋厚監修、宇田川眞人編著 講談社学術文庫 2019年)
②にはハナイカダという落葉低木が紹介されています。
仁和寺のTwitter

外出自粛で精神的に疲れている方も多いと思います。
僧侶によるヴァイオリン「情熱大陸」を聞いて皆様元気を出して下さい!
#仁和寺

昔から、書画や琵琶などに秀でた僧が多かったですが、
現代のお坊さんは、西洋音楽も堪能なんですね(*´▽`*)
つぎのTwitterには森山直太朗さんの「さくら」の演奏も聞くことができますよ♪
『徒然草』の第52段、第53段、第54段に仁和寺の僧が登場しますが、
兼好なら、この素敵なお坊さんをどのように表現するのかな(^^♪

昨夜のNHKのSONGS「香取慎吾 ソロとして初の音楽番組に挑む!
ファンにはたまらないだろうなと思っていると
SNSには、コロナで滅入っている時に元気をもらったという書き込みが多かったです。
音楽は、人の心を癒してくれます♪
岡本太郎の『沖縄文化論』より「本土復帰にあたって」の後半を転記しますφ(..)
 復帰することによって、あの透明で豊かな生活感が崩され、沖縄の人までコセコセと空っぽのエコノミックアニマルにシステム化されて行くとしたら――。
(『沖縄文化論――忘れられた日本』岡本太郎 中央公論新社 1996年)
 私は繰り返し、強調したい。
沖縄の再出発を、政治・経済だけでなく、文化、生き方の問題として考えてほしいと。
 文化はその土地、自然の環境の中にひらくものだ。
そして独自の性格をもちながら、異質とぶつかり、変貌し、しかしそれぞれが己を貫き、ユニークにひらいて行く。
その意味で、われわれの側からいっても沖縄復帰は言いようのないプラスであると思う。
純粋に文化的に考えて。
 今日、日本の内部はまったく同質化してしまっている。
多少のニュアンスをのぞいて、北から南まで、顔つきから服装、生活の中における意識、道徳感、それを条件づける生活環境も、またほとんど変りがない。
ところが沖縄は、まったく異質の天地なのだ。
 本土とまるで違っていながら、ある意味ではより日本である。
あの輝く海の色、先ほども言った沖縄の人たちの人間的な肌ざわり。
もちろん、あの「沖縄時間」を含めて。
本土の一億総小役人みたいな小ぢんまりした顔つきにうんざりした人は、沖縄のような透明で自然なふくらみ、その厚みのある気配にふれて、自分たちが遠い昔に置き忘れてきた、日本人としての本来の生活感を再発見すべきなのである。
 皮肉な言い方に聞えるかもしれないが、私は文化のポイントにおいては、本土がむしろ「沖縄なみ」になるべきだ、と言いたい。
沖縄の自然と人間、この本土とは異質な、純粋な世界とのぶつかりあいを、一つのショックとしてつかみ取る。
それは日本人として、人間として、何がほんとうの生きがいであるかをつきつけてくる根源的な問いであるのだ。
とざされた日本からひらかれた日本へ。
 だから沖縄の人に強烈に言いたい。
沖縄が本土に復帰するなんて、考えるな。
本土が沖縄に復帰するのだ、と思うべきである。
そのような人間的プライド、文化的自負をもってほしい。
 この時点で沖縄に対して感じる、もの足らなさがある。
とかく当局者も一般の中にも、本土に何かやってほしい、どうしてくれるのか、と要求し期待する方にばかり力を置いている人たちが多い。
何をやってくれますか、の前に、自分たちはこう生きる、こうなるという、みずからの決定、選択が、今こそ緊急課題だ。
それに対して本土はどうなんだ、と問題をぶつけるべきなのである。
 私は島ナショナリズムを強調するのではない。
島は小さくてもここは日本、いや世界の中心だという人間的プライドをもって、豊かに生きぬいてほしいのだ。
沖縄の心の永遠のふくらみとともに、あの美しい透明な風土も誇らかにひらかれるだろう。
(『沖縄文化論――忘れられた日本』岡本太郎 中央公論新社 1996年)
今朝の父の一枚です(^^)v
アオジに出会っていました!
今日は日曜日で人が多いので早く帰ろうと言って出かけました。
次第次第に身近な地域での感染が増えてきました。
いつ、外出自粛から外出制限になるかも知れないのです。
心筋梗塞を発症したあと、主治医の先生からいつ突然死してもおかしくないとくぎを刺されていました。
それだけに、こうして四季の変化を感じながら歩けることが、幸せなことだと思っています。