2019年1月13日日曜日

青空が見えると嬉しくなります(^_^)v

今朝は、家に居るのがもったいないほどの青空で暖かい(^_^)v
昨日の記事で徳川家康を紹介しましたが
織田信長はというと…
織田信長(1534~82) 猫を鷹狩りの餌に

 信長と猫の関係は、猫好きの人には、かなり残酷です。
戦国時代は鷹狩りがちょっとしたブームになっていたようで、
信長も暇さえあれば、鷹狩りに出かけていました。
 奈良・興福寺の僧侶、長実房英俊(ちょうじつぼうえいしゅん 1518~96)が
書き綴った『多聞院(たもんいん)日記』には、
信長時代の天正5年(1577)5月7日のところに、次のような記述があります。
「奈良中の猫・鶏を安土から捕獲に来るというので、
 僧坊中へみんなが隠した。鷹の餌にするためだという」。
この中の〝安土〟というのは、もちろん信長の命令ということです。
 なぜ、奈良なのかといえば、政治的な背景があるようです。
何しろ、英俊は飼い猫の死を悼んで戒名までつけるほどの愛猫家だったので、
当時の権力者による動物への迫害は許せなかったに違いありません。
(『不思議な猫世界 ニッポン 猫と人の文化史
       講師 山根 明弘他 NHK出版 2018年)
『御伽草子集』から「猫の草子」の続きを転記しますφ(.. )
見ながら転記しているので
間違いがあると思いますし、原文通りではありません(o_ _)o
 また次の夜の夢に、虎毛(とらげ)の猫が来て、もっともらしく語り、
 「お坊様が尊くあらせられるので、鼠根性(ねずみこんじょう)といって
 人の憎む奴(やつ)でありますが、このような奴どもが参上して、
 いろいろのことを申しあげるよしを、すぐに告げ知らせてくれたものがおります。
 だいたい、あの鼠と申すのは、外道(げどう)の最たるものでしょう。
 お坊様がおめぐみをかけられても、
 すぐにものを引いていくことは決まりきったことです。
 ではまた、私どもの系図をざっとお語り申しあげましょう。お聞きください。
 このように申しますと、鼠とせいくらべをするようでございますが、
 由来をご存じなければ、いやしめられるでしょうから」
と申して、
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
猫背になってうずくまり大きな目を怒らせて、
 「私は、そもそも、天竺(てんじく)や唐土(とうど)で恐れられる虎の子孫です。
 日本は小国であるゆえに、国にふさわしく、このような姿で渡来させされました。
 そういう事情があって、日本には虎がいないのです。
 醍醐天皇(だいごてんのう)の御代から、ご寵愛(ちょうあい)をうけるようになって、
 柏木(かしわぎ)のもと、下簾(したすだれ)の内側に置かれました。
 また後白河法皇(ごしらかわほうおう)の御時からは、
 綱をつけて、ご自身のおそばに置かれました。
 綱がついているので、目の前を鼠がつろつきまわっても、
 気になるばかりで、とびつくこともできませんし、
 湯や水の飲みたい時も、のどを鳴らし、声を出して、飲みたいののに、
 頭をたたかれ、痛めつけられるので、どうしようもありません。
 ことばを通わすといっても、天竺の梵語(ぼんご)なので、
 日本人が聞きわけることはありません。
 たいがい、つなぎ殺されるだけです。
 ところがにうがくのご慈悲は広く大きくて、
 猫のごときものまでにもお心づかいくださり、
 綱を解き、苦しみを許されることは、ありがたいおぼしめしです。
 この君の御代は、五百八十年のご寿命をも保ってくださいと、
 朝日に向かって、無心にのどを鳴らし、ご礼拝申す次第です」
と申す。
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
僧が答えて、
 「猫の言われるところは、まことに殊勝である。
 南泉(なんせん)が猫をお斬(き)りになった意味を思うと、
 斬られても、どうして志を変えようか。
 しかしながら、ここに困ったことがある。
 出家の役として、このようなことを見たうえは、
 そのままにおかないのが決まりである。仲裁にはいりたちという道理である。
 殺生(せっしょう)ばかりをする者には、因果は車輪のようにめぐって、
 死んでは生まれ、生まれては死に、終ることなくめぐりめぐっては、
 その因果からはのがれられない。
 すべては空(くう)であるのを知ることによって、生死やさまざまの悪を離れ、
 三界(さんがい)や六道(ろくどう)をめぐることもなくなって、
 ただちに解脱(げだつ)を得ると思われる。殺生をおやめなさい。
 おまえらの食物には、ご飯に鰹(かつを)を混ぜて与え、
 また折々は田作(たづくり)とか鯡(にしん)・乾鮭(からざけ)などを
 朝夕の餌食としようが、どんなものか」
とお尋ねなさると、
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
 「おことのばとおりでございますが、まずまず考えてもごらんください。
 人間は米をもって五臓六腑(ごぞうろっぷ)をととのえ、
 足・手もすこやかに、気のきいたことをもおっしゃるものです。
 山海の珍味は、飯をおいしくするためだとうかがっておりますが、
 私どももそのように、天から食物として与え下されておりますゆえに、
 鼠を食べておりますので、病もなくてとびまわることは、
 鳥にも劣らないであろうと存じておるのです。
 またゆったりと昼寝をいたしますのも、鼠を食べようと存ずるためです。
 それなのに、今からそれをがまんするということは、
 これには同意いたすことはできかねます。おわかりください」と申し上げると、
あれほど慈悲心の大きくてはかりしれないお坊様であるが、
答えられなくて、感激の涙を流し心を砕くばかりである。
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
・「南泉斬猫」 禅宗の有名な公安の一つで、
『碧巌録』第六十三則、第六十四則、『無門関』第十四の「南泉斬猫」などに出ている。
南泉普願は唐代の禅僧。東西の両堂が、猫児の仏性について争った時に、
南泉は道理がなければ猫児を斬ると言ったが、
だれも答えられなかったのでこれを斬ってしまったという。
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)

南泉和尚猫を切る(碧巌録)」(臨済宗妙心寺派 龍雲寺)

南泉斬猫像(なんせんざんびょうぞう)」(文化遺産オンライン)

続きは後日に転記しますφ(.. )