2019年1月17日木曜日

1月17日 午前5時46分

寝込むほどではなかったのですが風邪気味だったので
ここ2日間リハビリ散歩を控えていました。
歩いていると噴火発生のメールが入ってきました。
鹿児島 口永良部島で噴火 警戒レベル3継続
もう24年も経つのですね…
阪神・淡路大震災から24年 被災した地域で追悼
発病前、山を歩くときに参考にしていた本より一部転記しますφ(.. )
六 過去の災害に学ぶ
400年前の地震被害
 国道2号線に沿う神戸市灘区の一帯は、
兵庫県南部地震で多くの建物が倒壊しました。
1997年1月、全壊した住宅跡地での文化財発掘調査で、
地震で変形した井戸枠が見つかりました。
地下に埋れていた、深さ1.6メートルの掘り抜き井戸の枠が途中からはずれ、
上半分が2メートルも南へ動いているのです。
 調査にあたった神野信さん(神戸市文化財課)によると、
この井戸は奈良時代後期につくられたものが、その後使われなくなり、
土砂が内部につまった状態のまま、ズルッと移動したのです。
「これは1596年の慶長伏見地震による液状化で移動したものに違いない」と
寒川旭さん(地質調査所)は推定しています。
〝400年前の震災〟が姿を現わしたのです。
(『大地のおいたち 神戸・大阪・奈良・和歌山の自然と人類
       地学団体研究会大阪支部 築地書館 1999年)

・「地すべりでこわれた井戸」(「ひょうごの遺跡」 4/8)
液状化による移動
 井戸枠は井戸の底から少し上、
厚さ約30センチの地層から上で大きなカーブを描いて移動しています。
カーブしている部分の地層が液状化して移動したのです。
この地層は6世紀から7世紀の古墳時代後期の黒い粘土と砂が重なった地層です。
地下水を含んだ柔らかい砂の地層に激しい地震のゆれが加わり、
一瞬にして地層は液状化し、井戸枠は地層もろとも流れたのです。
液状化は調査地の一角で噴砂のあとが見つかったことからも裏づけられました。
 井戸枠の移動規模からすると、
平面で10メートルを越える範囲の地面が動いたのではないかと思われます。
当時の地面にも地下の動きにみあった大きな地割れができたことでしょう。
慶長伏見地震は堺で死者600人、
伏見城大破による圧死600人などの被害をだした記録が残されています。
兵庫県南部地震よりも大きな地震動が京阪神地域を襲ったのです。
(『大地のおいたち 神戸・大阪・奈良・和歌山の自然と人類
         地学団体研究会大阪支部 築地書館 1999年)
扇状地の地震
 住吉川は六甲山のいくつもの沢の水を集め、平野部を流れ下っています。
谷の出口を頂点に扇状地がつくられています。
調査現場はこの南に扇を広げた斜面上にあります。
 調査のため地面から4メートルの深さまで掘り下げられました。
地層は時代とともに順に上に積み上げられていきます。
もっとも深いところは最も古い時代の地層です。
それは5世紀以前と推定される、粗い砂と礫の混じった地層です。
井戸はこの地層まで掘り下げています。
この地層の上に古墳~奈良時代の黒っぽい粘土や砂の層があります。
ときどき洪水で砂が運ばれたのでしょう。
これをおおって、室町時代に厚さ1.5メートルの砂の層が一気にたまっています。
大規模な洪水の土砂のようです。
なだらかな傾斜と地下水の豊富な柔らかな砂層が一気にたまっています。
大規模な洪水の土砂のようです。
なだらかな傾斜と地下水の豊富な柔らかな砂層は
繰り返す洪水によってつくられてきたのです。
(『大地のおいたち 神戸・大阪・奈良・和歌山の自然と人類
       地学団体研究会大阪支部 築地書館 1999年)
災害を乗り越えて
 洪水、土石流がこの地を繰り返し襲い、土砂を堆積して地面を高くしてきました。
これらの歴史はまた、南に面したなだらかな斜面と豊富な地下水など、
古代から人びとを引きつける自然をつくってきた歴史でもあります。
大地をつくる地層と地下構造は、
それぞれの地域での歴史、おいたちを通してつくれてきています。
現在はその歴史の一断面であり、
災害は人間社会がかかわる負の側面といえます。
 古代から人びとは洪水、ときには地震などの災害を防ぐために
さまざまな試みを繰り返してきました。
400年前の慶長伏見地震を体験した人びとは
どのようにして災害を乗り越えたのでしょうか。
(『大地のおいたち 神戸・大阪・奈良・和歌山の自然と人類
          地学団体研究会大阪支部 築地書館 1999年)
断層に囲まれる
 大阪は沖積平野から周囲に向かって、
台地、丘陵、山地としだいに高くなっています。
これらの境界、とくに山地との境には多くの活断層があります。
また、それぞれの地形をつくっている岩石や地層の形成年代は、
およそ10倍ずつ古くなっています。
沖積平野の地層は約2万年以降ですが、台地は10万年、丘陵は100万年、
山地は1000万年ないしは億年のオーダーの古さです。
古い時代の岩石や地層が高い山地をつくり、
新しい地層が低い平野をつくっています。
これは、大きくみて山地が隆起し平野が沈降する地殻変動を物語っています。
この変動は約50万年前以降、
大きな地震をともなう断層運動を繰り返しています。
 大阪は活断層で囲まれ、断層運動でつくられたといえます。
(『大地のおいたち 神戸・大阪・奈良・和歌山の自然と人類
        地学団体研究会大阪支部 築地書館 1999年)
阪神・淡路大震災に学ぶ
 各地で活断層の調査がすすめられ、
地震を起こす危険度が詳しくわかりつつあります。
しかし、地震がいつ発生するかを正確に予測することは、今のところできません。
まして、地震の発生を人間の力で食い止めることもできません。
私たちにできるのは、地震に備えることです。
 地震への備えのひとつは高い耐震性をもった住宅を増やすことです。
その対策には住宅そのものとともに、
基礎と基礎を支える地盤の耐震性の強化が大切です。
しかし、地下の様子は直接見えないこともあって、
一般に注意が払われない例が多いようです。
 阪神・淡路大震災では、家屋そのものの耐震性が強くても、
傾斜地の盛土など地盤の弱いところに建築したため全壊したり、
基礎ごと傾いたりする被害などが見られました。
(『大地のおいたち 神戸・大阪・奈良・和歌山の自然と人類
        地学団体研究会大阪支部 築地書館 1999年)
地質資料の活用を
 活断層の発掘調査、地下深いボーリング調査などともに、
家屋の基礎をのせる地盤、表層部の地層調査が大切です。
その際、学校・ビルの建設や地下水道工事などのときにおこなわれる
ボーリング調査の資料や掘削したときの記録を有効に活用することが望まれます。
これらの資料を系統的に整理し活用すれば、地域の昔の姿を詳しく復元し、
防災計画などに利用することができます。
 この作業をおこなう機関、地域地質研究センターを全国各地に設置して、
市民が安全な地盤と街づくりの相談ができる体制を整える必要があります。
また、盛土地の安全性を確保、
土石流・崖くずれの危険のある地域の開発のあり方なども、
法律の整備とあわせて検討していく必要があります。
(『大地のおいたち 神戸・大阪・奈良・和歌山の自然と人類
        地学団体研究会大阪支部 築地書館 1999年)
住民参加の防災と街づくり
 防災計画を立てるうえで大切なことは、
住民・市民が主人公の計画を立てることです。
いざというとき、どこに避難するか、
どこが安全なのかを住民が理解し、行動することが必要です。
 そのためには、住民を中心に行政、専門家が協力して防災マップをつくることや、
必要な対策をとることが望まれます。
活断層、地震災害や地域の地質などの基本的な理解を
学校教育や社会教育の場でおこなうことも大切です。
住民が互いに力をだし合って阪神・淡路大震災を乗り越えてきた体験を、
大切な教訓として引き継ぎたいものです。
(『大地のおいたち 神戸・大阪・奈良・和歌山の自然と人類
        地学団体研究会大阪支部 築地書館 1999年)
今朝の父の一枚です。
Kazeよりも父の方がモズやジョウビタキの写真をうまく撮っていましたp(^-^)q

高校では理科の選択をするのですが、自然災害の多い日本で生きていくには
タモリさんのように地学の知識は必要だと思うのです。