2019年1月21日月曜日

穏やかな朝に

陽射しが気持ちよくてついつい歩きたくなりました(^。^)
今朝のニュース
三浦雄一郎さん 南米最高峰の登山中止 体調考慮し医師が判断
三浦さんは登頂する自信があったようですが、
医師のアドバイスを受けて中止されたのは勇気のある決断だったと思います。
Kazeは、心機能が低いので飛行機に乗ることを医師から止められています。
三浦さんも心臓への負担を考えて医師がドクターストップをかけられたのでしょう。
山は、頂上があと少しでも撤退する勇気がなければ無謀登山となり命を失います。
常に夢を持ち続けておられる三浦さんが、
次にどんなチャレンジをされるのか楽しみです。

19日(土)に放送されたETV特集
ふたりの道行き「志村ふくみと石牟礼道子の“沖宮”」を
ご覧になりましたか?
録画していたのを父も一緒に見ていて
クサギ、紅花などから染められていく色の美しさに驚いていました。
石牟礼道子さんの「沖宮」(能)が私たちへの遺言として心に響きました。
番組の最後で新作能「沖宮」をみながら
志村ふくみさんが手を合わせておられたのは
石牟礼道子さんとお話されていたのだなと思いました。
再放送は1月24日(木)午前0時~(23日水曜日深夜)にあります。
  二月の思い

 一年のうちどの月も、それぞれに感慨深いものであるが、
二月というのはぼくにとっては何か特別な思いを抱かせる月らしいのである。
 いつごろから、そしてなぜ、そんな思いをもつようになったのか、
考えてみてもよくわからない。
 あれはまだ小学校のころだったと思う。
食べものが貧しかったせいか、気候が今とちがっていたせいか、
とにかく冬はとても寒かった。
 日中戦争が進行する中、日に日に戦時色が強まっていく東京からは、
華やかさはどんどん失われていって、町は寒々とした雰囲気に包まれていた。
 十二月ともなると、目に入る木々はみな冬の枯れ木。
道ばたの草もすべて冬枯れて、風の冷たさが身に沁(し)みた。
 そんな中で、ぼくはひたすら春がくるのを待っていた。
枯れ草の根元を探って、小さな緑の芽はないかと目をこらしたりした。
 そんな気持で寒さと冬に耐えながら、ただただ春を持っていたというのが、
ぼくの子どものころの冬の記憶である。
(『春の数えかた』日高敏隆 新潮文庫 平成17年)
 二月も末になると、ときどき少し暖かい日があり、そんな日の夜は雨が降った。
当時の家は今ほど音が遮断(しゃだん)されていない。
夜中にふと目が覚めると、外に降る雨の音が聞こえてきた。
それはもはや冬の冷たい氷雨(ひさめ)の音ではなく、
春の訪れを告げるもののように聞こえた。
去年の秋、小さな庭にいくつか植え込んだチューリップの球根が、
この春雨で芽を出して、少しずつ伸びていくさまを、
ぼくは寒い部屋のふとんの中で夢見心地に思い描いていた。
それは何か幸せな気持だった。
(『春の数えかた』日高敏隆 新潮文庫 平成17年)
 中学を終えるころ、戦争も終わった。
町にはどっと、さまざまな雑誌があふれて出てきた。
それらは今からすれば紙も印刷も粗末なものであったけれど、
活字に餓(う)えていたぼくらにはたまらない刺激となってくれた。
 妹たちが読んでいたある雑誌の中で、ぼくはこんな詩に心をひかれた。
「二月になると、林の中で、リスの子たちがゆらゆら眠る」。
林の中のどこだかも書いてなかったし、
そもそもこんな時期にリスの子どもがいるかどうかもわからなかったが、
リスの子たちがゆらゆら眠るということばが、妙にぼくの心をくすぐった。
郊外の雑木林の中では、
どこかでリスの子たちがゆらゆら眠っているような気がしてきたのである。
(『春の数えかた』日高敏隆 新潮文庫 平成17年)
 成城学園の旧制高校へ進んで一年目だったろうか、
とある二月の一日、ぼくは珍しくおだやかな日ざしに誘われて、
小田急沿線の成城から京王線の通っているほうへ向かって、野山を歩いてみた。
かつて戦争中に住まわせてもらっていた、学校の寮、
哲士(てつし)寮の近くにある釣鐘(つりがね)池へいってみようと思ったのである。
 釣鐘池は成城の町と祖師谷(そしがや)との間を流れている川の源の一つで、
湧き水によってできた小さな沼であった。
池のまわりはずっと湿地になっており、湿地帯特有のハンノキがたくさん生えていた。
 そんなところにはだれも来ないから、
池のまわりはそれこそ幽邃(ゆうすい)な場所であった。
ハンノキの葉も冬には落ちる。
葉の落ちたハンノキの林にいってみたら、
リスの子たちがどこかでゆらゆら眠っているかもしれない。
そんな幻想的な思いにかられて、ぼくはそこを訪れてみようとしたのである。
(『春の数えかた』日高敏隆 新潮文庫 平成17年)
 冬の釣鐘池はほんとうに幻想的であった。
風もない静かな二月の午後、そこはしんと静まりかえっていた。
詩人でないぼくには何のことばも浮かんでこなかったけれど、
そのまさに幽邃なたたずまいに感動した。
 ゆらゆら眠るリスたちの気配もなく、木の小枝を吹く風の音もなかったが、
ふと見上げたハンノキの枝に、ぼくはまぎれもない春の息吹(いぶき)を見た。
それはハンノキの花であった。
(『春の数えかた』日高敏隆 新潮文庫 平成17年)
 ハンノキの実は知っている人も多かろう。
夏から秋になると、直径一センチぐらいの楕円形の実が、
七つ八つまとまって小枝についている。
そのままブローチにして胸元にとめてみたいようなかわいらしい実である。
 けれど今、早春というにはあまりに早いこの二月、いうなれば冬のさなかに、
ハンノキの枝先に無数に垂れ下がっていたのは、
長さ数センチほどの棍棒(こんぼう)状の雄花であった。
 夏に実になる雌花は、
数個の雄花がまとまって下がっている枝先の根元についており、丸っこい。
(『春の数えかた』日高敏隆 新潮文庫 平成17年)
 ハンノキは木の中でもいわゆる原始的な仲間に属する。
花も風媒花であるから、虫を誘う美しい花びらも香りもない。
一見、とても花とは思えないが、ぼくは生まれてはじめて見たこのハンノキの花を、
これは花だと直感した。
手を伸ばして低い枝先の雄花をとり、じっとみつめると、
たくさんの小さな花の集まりであることがわかった。
そして手のひらの上でたたいてみたら、花粉がこぼれ落ちた。
 これはまさに花であった。
花粉の落ち方からみて、まさに今満開なのであった。
 だれも来ない、チョウもハチもいない、冬の林。
しかも木には葉の一枚もない真冬。
この二月がハンノキが花開く春なのである。
春の兆(きざ)しを求めていたぼくは、
思いもかけぬ春にめぐりあったのであった。
(『春の数えかた』日高敏隆 新潮文庫 平成17年)
 このときの驚きは、今も忘れられずにいる。
秋のハイキングで野山へでかけ、ふとハンノキやミヤマハンノキの
かわいらしい実をみつけたとき、ぼくはそれが花であった冬の光景を思いだす。
 それ以来、冬に対するぼくの気持はまったく変わってしまったような気がする。
 けれど前々回に書いたハスのように、植物たちはちゃんと季節を知っている。
春になると一面に茂って、小さなかわいい花をつけるマメ科の草、
ススメノエンドウも、一月にはちゃんと芽を出して、人知れず地面に広がっている。
初夏の果物であるビワが花をつけるのは十二月の初めである。
そろそろ初雪もこうようかとというとき、
高いビワの木のてっぺんで花が満開だとはだれも思うまい。
 植物たちは、暖かい寒いなどという表面的なことではなく、
概年時計と呼ばれている生物時計によって、ちょんと季節を計っているのだ。
(『春の数えかた』日高敏隆 新潮文庫 平成17年)