2019年1月14日月曜日

成人の日

今日は、「成人の日」ですね(^-^)
Kazeの時代は15日でしたが、今は、1月の第2月曜日
  よそほひて成人の日の眉(まゆ)にあふ  猿山木魂(さるやまこだま)

 華やかな和服姿は、なかなかいいものである。
何でもない街並みまでも美しく見えるから不思議である。
きょうは成人の日。
きょうまでの一年間で満20歳になり、いちにん前となった男女をお祝いする。
戦後、国民の祝日となった。
きょうは小正月でもある。
むかしから、この小正月に、成年戒、成女戒の行事が行われてきた。
関西地方では、松の内の女は多忙のため、
15日より年始の回礼をはじめるので、この日を女正月という。
 成人式のこの日から、大人と認められ、
酒や煙草も許され、結婚も個人の自由意志である。
 季語は「成人の日」。
この句は、成人の日の女性を詠んでいる。
化粧っ気のなかった女の子も、この日から化粧する。
そのおどろきが、「眉にあふ」によくあらわれている。
結婚式でも成人式でも、やはり華やかさは女にかなわない。
男はたのもしさはあっても華やかさはないものである。
男の方は「道に弾む成人の日の紙コップ  不死男」の句にあらわれている。
この日からおおっぴらに酒が許される。
祝いの紙コップが道にちらばっていたのであろう。
 猿山木魂は、大正4年10月8日、東京生まれ。
 「秋」創刊からの編集同人。
(『俳句日暦・一人一句366』石 寒太 右文書院 昭和56年)
御伽草子集』より「猫の草子」の続きを転記します(最終)φ(.. )
 この夢がさめてから、ふたたび夜明け前にうとうとすると、例の鼠が来て、
「とにかく、このままでは、京の中でがまんしていることができません」と申す。
そこで、上京(かみぎょう)や下京(しもぎょう)の鼠どもが寄り合い、通達をまわし、
西陣組(にしじんぐみ)は舟岡山(ふやおかやま)のふもと、
小川組(こがわぐみ)は御霊(ごりょう)の藪(やぶ)
立売組(たちうりぐみ)は相国寺(しょうこくじ)の藪、
聚楽組(じゅらくぐみ)は北野(きたの)の森、
下京組は六角堂(ろっかくどう)の中へそれぞれ寄り合い、話し合う。
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
その中で、思慮のありそうな顔つきをする鼠が進み出て、
「結局、この様子であれば、命と引き替えするほかはないだろう。
 どのようにしたならば、この際は生きのびられるだろうか」
と申すなどして、いろいろ相談していた。
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
「もう都のおふれが出てから50日になるけれども、魚の骨を一つも口にせず、
 油揚(あぶらあげ)、焼鳥(やきとり)のにおいさえもかがず、
 猫殿に出あわぬようにしても、おのずから飢え死にしてしまうのだ。
 ひょっと考えついたことがある。
 このごろ耳にしたのが、
 近江国(おうみのくに)で土地のご検査があったので、租税の割合を決めるために、
 百姓が稲を刈っていないということを、たしかに聞きとっている。
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
 とりあえず、冬の間はそこへ出かけていき、稲の下に妻子どもをかがませ、
 年を越し暖かくなったならば、北の郡(こおり)の木(こ)の本(もと)の地蔵を頼り、
 左右の山々、いかが山、おくだに山、恐ろしいが、伊吹山(いぶきやま)や関が原、
 醒(さめ)が井(い)、摺針(すりはり)、佐和山(さわやま)、たかの畑(はた)
 ところの山、はくさんじ山、かみかまうのこなりの畑、ふせ山、
 布引山(ぬのびきやま)、観音寺(かんのんじ)、八幡山(はちまんやま)、
 鏡山(かがみやま)、朝日山(あさひやま)
 こうの郡(こおり)の鷲(わし)の尾(お)の山などの村々里々に、
 三上山(みかみやま)、信楽山(しがらきやま)、石山(いしやま)、粟津(あわづ)
 松本(まつもと)、打出(うちで)の浜(はま)、長等山(ながらやま)
 園城寺(おんじょうじ)、延暦寺(えんりゃくじ)、坂本(さかもと)、堅田(かただ)
 比良(ひら)、小松(こまつ)、白髭(しらひげ)の明神(みょうじん)などの近辺に、
 打下(うちおろし)、今津(いまづ)、海津(かいづ)、塩津(しおつ)、志賀(しが)の浦、
 そして便船(びんせん)があるならば、竹生島(ちくぶじま)、ちやうめんじ、
 沖(おき)の島などへも渡っていき、
 野老(ところ)や蕨(わらび)などを掘り食い、一時身命を保とうと存ずる。
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
 しかし、何よりも心残りなのは、まもなく正月になり、
 鏡餅、はなびら餅、煎餅(せんべい)、あられ、かき餅、おこしなど、
 春雨の降る折にも、手もちぶさたの慰めにかじり食って、
 がやがやと遊ぼうという心づもりでおったのに、
 大敵の猫殿に追い立てられ、退散するとは残念なことだ。
 しかしながら、猫殿も、犬という強敵に、あちらこちらと追いまわされ、
 辻や川端に倒れ伏し、雨や土によごれているのを見ると、報いはあるのだ」
と申して、一同はいさみたって、方々(ほうぼう)へのがれていった。
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
その中で、公家や門跡(もんぜき)などに久しくすんでいた鼠が、
三首の下手(へた)な歌を連ねた。

 鼠とる猫のうしろに犬のゐて狙(ねら)ふものこそ狙はれにけり
 (鼠をとる猫のうしろに犬が控えていて、ねらう者がねらわれるのであった)

 あらざらんこの世の中の思ひ出に今一度(ひとたび)は猫なくもがな
 (自分は死んでこの世からいなくなるのであるが、あの世への思い出に、
  もう一度だけは猫がいなくなってほしいものだ)

 じじといへば聞(き)き耳(みみ)たつる猫殿(ねこどの)の眼(まなこ)の内の光恐ろし
 (「じじ」と言うと、聞き耳を立てる猫殿の眼の中の光は恐ろしい)
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
 僧は、内心で、このような出来事を人に語ったならば、
気ちがいだと噂するであろうか、胸に納めて口を慎もうと思うのであるが、
この世にも珍しい夢の戯れは、僧が親しい友に語り伝え、
「笑いの種だな」と人は言うが、僧の仰せのとおり、
鼠が少なくなり、ものをも引かず、枕もとをも歩かない。
このようなご禁制は、昔から今に至るまで、めったにない御ことである。
大君(おおきみ)も豊かに民(たみ)も栄え、いつまでもめでたいことばかりで、
世は心ののびやかなことだけである。

・「じじ」は鼠の鳴き声をさす。
(『御伽草子集 日本古典文学全集36』大島建彦校注・訳 小学館 昭和49年)
ハクセキレイが池に向かって…
来園者がを鯉にパンをあげたのが浮いているけど
ハクセキレイは昆虫などを採餌するので
水面に浮かんでいる虫を捕っているのかな?
哲学者 梅原猛さん死去 93歳」や
俳優の市原悦子さん死去 82歳」、
旅行ジャーナリスト 兼高かおるさん 死去」のニュースを聞くと淋しくなります。
父も梅を撮していました。
19日から梅林への道がもうじき開放されるようです。

昨夜のNNNドキュメント
シリーズ平成 平成ニッポンを歩く 報道カメラマン80歳 日本縦断
の録画を父と一緒に見ていました。
石川文洋さんも心筋梗塞で上半分以上を壊死しています。
石川さんがこんなことを語っていました。

(息子が)生まれてすぐ(家族を残して内戦下の)カンボジアに行った。
私がいる時だけでも日本人ジャーナリストが7人捕まって、結果的に殺された。


原発も沖縄の基地も国策です。
国策というのは一般の人々の気持ちを理解できていない
お金で解決しようとします。
沖縄でもそうです。
本当の幸せはお金が入ってきて、大きな家を建てればいいということではない。
幸せとはどういうものか考えることが大切だと思う。


今の日本では、命がけの取材をしている人たちを批判する言説が多いです。
ベトナム戦争の時に世界中のジャーナリストが取材して
ベトナム戦争の真実の姿を知らせてくれました。
「自己責任」と批判する人々は政府の発表を鵜呑みにしている人々だと思います。
日本は、為政者にとってやりたい放題の天国になろうとしています。
番組の中で石川さんに写真展を断る会場(自治体)があると
写真展の主催者が連絡してきていました。
今の政権にとってこんな都合のいい状況はないですね。

気がつかなかったのですが、ハートネットTVでも取りあげていたようです。
報道写真家・石川文洋が考える戦争と平和