2019年1月22日火曜日

朝の方が暖かい…

最近、昼間よりも朝の方が天候が穏やかで暖かいような気がします。
今日は、22日ということで0655では猫の歌が2曲かかっていました(^^ )
昨夜のEテレ不思議な猫世界第7回「ことわざになった猫」で
与謝蕪村と円山応挙の合筆「ちいもはゝも」画賛が紹介されていました。
画像を検索したのですが、見つけることができませんでした。
ご覧になりたい方は再放送がありますのでHPをご覧ください。
ほのぼのとした絵ですよ(^-^)
テキストから転記しますφ(.. )
(「猫も杓子も」)
 江戸の早い時期からよく使われているものですが、
現代もその傾向が続く息の長い言い回しです。
このことわざには江戸時代から絵にされた作品がありました。
その1つが日本画の写生画で有名な円山応挙(まるやまおうきょ)
南画と誹諧で著名な与謝蕪村(よさぶそん)による合作です。
明和7年(1770)あたりと推測されるもので、
猫を応挙、杓子を蕪村が描いています。
この絵には画賛(がさん)があり、
「猫は応挙が戯墨也 しゃくしは蕪村の酔画也 
 ちい(爺)もはゝ(婆)も猫もしゃくしもおどりかな 蕪村賛」
とあります。
(『不思議な猫世界 ニッポン 猫と人の文化史
    講師 山根 明弘他 NHK出版 2018年)
 賛にあるのは猫が応挙の戯れの絵で、
蕪村が酔って杓子を描き、賛も書いたというものです。
句の意味は、神官も僧侶も爺さんも婆さんも、
みんな踊っているよというものです。
描かれた当時は、応挙は新進気鋭の画家であり、
一方の蕪村は俳諧師としての地位を築いていましたが、
住まいが近く交流があったといいます。
そうしたご近所さん同士による大変珍しい絵なのです。
(『不思議な猫世界 ニッポン 猫と人の文化史
    講師 山根 明弘他 NHK出版 2018年)
日高敏隆さんの
動物と人間の世界認識 ─ イリュージョンなしに世界は見えない』より
第1章 ネコたちの認識する世界」を転記しますφ(.. )
陶器のネコはどう見えたか

 ぼくは30年以上前からネコを飼っている。
もちろん同じ一匹のネコではなく、次つぎに代替わりしている。
同時に10匹を超すネコがいたこともあるし、1匹しかいなかったこともある。
 ネコにも個性のようなものがあって、いろいろなネコがいた。
そのネコたちのしていることを見ていると、
彼らが自分たちのまわりの世界をどのように認識しているかがわかってきて、
大変興味深かった。
 あるとき妻のキキが、鎌倉か横浜で、
非常にうまくできた陶器のネコの置物を買ってきた。
イギリス製ということであったが、青みがかった灰色をしていて、
大きさは、ちょうど実際のネコぐらい。
座ったネコがじっと、ゆったりした顔つきでこちらを見ている。
そういうネコの置物であった。
(『動物と人間の世界認識 ─ イリュージョンなしに世界は見えない
                日高敏隆 筑摩書房 2003年)
 あるとき、このネコの置物をテーブルの上に置いておいた。
 しばらくしてぼくは、その時に家にいた大きなオスネコが、
何かしきりに唸っていることに気がついた。
行ってみると、そのオスネコはこの陶器のネコの置物に向かって、
身構えて、攻撃しようとしているのである。
オスネコは、背を丸めるようにして、歯をむき出して唸っている。
しかし、陶器のネコはもちろん何の反応もしない。
攻撃しようとするオスネコをただじっと見ているだけである。
 オスネコはだんだん怖くなってきたらしい。
背中がますます丸くなり、耳が後ろにふせられて、
非常な恐怖心をもっているときの姿になってきた。
唸り声もますますすごくなる。
しかし、陶器のネコはまったく動じない。
(『動物と人間の世界認識 ─ イリュージョンなしに世界は見えない
                日高敏隆 筑摩書房 2003年)
 これだけの威嚇を怖がらないということは、
ものすごく強いネコだとオスネコは感じたのであろう。
ますます恐怖に満ちた姿勢になり、唸り声だけはますます激しくなる。
 とうとうそのオスネコは、勇を鼓(こ)して、
右手をあげ、爪を立てて、陶器のネコを引っかこうとした。
とたんにそのオスネコの爪は陶器のネコをたたき、カチンという音がした。
そのときのオスネコの本当にびっくりした顔がじつにおかしかった。
それ以来、そのオスネコは陶器のネコをなんとも思わなくなった。
(『動物と人間の世界認識 ─ イリュージョンなしに世界は見えない
                日高敏隆 筑摩書房 2003年)
 ネコはわかってしまったのであろう。
しかし、オスネコが陶器のネコを本当のネコだと思っていたことは確かである。
それがとても不思議だった。
なぜならば、その陶器のネコにはもちろん毛など生えていない。
形が完全にネコだというだけのことであっても、もちろん匂いもしない。
しかし、オスネコは陶器のネコを本当のネコだと思ったのである。
ネコは何を以てネコをネコだと認知しているのだろうか。
(『動物と人間の世界認識 ─ イリュージョンなしに世界は見えない
            日高敏隆 筑摩書房 2003年)
 そこでこのオスネコに、非常にネコらしくできた縫いぐるみを与えてみた。
大人のネコの大きさのものとか、子ネコくらいの大きさのものを与えたり、
見せてやったりした。
するとそのオスネコは、ぼくらにはじつに本物のネコらしく見える
縫いぐるみに近づいていって、ころがしてみたり、ちょっと嚙んでみたりする。
つまり、遊んでしまうのである。
ネコだと思っているとは到底思えない。
しかし、ぼくらからみると、こういう縫いぐるみは毛が生えていて、
匂いこそしないが、本当にネコだと思える。
可愛いネコの縫いぐるみなのであった。
 いったいネコは他のネコをどう思っているのだろう。
それが大変気になった。
 あるときぼくは、本だったか論文だったかで、
子ネコに親ネコの絵を描いて見せてやると、
本当の親ネコにするようにじゃれつくということを読んだ。
この話はぼくの興味をひいた。
(『動物と人間の世界認識 ─ イリュージョンなしに世界は見えない
            日高敏隆 筑摩書房 2003年)

「妻のキキ」は日高喜久子さんのことです。
続きは後日に転記します。