2019年1月27日日曜日

ちらちら雪が…

黒い雲から時々雪がちらちら降ってきました。
大坂なおみさんが優勝しましたね
「すごくうれしい 少しびっくり」全豪優勝から一夜 大坂が心境
報道を見ていると「日本人初」という文字が目につきますが
大坂さんのあのパワーは父親譲りでしょうね。
全豪優勝 大坂なおみ 父親の母国ハイチでも祝福
その意味で興味深かったのが
昨夜のSONGSで中島みゆきさんが歌っていた「EAST ASIA
中島みゆきさんの世界観はダイナミックだなと思いました。
1992年に発表した歌なんですね♪
そしてペトラ・クビトバさん、スゴイデス!
選手生命の危機から、よく復活したものだと拍手を送りたいです!
暴漢に手を刺され、リハビリからの復活 大坂の対戦相手」(A紙)
最近の子どもの傷ましいニュースを見ると辛くなります。
昨日に続いて大伴家持の歌を転記しますφ(.. )
(以前、別の本から転記したことがあります)
  子等(こら)を思ふ歌一首 幷(あは)せて序
 釈迦如来(しゃかにょらい)、金口(こんく)に正(まさ)しく説(と)きたまはく、
 「衆生(しゆじやう)を等(ひと)しく思ふこと、羅睺羅(らごら)のごとし」と。
 また説きたまはく、「愛するは子に過ぎたりといふことない」と。
 至極(しごく)の大聖すらに、尚(はほ)し子を愛したまふ心あり。
 況(いはむ)や、世間(よのなか)の蒼生(あをひとくさ)
 誰(たれ)か子を愛せざらめや。

瓜食(うりは)めば 子ども思(おも)ほゆ 
栗食めば まして偲
(しぬ)はゆ 
いづくより 来(きた)りしものそ 
まなかひに もとなかかりて 安眠
(やすい)しなさぬ  
                    (巻五・802)

  反歌
(しろかね)も 金(くがね)も玉(たま)も 
なにせむに 優
(まさ)れる宝(たから) 子に及(し)かめやも
                    (巻五・803)
(『万葉集鑑賞事典』神野志隆光編 講談社学術文庫 2010年)
歌意
瓜を食べると子供たちが思われる。
栗を食べるとますます偲ばれる。
いったいどこから来たものなのか。
眉間のあたりにむやみと引っ掛かって安眠させないことよ。 (巻五・802)

  反歌
銀も金も宝玉も、何でより優る宝と言えようか。
子に及ぶことがあろうか。  (巻五・803)
(『万葉集鑑賞事典』神野志隆光編 講談社学術文庫 2010年)
鑑賞
 お釈迦様は、生きとし生ける者を一子ラゴラと同様に思っていると言い、
また愛(煩悩・執着の意)を起こさせる最大のものは子であるとおっしゃった。
お釈迦様でも子への愛から逃れられなかったのだから、
我々凡夫が子を愛するのは当然だ――序はもっともらしくこのように言う。
しかしこれは仏の法愛と凡夫の欲愛を混同した詭弁である。
仏教は、人間は元素の集合体に過ぎず、子をどこからか来たものとか、
自分がこの世に残すものとかと思うのは邪見であって、
その煩悩を払拭しなければ解脱はできないと教える。
しかし憶良はそれを承知で、あえて凡夫の立場で述べ、歌うのであろう。
(『万葉集鑑賞事典』神野志隆光編 講談社学術文庫 2010年)
瓜は「瓜に書きたるちごの顔」(枕草子)か、
栗は枕詞「三栗の」のように、兄弟仲良く並ぶ様を連想させるのか。
いずれにしろ卑近な食物に過ぎない。
その如きもののために、夜もおちおち眠れない。
子への愛はまさしく苦である。
なのに、それが金銀宝玉よりも大事に思われる(反歌の文脈は様々に取れるが、
主語「銀も金も玉も」に、「なにせむに優れる宝」「子に及かめやも」の
二つの反語が対応すると見ておく)。
何という迷妄であろうか。
しかし世間の人間は、そう思うのが感情の筋道なのである
(「惑(まと)へる情(こころ)を反(かへ)さしむる歌」巻五・800~801)。
(『万葉集鑑賞事典』神野志隆光編 講談社学術文庫 2010年)
 老境にある憶良には、子への愛を断ち切らなければ死ねない、
しかし子への愛にしか生きられない、といった深刻な葛藤があった。
当該歌は神亀5(728)年、巡行中の嘉摩(かま)郡で撰定したと記す三部作のうち、
人間は地に生きるべきことを説いた「惑へる情を反さしむる歌」に続く第二作。
5年後の死の直前には、死んで病苦から逃れたいという願望と、
子を残しては死ねないという思いとの葛藤が、悲痛に歌われている
(「老いたる身に病を重ね、年を経て辛苦(たしな)み、
児等(こら)を思ふに及(いた)る歌」巻五・897~903)。
(『万葉集鑑賞事典』神野志隆光編 講談社学術文庫 2010年)
 『万葉集』の梅の用例は、梅が枝・梅の木なども勘定に入れ、
また、題詞・序文の例をも含めて124例。
その内、花を詠んだ歌は118とか19とかいわれ、萩の花の約140についで多い。
梅を詠んだ歌には、作者未詳歌が少ない。
約四分の三が作者名が伝わっている。
大伴旅人・家持や山部赤人らである。
柿本人麻呂本には梅の歌はない。
梅は貴族中心に愛好されていたので、
下級官人や庶民のものではなかったのである。
平城京の遺跡の発掘によれば、
貴族(五位以上の官人、百数十人であった)の邸宅には、
梅の木が多く植えられていたということである。
その風趣が彼らに、いかに愛されていたかが知られる。
宮廷びとはしばしば梅を賞(め)でる宴を開いて初春の一日をたっぷりと楽しんだ。
(『万葉びとの四季』都倉義孝 有精堂出版 1996年)
 梅は中国渡来のものであったらしく、
その原産地は四川(しせん)省・湖北(こほく)省のあたりとか。
1975年、河南省の殷代(今から3200年ほど昔)の遺跡から出土した
青銅器の中に種があったそうだ。
周代(紀元前3世紀)の『詩経』に梅の実の歌謡があるので、
実はすでに食用に供されていたらしい。
梅の字は呉音でメイと発音した。
青梅の燻製を烏梅というが、
これをウメイと発声したことから「ウメ」という大和ことばが生まれたといわれる。
『万葉集』では、「烏梅」と書いて、ウメと訓(よ)ませているほどである。
もっともバイという発音をンメと聞いたからだという説もある。
(『万葉びとの四季』都倉義孝 有精堂出版 1996年)
 舶来の時期は不明だが、万葉の歌に登場するのは奈良朝になってからだから、
そんなに古いことではあるまい。
これも、3世紀ごろに渡来したという説もある。
初期万葉の歌、巻一・二には詠まれていないし、
『古事記』『日本書紀』(記紀という)にも登場しない。
奈良朝になって、貴族の庭園を彩る春の花、春の到来を告げる、
春を招く呪力をもつ花のさきがけとして、
その清冽(せいれつ)な風趣と異国情緒をめでるものとなり、普及したのであろう。
庶民には縁のない高嶺の花であった。
そして、ふしぎなことははっきりと紅梅と判断できるものはなく、
すべて白梅とみられる。
(『万葉びとの四季』都倉義孝 有精堂出版 1996年)
今朝の父の一枚です。
画像を見ながらカモ(ヒドリガモ)が描く波紋が面白かった話していました(^。^)