2019年1月25日金曜日

寒いのを覚悟していたら…

寒いのを覚悟して出かけたら風があまり吹かなかったので
歩いているうちに暖かくなりました(^-^)
最近お会いしないなと思っていた方に久しぶりに会うと
インフルエンザで1週間寝ていたそうです(°°)
インフルエンザ 患者約213万人 全都道府県で警報レベルに
その方は、インフルエンザワクチンを接種したのですが発病されました。
予防注射を受けていても発病する場合があります。
でも、予後が違ってくると思います。
一方、医薬に依存しないことを信条?とされている宗教団体で
はしかの集団感染があり、まだ拡大する可能性があるようです。
宗教団体研修会で発生のはしか 集団感染が拡大 三重

昨夜のNHK総合「もふもふモフモフ」を見ててビックリしたのは
3年ほど前にカラスに襲われていた子ネコ(ひな子 現在3歳)を
ワンちゃんのひめ子(5歳)が助けたのだけど
ひな子はカラスに足の肉を食いちぎられたために片足を切断することになりました。
病院から帰ってきたあと、ひめ子は付ききりで顔をなめたり、
お尻をなめて排泄を促したりしていたそうです。
ある日、ひな子にお乳を吸われると
ひめ子はお乳が出たそうです、出産経験もないのに…
再放送は1月30日(水)午後11時55分から
有名な歌ですが(^_-)
  東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
        菅原道真(拾遺集・雑春・1006)

  東風が吹いたら、筑紫(つくし)にいる私に匂いを届けておくれ、梅の花よ。
  主人がいなくなったからといって、花の咲く春を忘れないでおくれ。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)
 合格祈願などで有名な神様である天神様、菅原道真の歌です。
菅原道真は抜群の漢詩文の才能をもち、
当代随一の学者として宇多(うだ)天皇に信任され、
跡を継いだ醍醐(だいご)天皇のもとで、
とうとう右大臣(うだいじん)にまで昇り詰めます。
学者の家柄としては、驚異的な出世でした。
しかし、自分の娘を嫁がせた斉世(ときよ)親王を
醍醐天皇に代わって天皇にさせようと策略をめぐらせた、という理由で、
筑紫の太宰府(だざいふ 現在の福岡県太宰府市にあった役所)に左遷されてしまいます。
延喜(えんぎ)元年(901)、道真57歳の時のことでした。
道真に対立した左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)らの陰謀であることは、明らかです。
道真は悲運の思いを抱えながら、2年後任地の太宰府で没しました。
「東風吹かば」は、まさに太宰府へと向かう旅に出発する際に詠まれた、とされる歌です。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)
 「こち」は東風です。
春になると、東から風が吹き、氷を溶かしたり、
花を咲かせたりすると考えられていました。
「おこせよ」は、「届けてくる、よこす」の意の「遣(おこ)す」の命令形。
「あるじ」は道真自身のことを指します。
「春を忘るな」の「春」は梅の花の咲く季節のことですが、
要するに忘れないで咲いておくれ、と呼びかけているわけです。
「忘るな」の「な」は禁止を表します。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)
 たしかに道真は、梅を愛していたらしい。
彼の屋敷は、見事に咲く梅の花を称(たた)えて、
紅梅殿(こうばいどの)と呼ばれたといいます。
「春を忘るな」と語りかけられた梅のほうも、主人を慕って太宰府ま飛んでいった、
などという説話も残っていますが、ただ梅の花との別れを嘆いているだけではない。
不本意にもわが家を離れ、遠く筑紫の地へと向かわなければならない。
そこには、愛する家族との別れの悲しみもあったでしょう。
大変な努力によって長年かかって築き上げてきた、
地位も仕事も名誉も失わなくてはならない。
そうした万感の思いを込めて、梅に呼びかけているといってよいでしょう。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)
 この歌は、ちょっと普通の和歌とは違った調子をもっています。
まず第一に、命令の形が二つも用いられていることです。
「おこせよ」と「忘るな」――「忘るな」は忘れてはならない、という禁止ですが、
もちろんこれも広い意味では命令――の二語です。
和歌というのは、たおやかさ、優美さが基本ですから、
命令形が二つもあると、かなり強い感情の起伏を感じさせます。
おまけに匂いを送ってよこせ、というのも、考えてみればずいぶん無茶な要望です。
また、春を忘れるな、というのは、先ほどもいったように、
「咲くことを忘れるな」という趣旨を表しますが、
「春」には、「わが世の春」などというように、盛りの時期という意味もあります。
この歌でも、良かったころの思い出を忘れないでくれ、
というニュアンスが感じられます。
「春を忘るな」は、さまざまな思い込めて歌っている
道真の心情をにじませているのです。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)
 東風を表す「こち」という語も、あまり和歌には使わない。
もしかすると当時の俗語あるいは日常語の類(たぐ)いかもしれません。
そのおかげで「東風吹かば」といえば、
ああ道真のあの歌だ、とすぐにわかるのですが。
なかなか忘れがたい言葉なのです。
これらのことを総合してみると、一首全体が、
通常の和歌の言葉づかいとは異なっていて、
かなり強い印象をもたらすものであることが理解できるでしょう。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)
 さて、ではこの歌は、事実として菅原道真が詠んだ歌なのかといえば、
おそらく違うのでしょう。
道真が死んで百年ほどしてから、突然書物に出現した歌なのですから。
でも、事実かどうかという以上に大切なことがあります。
それは人々が道真に託した思いです。
政争(せいそう)に敗れ去り、不本意な思いを抱いて死んでいったからこそ、
彼を忘れたくない、という人々の心が、
この歌を生み出し、大切にしていった、といえるでしょう。
「春を忘るな」は私たちへの呼びかけなのかもしれません。

  菅原道真(845―903)是善(これよし)の子。
   右大臣に至ったが、無実の罪で太宰府に左遷され、任地で没した。
   この時代最高の学者で、
   『菅家文草(かんけぶんそう)』『菅家後集(かんけこうしゅう)』の漢詩文集がある。
(『古典和歌入門』渡辺泰明 岩波ジュニア新書 2014年)
 新路(しんろ)は如今宿(い ま のこん)の雪を穿(うが) 
 旧巣(きうさう)は後(のち)のために春の雲に属(あつら)  菅(くわん)

現代語訳
 うぐいすは、谷を出ようとする今、旧年の残雪を掘りわけて、
新しい路を求めようとしています。
ただ、住み慣れた古巣は、やがてもどる日のために、
そのままにしておいてほしいと、春の空に浮かぶ雲にたのんで行くのです。
(『和漢朗詠集』川口久雄訳注 講談社学術文庫 1982年)
浮生(ふせい)を以(もつ)て後会(こうくわい)を期(ご)せむとすれば
(かへ)つて石火(せきくわ)の風に向(むか)ひて敲(う)つことを悲(かな)しぶ  
          菅(菅原道真)

現代語訳
 このはかない浮き身で将来の再会を約束しようと思っても、人間の命というものは、
ひうち石を風に向かってうつように一瞬のうちに過ぎ去るのですから、
約束をすることがかえって悲しく感じられます。
語釈
浮生(ふせい) はかない人間の生命。
(『和漢朗詠集』川口久雄訳注 講談社学術文庫 1982年)
今日は、ジョウビタキ♂によく出会いましたが
父も昨日今日とジョウビタキ♂に出会って撮しています(^_^)v