2019年1月6日日曜日

空が暗いので…

予報では晴れてくるはずだったのに、
曇り空で風も吹いて寒かったです。
1月3日に放送された「京都 和菓子 千年の旅」を興味深く見ました。
再放送の予定がないのが残念です。
で、『江戸の食文化 和食の発展とその背景』より
砂糖の普及が菓子の世界を広げた」を転記したいと思います。
京都が中心だった初期の菓子文化
 日本の菓子の歴史には、つねに海外との関係が重要な役割を果たしている。
古くは中国から伝わった唐菓子(からくだもの)をはじめ、
鎌倉時代に禅僧が伝えた点心(てんしん)
16世紀なかば以降にヨーロッパの宣教師などが伝えた南蛮菓子などである。
 とくに南蛮菓子は、それまで飴(あめ)
甘葛(あまずら)をおもな甘味料としていた菓子類に、
砂糖をかなり使うという点で画期的なものだった。
このなかには、カステラ、ボーロ、カルメラ、金平糖(こんぺいとう)
ビスカウト(ビスケット)など、現代にも伝わる菓子がある。
(『江戸の食文化 和食の発展とその背景』原田信男編 小学館 2014年)
 菓子を発展させた要因のひとつは、京都を中心に広まった茶の湯の存在だった。
その京都では、茶の湯の菓子に加え、さまざまな菓子がつくられていた。
寛永(かんえい)15年(1638)に成立した松江重頼(まつえしげより)
俳書『毛吹草(けふきぐさ)』の「山城(やましろ)・畿内」の名物から
京都の菓子類をあげると、冷泉(れいぜい)通りの南蛮菓子・六条の煎餅(せんべい)
醒井(さめがい)の分餅(わけもち)・七条の編笠団子(あみがさだんご)など種類が豊富だ。
嗜好品である菓子は、経済力と文化の高い地域で発達する傾向にあることがわかる。
(『江戸の食文化 和食の発展とその背景』原田信男編 小学館 2014年)
 また、寛永二十年刊の料理書『料理物語』にも「菓子の部」が設けられており、
玉子素麺(たまごそうめん)・葛餅(くずもち)・蕨餅(わらびもち)
雪餅・粽(ちまき)・笹餅などが記載されている。
 17世紀後半になると、和菓子は味覚だけでなく、
視覚や触覚にも訴える洗練された意匠が考案されたり、
古典文学や歴史をふまえたネーミングもなされるようになる。
京都で生れた京菓子は、白砂糖を使った上等な菓子
あるいは献上用の菓子であることから、上菓子(じょうがし)という言葉も生れた。
(『江戸の食文化 和食の発展とその背景』原田信男編 小学館 2014年)
 風雅と質実さを融合した江戸の菓子
 江戸では「下り物」が尊ばれたが、菓子の世界も同様だった。
元禄五年(1692)の『万買物調方記(よろずかいものちょうほうき)』には、
江戸の有名菓子所とは別に「下り京菓子屋」が四軒記載されている。
なかには、京で禁裏(きんり)御用を務める店の出店と思われるものもある。
こうした店を含め、江戸の経済力の伸張に伴い、上菓子をつくる店が増えていった。
(『江戸の食文化 和食の発展とその背景』原田信男編 小学館 2014年)
 菓子の製法書は、享保(きょうほう)3年(1718)に
日本初の菓子製法の専門書『御前菓子秘伝抄(ごぜんがしひでんしょう)』が出版され、
宝暦(ほうれき)11年(1761)『御前菓子図式』などが続いた。
 そのなかで、庶民も楽しめる工夫がなされたのが、
天保12年(1841)の『菓子話船橋(かしわふなばし)』だった。
八百善(やおぜん)主人・栗山善四郎(くりやまぜんしろう)
『料理通(りょうりつう)』を書かせた
書肆(しょし)・和泉屋市兵衛(いずみやいちべえ)がプロデュースしたもので、
製法の秘事・口伝(くでん)のほか、渓斎英泉(けいさいえいせん)の挿絵を添えた同書は、
菓子製法書の最高峰といえる。
(『江戸の食文化 和食の発展とその背景』原田信男編 小学館 2014年)
 上菓子だけが菓子ではない。
 江戸で人気を集めた菓子に、享保期(1716~36)に誕生したと伝えられる
向島(むこうじま)の「長命寺桜餅(ちょうめいじさくらもち)」がある。
塩漬けの桜の葉でくるんだ餅菓子は、
曲亭馬琴(きょくていばきん)編『兎園小説(とえんしょうせつ)』によれば、
文政7年(1824)一年間で38万7500個を売り上げたという。
(『江戸の食文化 和食の発展とその背景』原田信男編 小学館 2014年)
 庶民に好まれた菓子の代表は、金鍔(きんつば)と大福餅だった。
金鍔は、初め関西で銀鍔(ぎんつば)として流行したもので、
江戸に入って金鍔と名前を変え、女性を中心に人気を集めた。
大福餅が考案されたのは安永(あんえい)元年(1772)といわれる。
当初は焼いて売られていたが、「大福」という命名が功を奏し、
紅白にして慶事にも利用されるようになった。
 菓子の隆盛は、もっともポピュラーな甘味料・砂糖の供給に支えられていた。
砂糖は国内生産が軌道に乗るまで、さまざまな試行錯誤がなされたが、
江戸時代前半は輸入によって、後半には国内生産も増加し、菓子文化を支えていった。
(『江戸の食文化 和食の発展とその背景』原田信男編 小学館 2014年)
番組の中で「甘葛(あまづら)」が紹介されて
講師の磯田道史さんが初めて味見をすると興奮されていました(^。^)
甘葛が『枕草子』に登場するので能因本より
「四九 あてなるもの」の古文と現代語訳を転記します。
(三巻本では「四二」になります)
   四九 あてなるもの

 あてなるもの、薄色(うすいろ)に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)
(けづ)り氷(ひ)の甘葛(あまづら)に入(い)りて、
あたらしき鋺(かなまり)に入れたる。
梅の花に雪の降りたる。
いみじううつくしきちごのいちご食(く)ふたる。
かりのこ割りたるも。
水晶(すいしやう)の数珠(ずず)

あてなるもの 高貴な。上品な。
薄色に白襲の汗衫 薄紫の衵(あこめ)の上に白襲の汗衫(かざみ)を重ねたもの。
 初夏の童女の服装。
甘葛 甘葛を煎じた汁。甘味料。
 金属製のわん。
梅の花 紅梅か。
かりのこ 「あてなるもの」の範囲では軽鴨(かるがも)が当るという。
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
 高貴なもの 薄紫色の衵(あこめ)に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)を着ているの。
(けず)り氷が甘葛(あまずら)にはいっていて、
新しい金属製の碗(わん)に入れてあるの。
梅の花に雪が降っているの。
とてもかわいらしい幼児がいちごを食べているの。
かりの卵(こ)を割ってあるのも。
水晶の数珠(じゅず)
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)
汗衫を着けた公家童女晴れ姿」(日本服飾史)

能因本と三巻本では違いがあるので読み比べると面白いです。
また、甘葛を再現した取り組みがあります。

幻の甘味料あまづら(甘葛)の再現実験」(奈良女子大学)