2019年1月4日金曜日

雲一つない青空

今朝は、霜が下りていたのですが
青空が広がっていて、風もなく暖かく感じるほどでした。
避難所となった公民館で予定どおり成人式 熊本 和水町
日々、新たなり~篠田桃紅 105歳を生きる~」をご覧になりましたか?
篠田さんが番組の中で兼好法師の『徒然草』の言葉を語っておられました。
自虐的な言葉として引用されていたのですが(^_-)
味わい深い言葉で好きな段なので転記したいと思います。
古文のあとに現代語訳を紹介します。
第七段
 化野(あだしの)の露、消ゆる時無(な)く、
鳥部山(とりべやま)の煙(かぶり)、立ち去らでのみ、
住み果つる慣(な)らひならば、いかに、物の哀(あは)れも無(な)からん。
世は、定め無(な)きこそ、いみじけれ。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
 命ある物を見るに、人ばかり久しきは無(な)し。
蜉蝣(かげろふ)の夕(ゆふ)べを待ち、
夏の蟬(せみ)の春・秋を知らぬも有(あ)るぞかし。
つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程(ほど)だにも、こよなう長閑(のどけ)しや。
(あ)かず惜(を)しと思はば、千年(ちとせ)を過(す)ぐすとも、
一夜(ひとよ)の夢の心地(ここち)こそせめ。
住み果(は)てぬ世に、醜き姿を待ち得(え)て、何(なに)かはせん。
命永(いのちなが)ければ辱(はぢ)多し。
(なが)くとも、四十(よそぢ)に足(た)らぬ程(ほど)にて死なんこそ、
目安(めやす)かるべけれ。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
 その程(ほど)過ぎぬれば、容貌(かたち)を恥づる心も無(な)く、
人に出(い)で交じらはん事を思ひ、
(ゆふ)べの陽(ひ)に子孫(しそん)を愛して、
(さか)ゆく末(すゑ)を見んまでの命を有(あ)らまし、
ひたすら世を貪(むさぼ)る心のみ深く、
物の哀(あは)れも知らず成(な)り行(ゆ)くなん、浅(あさ)ましき。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
命永ければ辱多し 『荘子』が典拠。
夕べの陽に子孫を愛して 典拠の『白氏文集』には「憂(うれ)ふ」と「愛す」の
 二つの本文があるが、兼好は「愛す」を採用している。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)

 墓地である化野(あだしの)の露が消えることなく、
火葬場の鳥部山(とりべやま)に煙が立ち去ることもなく、
人間に死というものがなかったなら、
「もののあわれ」を感じる心もなくなってしまうだろう。
この世の中は、定めがないからこそ、素晴らしいのだ。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
 しかも実のところ、生命のあるものを見ると、人間ほど長命な生き物はない。
蜉蝣(かげろう)は、生まれても一日と命が保てず、夕方には死んでしまう。
夏に生まれる蟬は他の季節まで生きられないから、春も秋も知らない。
これと比べたら、じっくりと一年を暮らすだけでも、
ずいぶん長閑(のどか)な思いがするものである。
逆にいくら長く生きても、もう十分だと思わず、
いつまで経(た)っても命が惜しいと思うならば、たとえ千年を過ごしたとしても、
まるでたった一夜のような、あっという間の、夢のような気がするだろう。
永遠に生き長らえることができないこの現実世界の中で、
老残の姿を曝(さら)して何になろう。
長生きすれば、それだけ辱(はじ)も多くなる。
せいぜいのところ、四十歳にならないくらで死ぬのが目安だろう。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
 それ以後の年齢になると、自らの老醜を羞(は)じる気持ちもなくなり、
年甲斐もなく人々の間に出しゃばって交じろうと願い、
もう自分の命も消えてゆく人生の日暮れ時の頃なのに、
子どもや孫たちを可愛がって、子孫が繁栄してゆくのを、
しかとこの目で見るまで長生きしようと、
ただもう、むやみに現世での利欲を貪(むさぼ)る心ばかりが強くなり、
「もののあはれ」の情趣もわからなくなるのは、本当に嫌になるほど、浅ましい。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)

 この世が無常であることを認識したうえで、
生き方の理想に思い致している点が重要である。
「もののあわれを知る」ことが、人間を人間たらしめているという洞察は、
深く、また、重い。
(『徒然草』兼好著 島内裕子翻訳 ちくま学芸文庫 2010年)
  なにごともほどあらじと思(おも)へば
(う)きこともしばしばかりの世中(よのなか)をいく程いとふわが身なるらん

憂くつらいこともほんのしばらくの間のこの世の中なのに、
わたしはどうしてこれほどまでに世を厭わしく思うのであろうか。
○ほどあらじ 長続きすることではあるまい。
▽無常な人の世にあって、世を厭うことの意味を自問した歌。
(『中世和歌集 室町編 新日本古典文学大系47』「兼好法師集」
             伊藤敬他校注 岩波書店 1990年)