昨日は、曇り空で冷たい風が吹いていました。
今朝は、日差しが暖かく風もほとんど吹かなかったです。
でも、空には長く太いひこうき雲が浮かんでいました。
天気予報では、明日は午後から雨みたい… 昨日、レンコン畑で作業をしているスタッフさんと話していて
水を抜いているのは子どもたちにレンコンを収穫してもらうためだそうです。
〝レンコン講座・冬「レンコン発掘体験!」〟(なにわエコスタイル 2022年12月3日)
レンコンの収穫の方法は水を抜いてするのと
「鳴門のレンコン きめ細やかな真っ白な肌」(NHK みちしる 2014年)
水を抜かないで収穫する方法があり
「宮城県若柳町 マガンや白鳥が飛来するまち」(NHK みちしる 2000年)
いずれにしても大変な作業です。浮世絵EDO-LIFE「子どもたちの熱い戦い 豊雅“十二支 犬 霜月”」
11月23日に紹介した鍛冶屋の「鞴(ふいご)まつり」のことも描かれていました。
鍛冶屋のお供え物に御幣をさした御神酒(おみき)の横にあるのが「みかん」。
神棚のようにも見えるのが「鞴(ふいご)」。
鍛冶屋などが鞴に感謝する「鞴祭り」の日。
旧暦の11月8日に行われ今も続く行事。
鞴祭りでは、みかんをお供えするのが定番。
みかんの色が熱した鉄の色に似ているからとか、
みかんを食べると風邪をひかないからなんていわれています。
そして夕方にはお供えのみかんを道にまいて子どもたちに拾わせたんだそうです。
京都の花山稲荷神社の「三条小鍛冶とお火焚き」では、
いつの頃からか火勢の盛りにお供えのみかんを投げ入れるようになり
この火焚祭の神火に触れたみかんを食べると、年中風邪をひかないともいわれるそうです。前回、『京のまつりと祈り――みやこの四季をめぐる民俗』から転記したように
鞴祭や〝御火焚が元は旧暦11月、つまり霜月に行われるのは、この月には最後の収穫祭である「新嘗祭」が行われることと、さらにこの月が「冬至」の月であることと深い関わりがあると考えられる。〟
先日、SNSに「種まき」「育成」「収穫」と活動の過程を披露した方がおられます。
まれにみる大豊作で大喜びだったと思います。
また、自殺した原因が不倫にあったことをマスコミが隠蔽したと吹聴した方がいます。
(元の発信を見るのが嫌でネットからの情報だけで書いていますから不正確です)
ただ、収穫祭である以上、神への感謝と畏れがなければならないと思います。
自殺する方には様々な理由があるでしょうが、
11月25日は三島由紀夫の命日。
「三島由紀夫 割腹自殺」(NHKアーカイブス 1970年)美輪明宏さんと瀬戸内寂聴さんの対談。
この話を信じるかどうかはみなさんにお任せします(^_-)
三島由紀夫に取り憑いた強力な霊
瀬戸内寂聴 三島さんは、霊的なものは信じた方なんですか。
美輪明宏 初めは信じなかったから、私の言うことは聞いてくれなかったです。鼻で笑ってました。
実は、亡くなる一年ほど前のお正月に三島さんの家に行ったときに、天草四郎の霊を霊媒で呼び出したときのテープを持っていったんです。それを聞かせてもまるっきり信じなかったけれど、そのとき、三島さんが私をからかい気味に「この中の誰かになにか憑(つ)いているのがいるか?」とおっしゃった。で、私はぐるりと見回して、「あなた」と言ったら、冗談だと思ったらしく、「うわあ、おっっかねえ、おっかねえ」と。「じゃあ、どんなのが憑いてるんだ、おれには」と笑ったんです。
(『ぴんぽんぱん ふたり話』瀬戸内寂聴 美輪明宏 集英社文庫 2020年) 私には三島さんに、戦時中の憲兵みたいな格好している男が憑いているのが見えたんです。カーキ色の服を着て、帽子をかぶっていた。三島さんに「思い当たる節(ふし)はない?」と聞いたら、「ある」と。「思い当たる人をあげて」と言うと、三島さんは、小林、甘粕(あまかす)と名前をあげたけれど、磯部(いそべ)※と言ったときに、その男の姿がパッと消えた。その人が憑いてたんですね。二・二六事件の反乱軍の将校の一人で、天を恨み、国を恨み、親を恨みと呪いに呪いまくった遺書が出てきた人だと言ってました。 奥さんの瑤子(ようこ)さん※が、「そういえば、この人、どんな長編を書いてもやつれることはなかったのに、『英霊の声』を書いたときに、書斎から出てきたら、幽霊みたいに痩せこけて大変だったのよ」と言ったんです。そしたら、三島さんも「おれも心当たりがある」と。
あの人は、原稿は必ず夜中の十二時に書き始めて、少しでも眠くなれば、脇に置いてある長椅子に横になって、五分でも十分でも寝て、それから改めて書くようにしてたらしい。眠気を催しながら書くことは、自分として許せなかったんですって。それが、『英霊の声』を書いてるとき、眠くて眠くてしょうがないのに筆だけが闊達(かったつ)に動いた、と。そして、「自分の表現でも言葉でも書体でもないから書き直そうとしても、絶対書き直せないある力が働いた」とおっしゃった。瀬戸内 磯部の霊というのはわかる感じがするわね。私は、『英霊の声』を読んだとき、なんかすごい迫力で、とても感動したのですよ。それで、三島さんに「今度の『英霊の声』もすごい」とファンレターを出したの。そうしたら、三島さんが、「ほんとうに自分じゃないような力がのり移って書いた。瀬戸内さんはひいきの引き倒した」と、そうおっしゃった。
美輪 不本意だったんですね。自分は推敲(すいこう)して書き直したいと思っているんだけれども、それをさせない力が働いた。
瀬戸内 あれが掲載された『文藝』の編集長の寺田博(てらだひろし)さんも、当時、「原稿をもらって怖かった」と言ってましたよ。三島さんは、寺田さんにも、やはり「何かがのり移って、自分じゃないものが書いた」って言ったそうですよ。
美輪 三島さんが亡くなった後、お母さんが、「公威(きみたけ)さんが公威さんじゃなくなったのは、『英霊の声』あたりからです」と、おっしゃった。私が霊視したのはご存知じないのに、偉大な母性本能の直感でわかったんですよ。瀬戸内 でも、三島さんは美輪さんが霊視なさったことは信じたのでしょ?
美輪 いや、そのときは半信半疑だったんじゃないですか。私が、「これは大変なことになるからお祓いしましょう。でも、これをとるのはもの凄(すご)い霊能力が必要ですよ」と言うと、その席にいた女優が、「丸山さん――当時、私は丸山だったから――、なんとかしてあげて。三島さんにへんなことがあったら大変だから」と泣きだしちゃった。けれど、奥さんの瑤子さんに「冗談じゃない。そんなお祓いなんかされたら、楯の会※も解散することになるかもしれない。制服もつくったばっかりでお金もかかっているのよ」と冗談にされてしまった。で、私もしょうがないなと思ったから、「そうですね、余計なお世話ですね」と、それ以上は言いませんでした。
瀬戸内 そのとき、楯の会を解散してたらよかったのにね。
…つづく…※磯部浅一(あさいち) 陸軍軍人、二・二六事件の首謀者。1905~37年。二・二六事件を指導し、死刑。
※瑤子さん 三島の妻平岡瑤子。1937~95年。日本画家・杉山寧(すぎやまやすし)の長女で、日本女子大学在学中の58年6月、結婚。
※楯の会 三島が創設した民間防衛組織。1967年、三島は自衛隊に体験入隊するとともに、民族派学生との交流を深め、その過程で組織が形作られた。翌年10月、結成式。
(『ぴんぽんぱん ふたり話』瀬戸内寂聴 美輪明宏 集英社文庫 2020年)
『英霊の声』は新潮文庫で読めます。
また河出書房新社では『英霊の聲』が重版中だそうです。今朝の父の一枚です(^^)/
ジョウビタキがこんな高い竹竿の上でなわばりを見張っているみたいです。
こんなに小さい体でロシア等の北方から渡ってくる。
「【京大!バイオスクープ file 29】11月の野鳥 ジョウビタキ」
「第4章 飛んで旅をする鳥たち 長旅の前にはとことん食べる」(10月30日)つづき
ズクロアメリカムシクイの普段の体重は約12gですが、渡りの前には20gを超えます。
元の体重の2倍近くです。
この脂肪が、アメリカ北東部から南米までの2770kmを3日間で飛び切る彼らを助けます。
体重わずか3~4gのノドアカハチドリは、元の体重の4割以上に当たる脂肪を蓄えて旅に出ますが、メキシコ湾を横断する20時間ですべて使い果たしてしまうとか。
体の準備ができたら、次は天候です。
雨や霧の日はもちろん、風向きが悪い日も飛ぶには不向きです。
でも、いったん天気がよくなったら、ぐずぐすしている暇などありません!
さ、出発です!!
(『鳥類学が教えてくれる「鳥」の秘密事典』陳湘靜・林大利著、 牧髙光里訳、SBクリエイティブ 2023年)