2024年11月23日土曜日

勤労感謝の日

今朝も青空だったけど冷たい風が吹いていて寒かったです。
一気に寒くなると

京都府内でインフルエンザの患者増加 流行期入りを発表」(NHK京都 11月22日)

全国の感染状況は
インフルエンザ 感染状況MAP」(NHK)
昨日、気がついたのですが

 お知らせ

 大阪市では「2025年大阪・関西万博」の開催に合わせ、鶴見緑地山のエリアにある国際庭園の改修工事を進めております。
 今後実施予定の改修工事においては改修範囲が広範囲に及ぶことから、利用者の安全を考慮し、山のエリアは全域立ち入り禁止となります。
皆さまには大変ご迷惑をお掛けいたしますが、ご理解の程よろしくお願い申し上げます。
 ※パークゴルフ場は工事期間中も通常通りご利用可能です。

期間:令和6年12月1日(日)~令和7年3月31日(月)(予定)
問合先:鶴見緑地公園事務所 電話(省略)

公園でよく出会う人と「これから4ヶ月どこを歩こうか悩みますね」と話していました。
山のエリアは自転車が進入禁止なので高齢の父も安心して歩けますし
階段や坂もあってリハビリにもいいです。
昨日、心臓リハビリでしたが、トレッドミルで少し斜度を上げると負荷が上がります。
入院中、病院の廊下でリハビリをして歩けるようになったのに、
帰宅後、家に閉じこもる方がいます。
病院の廊下やリハビリ室と違い、
町中の道は階段やちょっとした凸凹などの障害物が多いために
歩くことに不安になるからだと思います。
昨日、父は石清水八幡宮にお参りしたいからと階段を上り下りしていました。
11月8日の記事で紹介した番組が地上波でも放送されました。

ドキュランドへようこそ「女たちがいなくなった日 “男女平等先進国”アイスランドの原点
番組の最後に

時代の先駆者は、いつも、初めは無視され 次に笑い者にされやがて攻撃される。
そして最後には 勝つのです。


朝ドラ「虎に翼」やこのような番組を見ていると
女性に対するだけでなく性的マイノリティなどへの無理解や差別意識などに気づかされて
胸にグサッ、グサッと突き刺さるものがあります。

「LGBTQ+」基礎情報・関連情報〟(NHKハートネット)
今日は「勤労感謝の日」
勤労感謝の日は、11月23日に固定されていますが、
父の時代は、「新嘗祭」。

新嘗祭は古代から続く宮中の祭りで、11月第2卯(う)の日を中心としていたが、明治6(1873)年以降11月23日に固定されたのである」(『三省堂 年中行事事典(旧版)』)

2024年の11月23日はちょうど「辛卯」ですが、2025年の11月23日は「丙申」になります。
2025年の第2の卯の日は11月18日(辛卯)になります。
(「旭川情報ネット」は終了になっていますが、暫定的にみられるようです)

宮中の祭でさえも明治時代に変更されています。
日本の伝統文化を守るといっている方は、このことを知っていながら言っているのだと思いますよ!
第6章 御火焚と大根焚――初冬の火への祈り
  二 御火焚と新嘗祭


 京の初冬の行事を代表するのは御火焚(おひたき)である。
御火焚は宮中の「庭火(にわび)」の系譜を引きながら、種々の信仰と習合しつつ今日まで続いている、京都特有の火まつりである。
御火焚は、文献的には江戸時代まで遡ることができるが、もしかすると、その原型は室町時代まで遡ることも可能かもしれない。
少なくとも御火焚は、近世以来続く京を代表する初冬の行事で、もともと旧暦11月に社前で火を焚いて祝詞(のりと)や神楽(かぐら)を奏し、新穀とお神酒(みき)を供えて神を祀る行事であり、民間の新嘗祭(にいなめさい)の一種であると考えられている。
御火焚は神社や寺院だけでなく、各町内でも行なわれ、みかんや御火焚饅頭(まんじゅう)などを供えて、それらを子どもたちにも分け与えるのが古くからの習慣とされてきた。
(『京のまつりと祈り――みやこの四季をめぐる民俗』八木 透 昭和堂 2015年)
 京で毎年最初に御火焚が行われるのは伏見稲荷大社である。
新暦11月8日、境内には三カ所の火床が作られる。
まず本殿で火鑽(ひきり)神事が行われ、そこで鑽りだされた神火を火床へ移して数十万本の火焚串が焚き上げられる。
伏見稲荷大社の御火焚は鍛冶屋の「鞴(ふいご)まつり」としての意味を有することが特徴だといえよう。
いずれにしても、京都一のスケールの御火焚であることは疑う余地もない。
 他にも、花山(かざん)稲荷神社、八坂神社、今宮神社、車折(くるまざき)神社など、多くの神社で行われるほか、太秦(うずまさ)広隆寺や東山区正覚庵などの寺院でも行われている。
中でも正覚庵の御火焚祭は「筆供養」を目的として行われている点が特徴だといえる。
さらに町内で行われる御火焚もある。
たとえば、祇園祭の山鉾の一つである「太子山」を出す下京区太子山町では、山と町の名である聖徳太子に因んで、広隆寺に合わせて毎年11月22日に、1年最後の町内の集会として御火焚が行われている。
 ところで、佛教大学図書館が所蔵する、17世紀末から18世紀初頭の頃の祭事を描いた『十二月あそひ』と称される絵巻には、町家の前に小さな神輿を据え、その前で火を焚きながらさまざまな供物を供え、町内の老若男女が楽しげにひと時を過ごす様が描かれている。
またその詞書に「うちより民の家々まて、庭火をたきて神をいさむ事もゆへなきにハあらす」と記されている。
 江戸初期の儒医であった黒川道祐(くろかわどうゆう)が貞享2年(1685)に編んだとされる『日次紀事(ひなみきじ)』には、以下のように記されている。

 「この月毎神社の縁日、柴薪を神前に積み、神酒を備へ、しかる後に火を投じてこれを焼く。(中略)氏子の家もまた、その産土神の縁日をもって火焼を修す。」
 また17世紀中頃に成立したとされる俳諧(はいかい)『山之井』には、次のような記載がある。

  「祇園は午の日、かの神社は申すにおよばず、下京の氏子ども、小さな神輿を町々にかきすえつつ、大道に薪を積みて御火焚きし、また時の菓物ども、神酒など奉りはべる。」
 さらに正徳3年(1713)成立される俳諧歳時記『滑稽(こっけい)雑談』にも、以下のような記述が見られる。

  「十一月諸社御火焚の神事あり。これ当年の新穀を初めて共進の神事なり。
官符ありてこれを勤むるは新嘗祭といひ、官符なき社、その神官これを供へ奉る。神事夜分に行ふゆえに、庭燎(にわび)を設く。俗、御火焚といふ。」

 このことから、近世には官符を受けた大社で行われる御火焚は「新嘗祭」といい、そうでない名もなき小社で行われるものが御火焚と称されていたことがうかがえる。
 御火焚が元は旧暦11月、つまり霜月に行われるのは、この月には最後の収穫祭である「新嘗祭」が行われることと、さらにこの月が「冬至」の月であることと深い関わりがあると考えられる。
新嘗祭は皇室が中心となって行われる収穫祭であるが、民間で行われる新嘗祭は、一般に「霜月祭」とよばれる。
このまつりはさまざまな形態が見られるが、基本的には先祖に新穀を供えて収穫を感謝し、来る年の豊饒を祈願するまつりである。
そして霜月下旬には冬至を迎える。
冬至は一年でもっとも昼が短くなる日であることから、昔の人々はこの時期に太陽の力がもっとも衰えるものと考えていた。
さらにその影響によって人間の生きるための力も枯渇してしまうと考えていたに違いない。
衰弱した太陽のエネルギーを復活させ、また人間の枯渇したエネルギーを再生させるためのまつりが、ほかならぬ霜月祭であったのではないだろうか。
このような一陽来復にも繋がる信仰的基盤が、御火焚や霜月神楽などの民間の新嘗祭としての霜月祭として残ったものと考えられよう。
(『京のまつりと祈り――みやこの四季をめぐる民俗』八木 透 昭和堂 2015年)
祝日は人が多いので、父は散歩を止めましたが
昨日、ジョウビタキ♂が消化できなかった種のようなものを吐き出しているところを写していました。

 ペリット

 一部の鳥では、消化できない骨や毛、種子などをまとめて吐き出すことが知られている。
この吐き出された未消化物のことを“ペリット”または“ペレット”と呼ぶ。
ペリットを吐く鳥としてはフクロウ類やタカ類がよく知られているが、ほかにもさまざまな鳥――カイツブリ、ウ、サギ、クイナ、シギ、カモメ、アジサシ、アマツバメ、ツバメ、セキレイ、モズ、カワガラス、ツグミ、キクイタダキ、ヒタキ、カラスなど――が知られている。
ペリットには食べた物の残骸が含まれているので、内容物を分析すれば食性の一端を知ることができる。
(『鳥のフィールドサイン 観察ガイド』箕輪義隆 文一総合出版 2016年)