2024年11月12日火曜日

曇り空だったけど

曇り空で時折冷たい風が吹いていましたが
歩いていると汗をかきそうになりました。
それにしても台風がつぎつぎと発生していますね…

台風情報」(NHK)
ネットを見ていると党の代表がいろいろと物議を醸していますが
「保守」党というよりも「男尊女卑」党が相応しいと思うな…
保守党代表の発言の腹の底には以前紹介した「腹は借りもの」という思想があるようです。
再掲ですが

第五章 家庭の共同生活
 二 夫婦の関係
〔三三四〕(2)夫婦関係の内容

 (一) 旧法には「腹は借りもの」の思想があったことは否定しえない。
すなわち、妻の不貞の行為は処罰され、離婚原因となったが、夫は妾をおくことがとがめられなかっただけでなく、妾腹の男子(庶男子)は本妻の女子(摘出女子)に優先して家督を相続した。
(『法律学全集2 法学概論』我妻栄 有斐閣 1974年)
そして、朝ドラ「虎に翼」第2週「女三人寄ればかしましい?」 での裁判を思い出した。

明治大正昭和 判例百話』「解題」(村上一博 明治大学法学部教授)に

 …前略…
解題者は、『虎に翼』の制作に「法律考証」として参加したが、ドラマ中の2件の裁判事例は、『判例百話』から採用したので、この2件を取り上げよう。
 一つ目は、寅子が明律大学女子部法科に入学し、初めて東京区裁判所の法廷を傍聴した「物品引渡請求事件」であり、第88話
「妻の衣類調度と夫の権利」を参考にした。
 …後略…
(『明治大正昭和 判例百話』穂積重遠 河出書房新社 2024年)

もう1件の裁判事例は、本を参照してください(^_-)
判例百話
 第88話 妻の衣類調度と夫の権利


 別居せる妻坂本文子から夫坂本源六に対して物品引渡請求の訴えを起した。
その主張は、
「文子は大正一四年十月媒介するものありて源六と結婚し、其の翌月婚姻の届出を為し、昭和三年七月二十七日迄同棲し居り、本件物件は文子が源六方に入りたる際持参したものなり。然るに源六は多情多淫にして、文子と婚姻後多くの婦女と関係し、淫行止まず、家庭に波瀾を起さしめたり。又源六は性粗暴而(しか)も嫉妬心深く、文子が偶々隣家の男子と朝夕の挨拶を為せば醜関係あるべしと侮辱し、殴打監禁の虐待を加うる等暴虐の限りを極むるも文子は常に忍従し貞順以て源六に事(つか)え、一意源六の態度の革(あらた)まらんことを祈りつつ数年に及びたるも其効なく、却(かえつ)て源六の狂暴益々加わり到底同居に堪えざるを以て、昭和三年七月二十七日実家に逃げ帰り、父をして源六に離婚を交渉せしめたる処、同月二十八日源六は離婚並(ならび)に本件物件を文子に返還すべきことを同意したり。
然るに源六は離婚の届出に応ぜざるのみならず、或は実家に侵入して文子の衣類を盗み出し、或は文子及(および)文子の母を殴打し、或は文子が堕胎をなす虞(おそれ)ありと警察に虚偽の申告を為す等、侮辱の限りを加うるを以て、止(やむ)を得ず曩(さき)に源六に対し離婚の訴を高松地方裁判所に提起し、原告勝訴の判決を受け、相手方より控訴の申立を為し、目下審理中なる処、文子は前示契約に基き本件物件の返還を求む。仮に文子主張の如き物品返還の契約なかりしとするも、文子は右物件を所有するを以て、所有権に基き之が返還を請求す。」
と云うのである。
しかし第一審及び第二審の裁判所は、物品返還の契約があった事を認めず、民法第八〇一条第一項に「夫は妻の財産を管理す」とある以上、離婚が確定するまでは夫に管理権があるのであって、たとい前記の如き別居の事情があっても、妻がその所有権を主張してその物品の引渡しを請求し得べきでない、と判決して妻を敗訴させた。
 ところが昭和六年七月二十四日大審院第二民事部判決(10巻民750頁)は妻の上告を容れて原判決を破毀したのであるが、その判決理由は大体左の通りで、実に近来の名判決であると思う。
 「民法が夫をして妻の財産を管理させる所以(ゆえん)は、夫婦共同生活の平和を維持するとともに妻の財産の保護を目的とするものであることは疑いを容れぬところであるから、夫婦生活が本件の如き破綻を生じた事情の下において妻がその日常生活に欠くべからざる衣類その他の調度品を請求するに対し、夫がそれを拒絶するについての特別の理由を主張せず、単に夫としての管理権を主張してその引渡しを拒絶するが如きは、明らかに妻その人を苦しめる目的を以てのみその権利を行使するものでああって、権利の濫用に外ならぬ。しかるに原判決が単に夫に妻の財産に対する管理権ありと云う理由を以て直ちに妻の請求を排斥したのは失当である。」
(『明治大正昭和 判例百話』穂積重遠 河出書房新社 2024年)
たまたま読んでいた本にオリンピックのことが書かれていました。

第2章 水と「清潔」という概念
  1 ギリシャとローマの水・風呂・トイレ


 …前略…

 今から1世紀以上前の1896年に初の近代オリンピックが、発祥の地ギリシャのアテネで開催され、そのとき初めてのマラソン競技が行われた。
 このときのマラソン・コースは、紀元前490年、ペルシャ軍との戦いでアテネ軍が勝利したことを知らせるため、マラトンの丘からアテネのアクアポリスまで、一人の兵士が疾走したことに因んでいる。
 しかし、近代オリンピックの第1回大会マラソン競技の優勝者について、知る人はあまりいない。
 25人が参加した中で、最初に競技場に戻って来たのはギリシャの無名の23歳の青年スピルドン(スピロス)・ルイス選手( Spyridon/Spyros Louis, 1873―1940)だった。
(『水と清潔 風呂・トイレ・水道の比較文化史』福田眞人 朝日新聞出版 2024年)
 4万人を収容した競技場にルイス選手が入ってきたときには、観衆は熱狂し、ゴールする際には、興奮した国王と皇太子がトラックに飛び出して併走した。
貴婦人たちは貴婦人たちで、身につけていた宝石を惜し気もなく投げ入れるなど、大騒ぎだった。
優勝したルイス選手は国王から「欲しいものは何でも与える」といわれたが、欲の少ない彼が欲したのは水を運ぶための荷車だけだった。
彼はまだ水道の設備がないアテネに、郊外からミネラル・ウォーターを運んで街に売りに出かけていたためであり、当時はそれで十分に生計が立ったのである。
 それでは、ルイス選手はなぜ走ったのだろうか。
 彼は貧しかったため、恋人との結婚をその家族から認められなかった。
「マラソンで、優勝したら娘を嫁にやる」といわれて、発奮した彼は優勝した。
彼がマラソン競技に出場したのはこのときだけだった。
その後に結婚した彼は、以前どおり農夫や水売りや警官としてつつましい生活を送ったという。
 ルイス選手が再び脚光を浴びたのは、40年後の1936年、第11回ベルリンオリンピック大会のときである。
このときドイツの独裁者ヒトラーは、栄えある初代マラソン勝者に目をつけて、ナチスがもくろむ民族の祭典の象徴に祭り上げた。
マラソンで優勝する前もその後も、彼は水売りの行商をしていたのだが、ナチの宣伝に使われた彼の晩年は、不幸だった。
(『水と清潔 風呂・トイレ・水道の比較文化史』福田眞人 朝日新聞出版 2024年)

オリンピックの歴史 2.近代オリンピックの始まり 第1回 アテネ大会(ギリシャ) <1896年4月6日~15日>」(TEAM JAPAN )

今朝の父の一枚です(^^)/

写真家島田忠さんの出発点はモズだそうです
(絶版になっているのですが、復刊してほしいです)。

 モズ 不思議なわすれもの

ぼくが生まれてはじめてとった写真はモズでした。
高校1年生のとき、家のちかくのささやぶで、
かれ草のかたまりの中に、小さな卵を4コ見つけました。
なんの巣かつきとめるためにかくれて見ていると、
モズがやってきて卵をだいていたんです。
大すきなモズの巣を見つけたことがうれしくて
毎日毎日見ていたら、お母さんがカメラを買ってくれました。
生まれてはじめてさわるカメラ。
ぼくはさっそくモズをとってみることにしました。
いまみたいに大きな望遠レンズがなかったので、
できるだけモズにちかづくために、
農機具にかけてあった緑色のシートを頭からかぶり、
えだにとまるモズにねらいをつけて、パチリ。
これが、写真家としてのぼくの出発点になりました。
いまでもぼくの大切な宝物です。
(『モズ 不思議なわすれもの』島田忠 新日本出版社 2009年)

やっとワードから貼り付けるやり方が分かってきたような気がします。
前回の記事も修正しました。