2024年11月19日火曜日

雨が降らなかっただけでも

 朝、外を見ると冷たい雨が降っていました。
12月並みの気温になったうえに雨だと風邪を引くと思ったけど
歩いているときは雨が止んでくれました。
それでも黒い雲が空を覆っていていつ降ってもおかしくない空模様でした。
学生時代によく登った比良山では

近畿地方 各地で今季1番の冷え込み」(関西NHK)
今日は、「世界トイレの日」(World Toilet Day)。
地震が起きたときに水や食料が必要。
そして困るのはトイレの問題。
日本では、災害時にトイレの問題がおきますが

世界トイレの日プロジェクト」(ユニセフ)
世界ではいまだ、約15億人がトイレを使えない現実があります。

イスラエルの攻撃を受けているガザでは、パレスチナの人々はどうしているのだろう?
トイレの歴史を見てみると…

 木簡は見た!天平人の秘められた事情?
 意外な木簡、奇妙な木簡

 
木簡は、役所の文書や荷札・付札など、事務作業にともなうものがほとんど。
だが、中には意外な言葉が書かれていて、事務書類らしくない木簡も出土する。
そのような木簡から、天平人の暮らしぶりが垣間見られることもある。

 此所不得小便
 (ここで小便をするな)

立ち小便禁止
日本最古(?)の立小便禁止札。
長さ20.3cm。
平城宮第一次大極殿院の改修工事現場の遺構から見つかったので、立て札のように使われたのだろう。
いくら立て札で注意しても、当時の人々が文字を読めなかったら意味がない。
現場で働く人々でも少しは文字が読めた可能性を示唆する木簡だ。
(『平城京のごみ図鑑 最新研究でみえてくる奈良時代の暮らし』奈良文化財研究所監修 河出書房新社 2016年)
あのベルサイユ宮殿では…
「ベルサイユ宮殿 トイレ事情」などで検索するといろいろ記事がヒットします。
「芸術の都」「花の都」とも言われるパリでは

  4 江戸の水とエコロジカル

 …前略…
 糞尿の処置は、廻船による集糞尿、郊外の農家への販売ということがあった。
それで生計がなりたつ運搬業の成立もあった。
江戸の街には、糞尿が直接川に流れ出さない工夫がなされていたのである。
それが、当時のヨーロッパとの大きな違いであろうか。
 パリでは18世紀、19世紀になっても、「水にご注意!」(Regrde l’eau)と叫んで、窓から糞尿を街路に夕方以降放り出していたのである。
 …後略…
(『水と清潔 風呂・トイレ・水道の比較文化史』福田眞人 朝日新聞出版 2024年)
 二 人生
 平安末期の用便法


 若いころ平安時代の文学を読んでいていつも疑問に思っていたことは、宮廷の人たちはどのようなものどのようにして食べ、下着はどうであったか、どのようにして寝、脱糞放尿はどのようにしていたのかということであった。
ところが、絵巻を見るようになって、その疑問が少しずつ解けてきた。
それは大きな喜びであった。
とくに「餓鬼草紙(がきぞうし)」や「地獄草紙(じごくぞうし)」「病草紙(やまいのそうし)」などが、その疑問を解いてくれる多くの鍵を持っている。
(『絵巻物に見る日本庶民生活誌』宮本常一著 中公新書 1981年)

(注:原著になかった読み仮名をつけていますが、間違えているかもしれません)
 今一つ、山口県大島の生まれである私は、子供のころ日常使う方言として、ハコをヒル(大便をする)、バリをバル(小便をする)、セッチン(便所)、ツベ(陰部)などというのがあって、それは悪いことばとして先生から厳しく止められた記憶を持っていたが、成長するにつれて、それがいずれも古語であり、古く一般に使われていたことばであったことを知って、べつに悪いことばではなかったのだと思うようになった。
 そこでそうした疑問への答えとして、これらの絵巻を見ていきたい。
これらの絵巻は藤原末期に流行をみた六道思想――天上・人界・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道――を表現した六道絵の一部と思われるが、それは人間世界の中にひそむ醜悪な半面を表現したものであった。
脱糞放尿のようなものもそれである。
「餓鬼草紙」の伺便(しべん)餓鬼を描いた場面ではとくにそれが写実的に表現されている。
 藤原末期のころは庶民社会に便所の設備はなくて、空地があれば、どこでも大小便がなされたようである。
こわれかけた築地塀のそばで、女も老人も子供も、足駄を履き、うずくまるか、股を開いて用を達している。
そのあたりに紙片と糞ベラが散らばっているのは、大便をすましたあとは紙でぬぐうか、糞ベラでふき取ったものであろう。
裸の少年は手に糞ベラを持って脱糞している。
 糞ベラというのは木か竹を短冊状に薄く割ったものである。
東日本では最近までこれを使っていた地方があり、チューギと呼んでいた。
籌木と書くのであろう。
 便所の起こり

 しかし、貴族社会での用便の方法は庶民と違っていて、住居の一定の場所で便器を使用したものとみられる。
いわゆる清箱(しのはこ)である。
形は必ずしも曲物ばかりでなく、長方形の漆塗りのものもあった。
大便をハコといったのは、こういうもので用を達したからではなかろうか。
 もっとも、貴族たちの用便の方法はハコを用いて、その中に排泄するだけであったかというと、そうでもなさそうである。
源順(みなもとのしたごう)の『和名抄(わみょうしょう)』には、すでにカワヤということばも見えている。
『古事記伝』には「古厠は溝流の上に造て、よりたる屎は、その水に流失する如く構えたる故に河屋とは言なり」とある。
 このような便所は、昭和20年以前には高野山の宿坊でも見られた。
 しかし、土を掘って、そこに板を渡し、そこで大便をするようになったのはずっとのちのことと思われる。
絵巻の中では、「慕帰絵(ぼきえ)」にそれが描かれているのが最初ではないかと思う。
そして、そういう便所を禅僧たちは「東司(とうす)」「雪隠(せついん)」とよんだのであろうが、それが民間に残存すると、悪いことばとして否定されるようになったのである。
 それでは土穿(つちほじり)の便所はなぜ一般に行われるようになったかというと、人糞尿が作物の肥培(ひばい)のために、肥(こえ)として用いられるようになったからと思われる。
それまでに、すでに牛馬の糞が肥料として用いられていたことは『延喜式』などにもうかがうことができるが、人間の糞尿の利用も、六道絵が描かれるようになったころから、漸次一般に普及していったと思われる。
 「餓鬼草紙」の疾行(しっこう)餓鬼のあとに、もう一図食糞餓鬼の図があるが、これには土饅頭のある埋葬地の前の野天に大きな池のような穴が掘ってあって、餓鬼が二匹はいって糞を食うているさまが描かれている。
これは野外で垂れ流しにしたほか、埋葬地のような汚穢(おわい)の地に、穴を掘ってそこで排泄することも行われていた事実を物語るもので、きわめて素朴な共同便所がこの当時出現していたのである。
そして、このような土穿に排泄物がたまれば、肥料として使用することができたのであろう。
 排泄のさまを描いたものは「病草紙」の中にも二図ある。
その一図では、野外で行うときは足駄(あしだ)をはいている。
もう一図は、縁端で排泄している。
そういうものは、時に犬が来て食うこともあったようである。
 人間の生活はなまなましく、ときに不潔であったということを、昔の人も決して見逃してはいなかったのである。
(『絵巻物に見る日本庶民生活誌』宮本常一著 中公新書 1981年)
今朝は、野鳥を写せなかったので、 昨日、写した父の一枚です(^^)/
トイレのことを書いてきたので(^_-)
以下に紹介する本は、「ミエルダ」と「うんち君」の対話になっています。
公式サイトで試し読みができます。

 第2章 個体にとっての「うんち」
💩鳥の「うんち」


「消化管や付属器官からの分泌物には、たとえ微量でも『うんち』にとって重要な物質がさまざまに含まれているんですね」
 うんち君の相槌(あいづち)に、ミエルダは思い出したようにこう言いました。
 「そういえば、さらに興味深い物質が含まれている『うんち』があるよ。たとえば、鳥の『うんち』にはよく、不溶性の白い物質が含まれているんだ。路上に落ちているハトやスズメの『うんち』や、ペットの小鳥の『うんち』を見ると、茶褐色の『うんち』に白い絵の具のような物体が覆いかぶさっていることが多い(図2-6 略)。ふしぎなことに、この白色体は『うんち』本体の茶褐色とは混じることがないんだ」
 「どうして?」
 「この白い物質は、鳥の尿に含まれる不溶性の窒素代謝物である『尿酸』だからだ。尿酸は、排泄するのに多量の水を必要としないという特徴がある。飛翔(ひしょう)のために、少しでも体重を減らしたい鳥類にとって、とても好都合な排泄物なんだ。一方、哺乳類の尿に含まれている窒素代謝物は水溶性の『尿素』だ。鳥類では、肛門と排尿口、生殖細胞を出す生殖口がいずれも、同じ空間である『総排泄腔(そうはいせつこう)』に開口しているので、『うんち』に尿酸が覆いかぶさると、その色合いが茶褐色と白色のまだらになるんだ。爬虫類も、鳥類と同様の排泄法をとっているよ。『うんち』は含まず、尿酸だけが含まれた尿を排出するときもある」
(『うんち学入門 生き物にとって「排泄物」とは何か』増田隆一 ブルーバックス 2021年)