黒い雲が時々きれて青空が顔を覗かせると日差しが暑いくらいでした。
午後から買い物に出かけると時々、雨が降っていました。
夜には寒気が流れ込んできて真冬並みの寒さになるとか…日曜美術館「Оh!SAMMY DAY 柚木沙弥郎101年の旅」
何気にみていたら不意を突かれた…
柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)さんの最後のメッセージ
「同じことのくりかえしのように思うけどね
ずいぶん長い間
根本は昔のものも今のものもね
気持ちは変わらないと思う
長い道ですね
その中でワクワクする気持ちが
ずっと伝わっていってると思うな」現代の感覚や自己の価値観でドラマの批判をする投稿をよく見かけますが
テレビドラマの茶の間
「テレビドラマのお茶の間って、ほんものよりずっとせまくて汚いのね」
「寺内貫太郎一家」のスタジオを見学した私の友人の娘さんは、びっくりしたような顔をしてこういった。
おっしゃる通りである。
「寺内貫太郎一家」の茶の間は、せいぜい四畳半そこそこ。
すすぼけたタタミに、塗りのよくない食卓が一つ。
小だんすに食器棚。
それも、安ものである。
あとは小さな電話台に一輪差し。
今どきこんな殺風景(さっぷうけい)な茶の間はまずないだろう。
(『向田邦子ベスト・エッセイ』向田和子編 ちくま文庫 2020年) ところが、ここに、小林亜星サン扮する貫太郎が坐り、加藤治子サンの里子サンがならんで、周平こと、西城秀樹クンがぶっとばされる。
お馴染(なじ)みきん婆さんこと、悠木千帆サンが入り乱れると、皆さまお馴染みの「貫太郎一家」の茶の間になってしまうのである。
考えてみると、私は十年前の「七人の孫」に始まって、「きんきらきん」「時間ですよ」「だいこんの花」「じゃがいも」など、随分沢山(たくさん)のホームドラマを書いてきた。
そして、いま気がついたことは、皆さんに多少なりともおほめにあずかったドラマの茶の間は、申し合わせたように、せまくて小汚ない日本式のタタミの部屋だったということである。 ひと頃はやった。小坂明子さんという若い方の作詞作曲の歌で、「あなた」というのがあった。
その中で、将来「あなた」と住みたいと夢みている理想のうちがでてくる。
記憶に間違いがあったらお詫びするけれども、たしか赤い屋根、青い芝生の白い家で、居間には暖炉があり、「私」はロッキング・チェアかなにかでレースを編んでいるのではなかったろうか。 いかにも若い、無垢(むく)なお嬢さんの考えるスイートホームらしく、あのひたむきな歌いかたと相まって、私も好きな歌だったけれど、これをそのままセットにしてテレビドラマを書いたら、多分、失敗するに違いない。
よっぽどうまい設定で、人間臭い役者がやらない限り、何となくコマーシャルフィルムじみて、切実な感じが少ない。
泣いても笑っても絵空事になってしまいそうな気がするのだ。 だから、私は新しいドラマの企画をつくるとき、まず、茶の間はなるべくせまく、汚ないタタミの部屋にする。
間違っても皆さんが憧れるような、ステキな家具は絶対に入れない。
カーテンも、インテリアの雑誌から抜いたようなモダンなデザインはやめて、あるのかないのかわからないようなねぼけた色にしていただく。
ピアノやフランス人形、タレントさんの応接間にあるような大きな縫いぐるみもカンベンしていただく。
そして、洋服ダンスの上には古い洋服箱を天井まで積み上げて、箱の横側には、「父、夏、背広」とかなんとか書く。
ザブトンも、いま、フトン屋さんから届きました、というのは、しまっていただいて、センベイブトンそのままの、小さくて、お尻の下にオナラの匂いのしみこんだようなものをそろえていただく。 セットはそんなあんばいだから、その中で演技をする役者さんも、モード雑誌から抜け出したようなガウンや小紋の着物では、なりとセリフがトンチンカンになるのであって、せいぜいカスリの着物かGパン。
お父さんはステテコやどてらがよろしい。
要するに、決して、理想の家、茶の間にしないことが、愛されるテレビドラマの茶の間になるコツなのである。
考えればフシギなことである。 こんなにマイホームが叫ばれているのに、ごく手短かに夢の叶えられるテレビのホームドラマの茶の間に、その実現をのぞまないのはなぜなのだろう。
もし、あなたに一億円差し上げて、理想のマイホームをつくっていただくとする。
まっ白のリビング・ルーム。
モダンなダイニング・キッチン。
きっとそういうのをおつくりになるだろう。
しかし、一年たち、二年たつ。
あなたは、本当にそこに安らぎをお感じになるだろうか。
汚れやすい白い壁。
何かこぼすとすぐシミになるフカフカの淡色のジュウタン。
いつも正式晩餐会(ばんさんかい)のように、背スジをまっすぐにしないと納まりの悪いダイニング・セット。
あなたは、少々くたびれてこないだろうか。 足の裏が汚れていても、気にならない、少しいたんだタタミにあぐらをかいて、足の爪を切る楽しみ。
鼻クソをほじって、チャブ台の裏にこすりつけるひそかなよろこび。
手をのばせば、耳カキでも栓ヌキでもすぐに出せるせまい茶の間。
そして、ひざのぬけたGパンと着馴れた去年のセーター。
ついでにいえば、欠点だらけでお互いあきているのだけれど、気のおけないだけいいや、といったわが家族。
どうみても美男でも美女でもない、同じような形の悪い鼻と小さな目……。
小汚ないせまい茶の間は、そういう気楽な人生の休息時として、一番ふさわしいのではないだろうか。
――新装版『女の人差し指』より――
(『向田邦子ベスト・エッセイ』向田和子編 ちくま文庫 2020年)はしかが発生したときに1名でも公表されることに
たった1名で騒ぐのは大袈裟ではないかという投稿をみたことがあります。
私たちの年代は、保育所や小学生のころに麻疹に感染することが多かったので抗体ができていると思います。
2018年に抗体検査を受けると陽性でした。
「麻しんについて」(厚生労働省)
「はしか感染者相次ぐ 空気感染も ワクチン接種が必要な世代は…」(NHK 3月13日)
「はしか感染者の “行動歴” なぜ公表?公表する基準は?」(NHK 3月15日)第3部 日本列島史と感染症の現状
第10章 ハシカを侮る後進国・日本
世界のハシカの歴史
ハシカとされる記録は7世紀までさかのぼることができる。
10世紀ごろには、いたるところで子どもたちがこの病気にかかっていた。
ハシカを最初に報告した、ペルシャの哲学者で医者だったイブン・ザカリヤ・ラゼス(860~932)は、これは伝染病ではなくて、乳歯が抜けるのと同じように子どもが経験する自然現象にすぎないと考えた。
14世紀になると、中国の明(みん)代に出版された医学書『古今医鑑』には、ハシカを意味する麻疹(ましん)という記載が登場する。
(『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』石弘之 洋泉社 2014年) 天然痘とともに新世界にハシカを持ち込んだのはコロンブスの一行だ。
免疫がまったくなかった先住民にとっては、破壊的な影響をもたらした。
キューバではスペイン人の持ち込んだハシカによって、1529年に先住民の三分の二が死亡した。
その2年後にはホンジュラスで人口を半滅させる流行が起き、メキシコやその他中南米に拡大していった(第3章)。
米国では17世紀後半から18世紀にかけて東海岸では2~3年おきに流行して多くの死者を出した。
1912年に最初の大流行があり、1万2000人が死亡した。 1757年にスコットランドの医師が、患者の血液からもハシカが感染することを見いだした。
その後も局地的な流行を繰り返してきた。
アイスランド、グリーンランド、アラスカなどの高緯度地帯、ハワイ、サモア、フェロー諸島、オーストラリア、ニュージーランドなどの南太平洋といった「処女地」で、住民の9割以上が感染するような深刻な事態を引き起こした。
1850年代にハワイの人口の2割、1875年にはフィジーで人口の3割、19世紀にはインド洋のアンダマン諸島の人口をほぼ壊滅させた。 戦乱が後押しするハシカの流行
戦乱にはハシカの流行がつきもので、その後も第1次・第2次世界大戦、湾岸紛争・コンゴ内戦、ソマリア内戦でもハシカが流行した。
歴史家ウィリアム・マクニールの『疫病と世界史』によると、ハシカは過去150年の間に2億人以上の命を奪ったという。 1954年に米国ハーバード大学でウイルスが分離され、1963年に米国ではじめてハシカのワクチンが認可を受けて、ハシカの歴史は一変した。
それまで米国内では、2~3年ごとに流行が繰り返され、その都度300万~400万人が発病し、500人前後が死亡した。
ワクチンの普及で発病者は99%も激減した。
しかし、1985~88年にワクチンを打った子どもの間で、ハシカにかかるものが増えてきた。
1989~90年には5万5600人の感染者が出て123人が死亡、その9割までが5歳未満だった。
1回だけの接種では効果が低いことがわかってきて、5歳から19歳は2回接種が標準になった。 WHOは世界中からハシカを根絶するための目標を掲げている。
南北米大陸ではすでに2000年から国内起源のハシカの発生件数がゼロになっている。
日本が属しているWHO西太平洋事務所では、2012年を目標にしてきたが、日本や中国という大人口を抱えて達成はできなかった。
地中海沿岸地域、ユーラシア大陸でも2010年をもって発生件数をゼロにするという目標を掲げたが、ワクチン購入のための資金不足などから達成できなかった。
(『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』石弘之 洋泉社 2014年)
11月10日に転記した山内一也さんの危惧が現実になりましたね…
「米 厚生長官にロバート・ケネディ・ジュニア氏を起用へ」(NHK 11月15日)