冷たい雨が降っていました。
こんなに冷たい雨が降っているので出てこないだろうなと思ったけど
小さなカタツムリに行き帰りとも出会いました。
冬眠するには、まだ早いのだろうな。大河ドラマは見ていないのでどのように描かれているのかは知りませんが。
源実朝については、都への憧れから歌ばかり詠んでいた三代将軍という思いこみがありました。
でも、和歌集を読んでいるとイメージが変わりました。
心のこころをよめる
神といひ 仏といふも 世の中の 人の心の ほかのものかは
「心」という題意を詠んだ歌、の意。
神だの仏だのと言うが、それもこれも現世に生きる人の心以外の何者でもないのだ。
神仏を生み出した、人間の心を尊ぶ実朝の心眼は鋭い。
(『新潮日本古典集成<新装版> 金槐和歌集』樋口芳麻呂校注 新潮社 平成28年)信者から多額の寄付金?を上納させて生活を破綻させる宗教団体がありますが
懺悔(さんげ)の歌
塔(たふ)を組み 堂(だう)をつくるも 人の嘆き 懺悔にまさる 功徳(くどく)やはある
塔を組んだりお堂を造ったりするのも善行にはちがいない、が、自(みずか)らの罪深さを嘆いて懺悔すること以上の善行があるだろうか。
堂塔建立(こんりゅう)の外面的功徳を施して得意がるより、自己の内面に目を向ける方が大切だと、舌鋒(ぜっぽう)鋭く詠んでいる。
(『新潮日本古典集成<新装版> 金槐和歌集』樋口芳麻呂校注 新潮社 平成28年)11月霜月(しもつき)
新嘗祭
日本古来から続く大切な皇室行事のひとつ。
自然の恵みに感謝を捧げて新米をいただく
11月23日は、天皇自らがその年にとれた新穀を神々にお供えし、自らも食する祭儀「新嘗祭(にいなめさい)」が行なわれる日です。
「勤労感謝の日」として、国民の祝日でもありますが、宮中だけでなく、新嘗祭に合わせて全国各地の神社でも神事が行われます。
新嘗祭は、数多くある皇室行事の中でも、特に古くから続く大事な祭礼とされています。
まず皇居の神嘉殿(しんかでん)という建物に神々をお招きし、午後6時から8時までは「夕の儀」が、深夜11時から午前1時までは「暁の儀」が執り行われます。
厳しい寒さの中、庭には篝火(かがりび)が灯され、神事は厳かに進んでいきます。
(『鳩居堂の歳時記』広田千悦子著 鳩居堂監修 主婦の友社 平成28年) 厳かな儀式に用いられることの多い和紙・奉書紙や檀紙は、どちらも楮(こうぞ)を主な原料として漉(す)かれ、お供え物のお米をイメージさせる白色です。
特に奉書紙は神事の祝詞にも使われています。
ちなみに、お供え物としても使われるお米ですが、その種類は、なんと三百種類以上もあります。
見た目はほぼ同じですが、甘み、粘り、食感、つやなど、お米の特徴を味わい分ける細やかな味覚を、私たちは持っているのです。
遅く実る晩稲の収穫も終わる頃、つやつやの新米をいただけば、そのおいしさに、「恵み」に感謝する気持ちも自然と生まれてきます。
(『鳩居堂の歳時記』広田千悦子著 鳩居堂監修 主婦の友社 平成28年)
「鳩居堂について」(鳩居堂)第1章 暮らしの歳時記
神農(しんのう)さん
11月の大阪で落とせないのが、22、3日の神農さん。
薬種商が集まる中央区道修町(どしょうまち)に鎮座する少彦名(すくなひこな)神社の祭礼で、祭神はわが国の薬の神である少彦名命と、中国の古代伝説にある三皇の一人、炎帝(えんてい)神農を祀る。
通りの北側の露路の奥にある狭い境内は、普段はほとんど参詣者が見られないが、この日だけは、魔除けの張子の虎を付けた笹の枝を配るので、大変な賑わいを見せる。
昭和初年には武田、塩野義、田辺などの製薬会社も、まだ昔ながらの和風の建物で、店の間を開いて薬品の化粧函(ばこ)や漢方の生薬など使って組み上げた大きな人形を飾って、趣向を競っていた。
多くは歌舞伎や昔噺の場面だが、なかには「肉弾三勇士」など軍国物も登場していた。
街には露店が立ち並び往来もままならぬ人出だった。
また辺り一面に薬の匂いが漂っていたのも懐かしい。
「オッサン虎おくれ」と言って貰って帰った笹の枝は、十日戎の福笹と並べて神棚に飾る家が多かった。
現在も盛大に行われているらしいが、ほとんど店がビルになり、作り物も人形もなく昔の風情は全く感じられない。
(『京なにわ 暮らし歳時記』山田庄一 岩波書店 2021年) 「大師は弘法に取られる」というとおり、一般にお大師さんといえば空海を意味するが、「十二月」の〝大師講〟は天台大師智顗(ちぎ)の忌日で12月24日、智顗は中国隋時代の僧で、天台宗の開祖とされる。
この日は枯れ柴を箸にして、小豆粥を食べる習慣があったという。
いよいよ師走(しわす)である。
「十二月」の〝乙子(おとご)おろかや〟は事も愚かやの洒落。
乙子は末っ子を意味することから、12月1日を乙子朔日(ついたち)といって、雑煮を祝うことがあったらしい。
(『京なにわ 暮らし歳時記』山田庄一 岩波書店 2021年)「令和4年神農祭について」(少彦名神社)
「霜月会(しもつきえ)」(天台宗)
おとごのいわい【乙子の祝い】
旧暦12月1日に行う祝い。
この日に餅を食べると水難をまぬがれるという。
「乙子の朔日(ついたち)」とも。
(『広辞苑 第六版』岩波書店 2008年)大師講と新嘗の神
高僧巡来の歳時
こうした高僧の伝説や伝承は千葉県に限らず各地にあって、その信仰は今も生きている場合が多いが、日本の年中行事のなかには、11月に大師と呼ばれる高僧が訪れて来ると伝える日、あるいは大師をまつる日がある。
10月は神無月(かんなづき)で、神々が出雲(いずも)に出かける月であるのに対し、11月は高僧が家々を訪ねて来るのであり、10月と11月には対照的な伝承があるといえる。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)(中略)
福岡県には、11月14日にこの地に空也(くうや)上人が来られた日なので、各家ではその翌日に上人にあげるための、指のように細長い団子をつくって寺参りをしたところがある。
また和歌山県の熊野では、11月23日は昔、安倍晴明(あべのせいめい)が来て山蛭(やまひる)の口を捻(ひね)って人に付かないようにしてくれた日なので、この日にはオシロイ餅(もち)といい、白い米粉のしとぎ団子を清明様に供えると伝える。
訪れて来るのは弘法大師でなく、このように空也上人や安倍晴明の場合もあるが、全国的に多いのは大師様で、それは弘法大師だとするところが多い。 (中略)
大師講に供える粥(かゆ)などには箸(はし)を添えるが、この箸は萱(かや)で長いものを作るとか、二本の長さを変えて長い箸と短い箸にするなど、特別な伝承がある。
日本の歳時には、その時だけに特別な箸を作り、通常は使わない箸の伝承があるが、こうした箸が後に割り箸を生んだと言える。
大師講に関しては、さらに大師様には二十四人の子どもがいると伝えたり、この日には「大師講吹き」などと言って天候が荒れると伝えたりするところが各地にある。
ここで言う11月23日というのは、旧暦の時代なら北国や高地では雪が降り始める時期である。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)今朝の父の一枚です(^^)/
山茶花(さざんか)
○サザンカがよく咲く年は漁がある(対馬)。
○カタシ(サザンカ)の花が咲く頃にメジロがあわただしくやってくる(鹿児島県甑島)。
(『日本俗信辞典 植物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 令和2年)