2022年11月10日木曜日

穏やかな朝

ヒンヤリした朝でしたが、歩いていると体がポカポカしてきました。
時々、薄い雲が広がったときは寒くなりましたが、すぐに消えました。
立入禁止」のテープが貼られていたので見るとハチの巣があるようです。
クロスズメバチかな?
オオスズメバチなどと違って大人しい性格なので刺激を与えなければ大丈夫です。
森林生物 クロスズメバチ」(森林総合研究所)
ロシアのウクライナへの侵略がトランプ氏が大統領の時でなくてよかったと思う。
トランプ氏は、ロシアの協力を受けていたと言われている。
ロシアの狙いはトランプ氏の復帰? プーチン氏の側近が米中間選挙介入を明かしたワケ」(テレ朝news 11月8日)

米中間選挙:民主党「予想以上の善戦」で議席減は限定的か 下院は依然共和党優勢〟(ニューズウィーク日本版 11月9日)
共和党が議会で主導権を握れば、ウクライナへの援助を阻止することができるが、軍事・経済援助を遅らせたり縮小したりする可能性の方が高いとアナリストはみている。
五輪組織委の元理事 4回目の起訴 賄賂総額2億円で捜査に区切り」(NHK 11月9日)
何故、政府が東京オリンピックを開催しようとしたのか
利権に群がった者たちの実態が今回の起訴で明らかにされるのかな?

世界 2022年12月号」に森まゆみさんの
神宮外苑は「創建の趣旨」に立ち返れ〟が載っています。
小見出しと一部を転記します( ..)φ
 神宮外苑は「創建の趣旨」に立ち返れ 森まゆみ
 神苑を壊すオリンピック後の再開発計画

…前略…

 しかしあまりにツケは重い。
2011年に独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が久米設計に調査依頼し、「777億円で屋根付きに改修できる」と報告された前の競技場は壊されてしまった。
…後略…
 神宮外苑の成立

 アジア大会から64年オリンピック

 2020東京オリンピックの大義名分

 オリンピック後に始動した神宮再開発

 再開発計画は相当前からあった

(『世界 2022年12月号』岩波書店)
 森林の国のゆくえ
…前略…
 記事などで何度も桃山御陵という言葉を書いたのに、私は一度も行ったことがなかった。
2022年の春、はじめて桃山御陵を訪ねた。
そこには鬱蒼(うっそう)とした森に覆われ、巨大な石段を上がると頂上に鳥居が建ち明治天皇の陵があった。
トイレや事務所もある。
そこから坂道を下ると昭憲皇太后の陵、こちらは少し小ぶりで折しもしだれ桜が満開だった。
このように陵はすばらしい森に囲まれているのに、なぜ東京では神宮外苑の樹木をこんなに伐ってしまうのだろう。
 日本は国土の約70%が森林の国である。
大和三輪山(みわやま)のご神体は山であり、森には神や精霊が宿ると言われてきた。
私自身、森という姓に愛着と誇りを持ってきた。
いまこの国の森は、メガソーラーやメガ風力業者によって保水力や水源が破壊されている。
一方、都会では再開発と称して、超高層ビルを建て、温暖化を加速させる。
まったく位相の異なる事業のようだが、これらはじつに「地域の暮らしを壊し、企業の利益を追求する」という点では同根なのである。
(『世界 2022年12月号』岩波書店)

明治天皇伏見桃山陵(めいじてんのう ふしみのももやまのみささぎ)」(天皇陵 宮内庁)
取り壊されてしまった競技場について

開会式
 あすへの祈念
  杉本苑子

 第十八回オリンピック東京大会の開会式を見た。美しかった。
 テレビ放送のリハーサルなどで、空想をたくましくしすぎていたせいか、感動はそれほどでもなかったが、うつくしさは想像を越えていた。
色彩の饗宴である。
アンツーカーのトラック、フィールドの芝――。
レンガ色と緑がつよいコントラストをつくって、まず目を射る。
そこに並ぶ各国選手たちの、とりどりのブレザーコート……。
何よりは空がみごとであった。
地上のはなやぎは、明澄(めいちょう)なこの日の空に助けられて、なおあざやかさを増したと思う。
(『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』 講談社文芸文庫 2014年)
 二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた。
女子学生のひとりであった。
出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグランドで立って見送ったのである。
場内のもようはまったく変わったが、トラックの大きさは変わらない。
位置も二十年前と同じだという。
オリンピック開会式の進行とダブって、出陣学徒壮行会の日の記憶が、いやおうなくよみがえってくるのを、私は押さえることができなかった。
 天皇、皇后がご臨席になったロイヤルボックスのあたりには、東条英機首相が立って、敵米英を撃滅せよと、学徒兵たちを激励した。
文部大臣の訓示もあった。
慶応大学医学部の学生が、送る側の代表として壮行の辞を述べ、東大文学部の学生が出征する側を代表して答辞を朗読した。
 音楽は、あの日もあった。
軍楽隊の吹奏で「君が代」が奏せられ、「海ゆかば」「国の鎮め」のメロディーが、外苑の森を煙らして流れた。
しかし、色彩はまったく無かった。
学徒兵たちは制服、制帽に着剣し、ゲートルを巻き銃をかついでいるきりだし、グランドもカーキ色と黒のふた色――。
暗鬱な雨空がその上をおおい、足もとは一面のぬかるみであった。
私たちは泣きながら征く人々の行進に添って走った。
髪もからだもぬれていたが、寒さは感じなかった。
おさない、純な感動に燃えきっていたのである。
 オリンピック開会式の興奮に埋まりながら、二十年という歳月が果たした役割りの重さ、ふしぎさを私は考えた。
同じ若人の祭典、同じ君が代、同じ日の丸でいながら、何という意味の違いであろうか。
 あの雨の日、やがて自分の生涯の上に、同じ神宮競技場で、世界九十四ヵ国の若人の集まりを見るときが来ようとは、夢想にもしなかった私たちであった。
夢ではなく、だが、オリンピックは目の前にある。
そして、二十年前の雨の日の記憶もまた、幻でも夢でもない現実として、私たちの中に刻まれているのだ。
 きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。
私にはそれが恐ろしい。
祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるか、予想はだれにもつかないのである。
私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならいといする祈りだけだ。
 アメリカの選手が入場してくる。
ソ連の選手がすぐあとに続く……。
オリンピックの持つ意義、その重大さ、尊さを痛感せずにはいられない。
 もう戦争のことなど忘れたい、過ぎ去った悪夢に、いつまでもしがみつくのは愚かしいという気持ちはだれにもある。
そのくせだれもがじつは不安なのだ。
平和の恒久を信じきれない思いは、だれの胸底にもひそんでいる。
東京オリンピックが、その不安の反動として、史上最大のはなやかさを誇っているとすれば問題である。
二十年後のために――永久とはいわない、せめてまためぐってくる二十年後のために、きょうのこのオリンピックの意義が、神宮競技場の土にたくましく根をおろしてくれることを心から願わずにはいられない。
                (10月10日 共同通信)
(『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』 講談社文芸文庫 2014年)

杉本苑子」(NHKアーカイブス)
今朝の父の一枚です(^^)/
ヤマガラを写していました。
ヤマガラは留鳥で渡り鳥ではありませんが、
夏の間は涼しい山に避暑に出かけているみたい(^_-)

くらしの季語 小鳥

 秋になると、冬を日本ですごすために北方から雁(かり)・鴨(かも)・鶴などが渡ってきます。
これら大型の鳥と同じように、連雀(れんじゃく)や鶲(ひたき)のような小型の鳥もやってきます。
こんな秋の小鳥をまとめて「小鳥」または「小鳥来る」といいます。
「小鳥」が季語なのならわが家のペットのカナリヤも、春の鶯(うぐいす)も小鳥ではないの、そんな質問があるかもしれませんが、季語の「小鳥」は、秋の山野に渡り鳥として飛来する小鳥のことをいいます。
 海を越えて南の日本へ来る小鳥、日本列島の北から南に国内を移動する小鳥、山地から里に下りてくる小鳥、これらも「小鳥来る」です。

  小鳥来て午後の紅茶ほしきころ  富安風生(とみやすふうせい)

 ちょっと一休みしたい、そんな日の午後、秋の小鳥が目に入ったのです。
ゆったりした時間の伝わる句です。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)