今朝は、風もなく青空が広がっていました。気候の急激な変化で体調を崩しがちですが
もう学年・学級閉鎖が始まっているのですね…
「都内今冬初 東京 八王子の小学校 インフルエンザで学年閉鎖」(首都圏 11月14日) 荒木健太郎さんのTwitter(11月14日)に
今回の地震を「人工地震だ」といっているひとを見て不安になったり、
「本当かな?」と思ったりしている方にぜひ読んでいただきたい資料です。
陰謀論やデマの投稿を見かけても相手にしないようにしましょう。
「疑似科学・陰謀論に注意」
「SNSの情報を上手く見きわめよう」 内田樹さんのTwitterに
『週刊金曜日』にアメリカの中間選挙のことを書きました。
アメリカの分断は今に始まったことじゃなくて、建国以来ずっとそうなんです。
アメリカは「引き裂かれてあること」が常態の国なんです。
だから、レジリエンスがある。
葛藤することで人は成長する。
国だってそうなんです。
アメリカの分裂がどういう原理的対立であるかはハミルトン、マディソン、ジェイの『フェデラリスト』を読むとよくわかります。
市民には武装権・抵抗権・革命権があると宣言して英国から独立した合衆国ですが
「で、合衆国政府に対しても市民の革命権は保証されてるの?」と訊かれると困りますよね。
アメリカは「市民は自然権を侵害する政府を改変廃絶する権利がある」と高らかに宣言して誕生した国なのですが、
そうやってできた合衆国の市民は自然権の侵害を理由に合衆国政府を改変廃絶する権利があるのかどうか。
このところが実は憲法上はかなりあいまいなんです。
「権利はある」と言ったら分裂内戦のリスクが増すし、「ない」と言ったら独立宣言の正統性が毀損される。
そうやって困ったまま250年が経った。
その間にたいそう繁栄して超大国になったので「まあ、これはあいまいにしておいて正解だったんだ」ということになった。
だから分断が終わらない。
帰国してもう日本の子七五三 山田弘子
世界は国際化の時代を迎え、海外で暮らす日本人もずいぶん多い。
それにつれ帰国子女も数を増しており、昔のようにハイカラさんと注目されることは少なくなった。
むしろ親も子も母国の文化に早く溶け込まなければと、努力する姿勢には今昔の感がある。
そんな風俗を<七五三>に焦点を当て、詠んだところが新しい。
明治維新以来、日本の近代化はひたすら欧米の文明を真似(まね)することに始終した。
それによって得たものはずいぶん多い。
けれど日本人としてのアイデンティティーは失われたのでないか。
「衣食足りて礼節を知る」ということわざはあるが、いわゆる礼節はどこかへ消えてしまった。
そんな親の喪失感がお宮参りに拍車を掛けているのかもしれない。
幸いにして子供は何事にも順応が早いから、お宮参りの衣装をつけてもよく似合う。
1935年~ 兵庫県生まれ。「円虹」創刊主宰。
句集『蛍川』『懐』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
七五三といえば(*´▽`*)世界は国際化の時代を迎え、海外で暮らす日本人もずいぶん多い。
それにつれ帰国子女も数を増しており、昔のようにハイカラさんと注目されることは少なくなった。
むしろ親も子も母国の文化に早く溶け込まなければと、努力する姿勢には今昔の感がある。
そんな風俗を<七五三>に焦点を当て、詠んだところが新しい。
明治維新以来、日本の近代化はひたすら欧米の文明を真似(まね)することに始終した。
それによって得たものはずいぶん多い。
けれど日本人としてのアイデンティティーは失われたのでないか。
「衣食足りて礼節を知る」ということわざはあるが、いわゆる礼節はどこかへ消えてしまった。
そんな親の喪失感がお宮参りに拍車を掛けているのかもしれない。
幸いにして子供は何事にも順応が早いから、お宮参りの衣装をつけてもよく似合う。
1935年~ 兵庫県生まれ。「円虹」創刊主宰。
句集『蛍川』『懐』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
千歳飴(ちとせあめ)
11月15日は七五三。
三歳児(男女とも)、五歳の男児、七歳の女児に晴れ着を着せ、お宮参りをして、子どもたちの幸せと健康を願う。
子どもの成長祝いは、中世に貴族や武家社会で行われた「袴着(はかまぎ)」や「髪置(かみおき)」「帯解(おびとき)」などの儀式に遡るが、年齢が定まり、11月15日の氏神様はのお参りが習わしとなるのは、江戸時代後期になってからだ(現在は15日に限定されない)。
(『事典 和菓子の世界 増補改訂版』中山圭子 岩波書店 2018年) 七五三に欠かせない菓子といえば、千歳飴だろう。
一般に、水飴と砂糖を煮詰め、何度も引っぱってのばし、気泡を入れて作る細長い飴で、鶴亀や「高砂(たかさご)」の尉(じょう)・姥(うば)などの縁起のよい図柄の袋に入った紅白の二本セットをよく見かける。
その原形と考えられるのが、江戸の浅草寺(せんそうじ)境内で売られていた「千歳(せんざい<年>)飴」(『還魂紙料(かんこんしりょう)』)。
千歳が長寿に通じることから後年、子どもの宮参りや七五三の祝いに作られるようになったといい、錦絵でも千歳飴が売られている情景を描いたものがある。
医療が今ほど進んでいなかった時代、病気にならず、立派な成人になってほしいという親の願いは切実なものだっただろう。
核家族化が進んだ現在では、食べる量を考えてか、短めの千歳飴も作られている。
(『事典 和菓子の世界 増補改訂版』中山圭子 岩波書店 2018年)
「子は宝!豊国“七五三の宮参り”」(浮世絵EDO-LIFE)
「還魂紙料」(国立国会図書館)100分de名著『「古代研究」折口信夫』の回を見て上野誠さんの著書が気にりました。
わが家の神仏
私の福岡市南区の家には、屋敷神さまはいなかったけれども、使用されなくなった井戸があったので、祖母は、盆と暮には、井戸の前にお神酒(みき)と洗米を供えていた。
つまり、わが家には、ご先祖さま、氏神さま、井戸神さまがいらっしゃることになる。
(『教会と千歳飴 日本文化、知恵の想像力』上野誠 小学館 2021年) そうそう、この原稿を書きながら、今、思い出した。
わが家は、1973年当時、すでにガスレンジを使用していたのだが、6月と12月には琵琶(びわ)を持ったお坊さんがやって来て、火難除けの「竈祓(かまばら)い」の祈禱(きとう)をしてもらって、お札を貰って貼っていた。
お坊さんが琵琶を弾きながらお経を唱えていたのを覚えている。
私たち三人家族は、祖母がやって来て、そういう神仏同居をすんなりと受け入れたのである。
私は体感主義なので、アンケート調査などというものを一切信じないが、日本人はその宗教を問われる「無宗教」と書く人が多いといわれる。
しかし、それは、聞き方が悪いのだ。 宗教というと、特定の「教団」への入信、帰依などを想定してしまうから、「無宗教」と答えざるを得ないのであって、日本人の場合、宗教に関する考え方が、根本的に違うのだと思う。
その謎を私なりに、これから解いてみたい。
身内を悪くいって悪いが、祖母、父、母の三人は、じつは仏教についても、神道についても何も知らなかった。
菩提寺は、臨済宗東福寺派だったので、お坊さんは仏事のたびに観音経を読誦(どくじゅ)してくれたが、それが観音経であることなど知らなかったし、氏神というだけで、そのご祭神も知らなかった、と思う。
私からいわせると、庶民の宗教知識というものは、その程度のものであった、と思う。 無節操な宗教生活
そこで、さらにわが家の無節操ぶりを暴露しよう。
私たちの家は、もともと普段着を扱う小商人であったから、とにかく街の人たちと仲良くしようとした。
なぜならば、そうでないと商売させてもらえないのだ。
そこで、氏神社の総代も、菩提寺の総代も、敬神婦人会の役員も、仏教婦人会の役員もやっていた。
何という無節操。
それだけなら、まだよい。
私の幼稚園がカトリックで、姉の中学校もカトリックだった関係で、教会の奉仕団体の役員もしていた。
そして、役員の任期中は「おミサ」にもで出ていたのだ。
笑ってしまったのは、家の負担が大きすぎるので、祖父、祖母、父、母はそれぞれお寺、神社、教会の「お役」を順番に回していたことである。
選挙でいうなら、いわゆるコスタリカ方式というやつである。
神父さまから洗礼を勧められることもあったが、いつも私たち家族の返事は決まっていた。
うちたちゃあ、お寺とも、神社とも縁がありますけん。「何でも教」ですたい。ですけん、受洗はでけんとですたい。
それをおもしろおかしく、身振り手振りを交えて言うので、神父さまも苦笑するばかりだった。 大学3年生の時だったと思うが、祖母、父、母に、何かの法事の席上、質問したことがあった。
「何で、『何でも教』なの、うちは?」と。
すると、三人とも異口同音に、こう答えた。
縁があるけんたい。受験でも、神さまにも、仏さまにも、ご先祖さまにも、マリアさまにも、お願いした方がよかろうが。四倍になろうが……。
なるほどと思ったが、そのあとの答えがひどかった。
「神頼み四倍でも、お前は高校と大学の受験に失敗したけどね――」と言われたので、すごすごと引き下がった記憶がある。
なるほど、すべては「神縁」「仏縁」なのか――。
(『教会と千歳飴 日本文化、知恵の想像力』上野誠 小学館 2021年)
…つづく…今朝の父の一枚です(^^)/
柿の木にはたくさんの俗信がありますが
柿 (3)柿を使ってするまじない
○兵庫県明石市の柿本神社にあるカキは、柿本人麻呂が植えたとの伝説がある。
妊婦がこのカキの実(御筆ガキという)を懐中すれば、難産のうれいがないという。
人丸と人生まる、或いは火(月経)止まるの語呂によるかといわれる。
人丸とカキの関係では、近火を防ぐまじないとして、門口に「焼亡(じょうもう)は柿の木まで来たれどもあか人なればそこで人丸」の歌を書いて貼ると類焼しないという俗信がある。
火止まる、の音通である。
(『日本俗信辞典 植物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 令和2年)
「柿本神社の歴史」