歩いていると日差しがポカポカ暖かったです(*^^*)
見に行きたいなぁ…
〝京都の北野天満宮 「飛梅」から採取した組織を培養した木に花〟(京都NHK 3月5日)
「飛梅伝説(とびうめでんせつ)」(太宰府市文化ふれあい館)
飛梅のように飛んで行きたいだろうな…「NHKニュース おはよう日本 ウクライナ停戦交渉は」(見逃し配信:3月13日まで)
2週間前にウクライナ北東部にある、ハリコフ出身の女性を通して、
ハリコフで暮らしているご両親の様子が伝えられていました。
2月24日にロシアによる軍事侵攻に見舞われましたが
両親は今もハリコフから避難できずにいます。
女性は、3年前、日本人男性と結婚を機に、来日しました。
侵攻前は両親とテレビ電話ができていました。
2月24日にロシアによる軍事侵攻が始まり、
ミサイル攻撃を受け、建物が破壊されました。
通信状況が不安定になったり、停電が起きたりして連絡が途絶えがちになっています。
母親)私たちはがんばっています。
耐え抜いています。
今、両親の支えになっているのは、おととし日本で生れた孫の存在です。
母親)孫は私たちの希望なの
生き残ってほしい。
孫にキスをしてね。
厳しい状況に置かれながらも、子どもや孫のことを心配する母親
家族が再会できることを願っています。
女性)両親のことを心配しています。
でも自分の親族や国
団結した人々に対する誇りも感じています。
(両親には)何よりも体に気をつけて諦めないで
必ずまた会いたいです。
春
春ほど待たれる季節はない。
冬来たりなば春遠からじと、冬の初めから春は待ち遠しい。
ことに冬の長かった雪国や山国に蘇ってくる春の目覚めは感動的である。
春になると人の心もなごむ。
「野に出れば人みなやさしい桃の花」(素十)である。
水はぬるみ、山河の姿もやさしくなり、天地は色彩に満ちあふれる。
だが日本の春は足早にやってこない。
春の歩みは遅々としている。
立春とは名ばかり、春立ちかえるのは暦の上のことで、立春の実感はまだ冬である。
春隣、春寒、花冷えなどと春の到来は小刻みでもどかしい。
正岡子規の母の言葉そのまま句になりてと前書きして「毎年よ彼岸の入に寒いのは」と詠んだ通り、春分になってもなお余寒が残るのだ。
事実、東京の平均気温で春彼岸は9.0度で秋彼岸の21.5度より12.5度も温度が低いわけである。
「花枝動かんと欲して春風寒し」とは中国の詩人王維の詩句だが、春とは思わせぶりなものだ。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
辛夷(こぶし)や白木蓮(はくもくれん)が陽気にさそわれ咲き急いで一夜の霜にやられ、無残にいたみよごれることがよくある。春ほど待たれる季節はない。
冬来たりなば春遠からじと、冬の初めから春は待ち遠しい。
ことに冬の長かった雪国や山国に蘇ってくる春の目覚めは感動的である。
春になると人の心もなごむ。
「野に出れば人みなやさしい桃の花」(素十)である。
水はぬるみ、山河の姿もやさしくなり、天地は色彩に満ちあふれる。
だが日本の春は足早にやってこない。
春の歩みは遅々としている。
立春とは名ばかり、春立ちかえるのは暦の上のことで、立春の実感はまだ冬である。
春隣、春寒、花冷えなどと春の到来は小刻みでもどかしい。
正岡子規の母の言葉そのまま句になりてと前書きして「毎年よ彼岸の入に寒いのは」と詠んだ通り、春分になってもなお余寒が残るのだ。
事実、東京の平均気温で春彼岸は9.0度で秋彼岸の21.5度より12.5度も温度が低いわけである。
「花枝動かんと欲して春風寒し」とは中国の詩人王維の詩句だが、春とは思わせぶりなものだ。
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
地下に冬眠していた蟇(がま)が春暖にだまされてノコノコとはい出し、急の寒さに凍死したイボイボのむくろもよく見かける。
春の陽気は一進一退の曲折を繰り返しながら大潮の満ち来るように天下は春たけなわとなるのである。 春の野に出ると、ものの芽が大地を割って顔を出している。
土の表面を割り、土の塊一つを動かすほどの力で頭をもたげてくる。
春の生命力である。
虚子は「ものの芽のあらはれ出でし大事かな」といったが、小さないのちの地上出現の姿は驚きである。
土くれを頭にかぶり、疑問符の?みたいに首をかしげ、ここでもそこでも地上の様子をうかがっている。
その一つ一つに春の神が宿っている。
蕗(ふき)のとうは去年よりだいぶ領土を広げている。
浅みどりのそれを一つ二つ取って持ち帰り、みじん切りにしてみそ汁、スープ、湯豆腐に散らして、早春の息吹をたべる。
早春第一番の風味である。
木々にも新芽が萌え出る。
いのうまでの裸木に、きょうは青い小さな灯がいっぱいともっている。
枝にも太い幹にも芽を吹いている。
大樹の幹に耳を当ててみる。
もちろん何も聞こえない。
植物は沈黙してものを言わない。
獣だけだ。
だが新芽の萌え出る時だけは、樹液の血がふつふつとさわいで、人間の聴覚には聞えぬ周波数の声でささやき、語り、歓声をあげているような気がする。 啓蟄で地中の虫がはい出してくる。
まず蟻(あり)が、初め春光にまぶしそうにやや戸惑い、足もともいくらかおぼつかなげに、二、三匹が出会ってちょっと立ち話をし、すぐ勤勉なサラリーマンのように歩き出し、ルナール風にいえば3333333……とたちまち長い蟻道をつくって往来する。 初蝶といえば紋白蝶、紋黄蝶が菜の花にといいたいが、ちかごろは菜の花畑もげんげ田もあまり見かけなくなり、むしろ街なかの人ごみにまぎれて初蝶をふと見る。
すぐどこへやらまぼろしの蝶と消え去るが……。
花から花へ「二つ折りの恋文」が飛び交う蝶の風情は、公園のチューリップなどむしろ外来の花で身近に見かけることが多い。
村上鬼城は「川底に蝌蚪の大国ありにけり」といったが、春はいろいろな生きものが到るところで誕生する。 春の雨は花の慈母、という。
情緒ウエットにしっとりと降る春雨は、土をうるおして草木の根の生命力をかき立て、発芽を促し、花の蕾(つぼみ)をほころばせてくれる。
一雨ごとに春色がととのうのである。
春泥という俳句の季語があったが、今は都会はすべて完全舗装で春泥のぬかるみはない。
その代わりせっかくの雨も地下に浸透せず、都会の大地には空気も水も酸素もなく、したがってミミズも微生物も住まなくなった。
コンクリートやアスファルトで蓋をされた都会の完全舗装からは春霞や霧や水蒸気が立ちのぼることもなく、天地の間の水の循環が途絶えてようとしている。
大正から昭和の初めころ東京の戸山ヶ原など1メートル先も見えぬ濃霧に閉ざされたものだが、戦後の東京都区内にはそのような濃霧は発生しない。
桜の花は南から北へ、里から山へと一カ月余にわたって日本列島の春を順繰りに飾る。
桜は戦中戦後、燃料の薪用に乱伐されたりして衰滅に瀕したが、日本さくらの会、日本花の会を始め国民の努力ですっかり復興し、ソメイヨシノ一本ヤリでなく、すぐれた品種の多種多様な里桜が全国に普及し、質量ともに戦前より向上し、新しい桜名所も各地に誕生した。
桜は今や世界中の人に愛され、米国、オランダ、ドイツ、ベルギーなど数十カ国で関山、普賢象、一葉、天の川、北斎など優れた品種がひろがり、国際親善と世界平和にも役立っている。 西行が「願はくは花の下にて春死なむ」と歌ったのは吉野などの白山桜だが、日本人は桜の花の散りぎわをいさぎよしとして愛し、花の命は短いものときめ、桜の花に無常観の美学を抱いている。
桜切るバカ、梅切らぬバカはもういなくなったが、桜を愛するのにも単に情緒的な愛し方だけでなく、科学的、園芸的に愛するようになった。
早咲き遅咲きいろいろな品種のバラエティに富んだ植樹のレイアウトで花見の開花期を引き延ばし、全体として「花のいのち」は長くなった。 春の遅い雪国の山里に行くと、いわゆる桜桃梅李一時に発すで、梅も桜も梨も林檎(りんご)もそして辛夷(こぶし)、木蓮(もくれん)も雪柳(ゆきやなぎ)も連翹(れんぎょう)もいっしょくたに咲き乱れている。
早春も晩春も新緑の初夏も混然と同居し、スモッグの都会と違って空気が清浄なので花の色もすがすがしく清らかである。
雪どけの冷たい水が勢いよく流れ、山裾の野辺には湯気が立ちのぼり霞がたなびき、大きな鳥が視野を斜めに横切って飛び、小鳥のささ鳴きが聞こえる。
山里に一夜泊まって、春のあけぼの、春の宵のひとときを過ごすと、一瞬一瞬の過ぎ去っていくのがもったいない、惜しいという気がする。
かつて湘南地方で庭のある家に住んでいたとき、ある朝、友人が垣根越しに「今日は八十八夜だよ。この間あげた夕顔の種を蒔くんだよ」と大きな声をかけてくれたことを思い出す。
荒垣秀雄
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)今朝の父の一枚です(^^)v
カワセミは後ろ姿も美しいです。
月、火、水とリハビリ散歩を休みます。
月曜日は、父の歯科の通院。
火曜日に新型コロナのワクチン接種で、水曜日は休養日の予定です。
一日くらいなら予告なしにお休みするのですが(^^ゞ
2日に循環器科で問診票に主治医のサインをもらいました。
同級生からの情報では、2回目よりも副反応がキツカッタ仲間もいますので
副反応がキツカッタらさらに休むつもりです。
〝接種後に「熱出た人ほどワクチン効果高い」 九大病院など発表〟(毎日新聞 3月5日)