雲で陽が隠れると寒くなりました(^^;)「NHKのロシア語ニュース、ロシアからアクセス6割増」(産経新聞 3月23日)
「ロシア、ウクライナにおける NHKワールドJAPAN の視聴方法」(NHK 国際放送局 3月16日)
「NHK WORLD-JAPAN」
ロシアに報道の自由はまったくありません。
「プーチン政権高官 特別代表が辞任 軍事侵攻への反対が理由か」(NHK)
ロシアがウクライナへ軍事侵攻を開始した先月24日以降に
プーチン政権の高官が辞任するのは初めてとみられます。
「ロシアのウクライナ侵攻1カ月、西側は制裁強化 プーチン政権に亀裂も」(REUTERS)
関係筋によると、チュバイス氏はウクライナ紛争を理由に出国し、ロシアに戻るつもりはないという。
今日で彼岸明けです。
■春の彼岸
春分の日を挟む七日間が「春の彼岸」。
旧暦のころだと二月です。
このときに、ぼた餅とか五目ずしを食べる。
五目ずしって、精進ずしじゃなきゃいけない。
これをつくって近所に配ったりする。
(『江戸・東京 下町の歳時記』荒井修 集英社新書 2010年)
彼岸になると、たいがいぼた餅を出すんですな。■春の彼岸
春分の日を挟む七日間が「春の彼岸」。
旧暦のころだと二月です。
このときに、ぼた餅とか五目ずしを食べる。
五目ずしって、精進ずしじゃなきゃいけない。
これをつくって近所に配ったりする。
(『江戸・東京 下町の歳時記』荒井修 集英社新書 2010年)
秋にはおはぎ、萩の餅。
春になると牡丹(ぼたん)の餅でぼた餅ね。
あたしたちの子供のころは、冬のぼた餅がありました。
お砂糖が上にぱらぱらっとまいてある「北窓」というお菓子。
名前もいいよね。
今、和菓子屋さんはどこもやってませんね。
ほんとは秋におはぎ、冬に北窓、春にぼた餅。こうやって食べたいものですけどね。 ぼた餅は、日蓮上人が処刑されそうになったとき、老婆が最後に日蓮になにか食べさせたいというんだけど、あんを煮る時間がないから、糯米(もちごめ)とうるち米を五分づきしたものにゴマをまぶして食べさせた。
日蓮は佐渡に流されたけど、処刑されなかった。
それ以来、災難をよけるということで、「御難(ごなん)餅」とか「難よけ餅」といういい方もされます。
小豆は赤いでしょう。
赤という色も厄よけ、魔よけなんだね。
邪気を払うって。
これが、ぼた餅を彼岸のときに食べる由来だといわれています。
(『江戸・東京 下町の歳時記』荒井修 集英社新書 2010年)
「常栄寺(じょうえいじ)」(鎌倉市)(「春 はる」つづき)
……
その意味で、優美な古典和歌の春夏秋冬も、根元において、人間生活の根本をなす自然現象と深くつながっていた。
古代和歌から現代短歌まで、和歌の全歴史を通じて、春と秋の歌は、数においても質においても、夏や冬よりもまさっているのが一般である。
勅撰和歌集の編纂で、春と秋の部門が特別に重視され、作品収録数にそれが明瞭に反映していたのも、理由があることだった。
もっとも、昭和時代以後は、平成の現在に至るまで、事情がかなり変ってきている。
(『岩波現代短歌辞典』岡井 隆 監修 岩波書店 1999年 ) その大きな理由は、歌人たちの関心の中心が、自然界の変化、その外観の美醜をとらえることから進んで、個々人の内面生活、また大きな枠組みとしての社会、経済、政治などの動向に、移ってきたからである。
したがって「春」にせよ「秋」にせよ、そのとらえ方も人事との関わりが主となる。
作者それぞれの生活形態を反映し、その生活感情と連動するものとして季節が短歌に歌われるようになってくる。 往年の和歌の分類法でいえば、現代は明らかに「雑(ぞう)の歌」が支配する時代となった。
いちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす 正岡子規
1901(明治34)年晩春のある日、<しひて筆をとりて>作った一連10首の一首。
事情を知らない読者には、美しい惜春の歌と読まれかねない歌だが、子規は当時、結核と脊椎カリエスの症状が極度に悪化していた。
庭の草花も、今年限り二度と見ることもできまいという思いで詠んでいる。
その連作は、子規の小庭の草花を詠んで、さながら一つずつの花への訣別のよびかけであるかのようだ。
一年半後には35年の生涯を閉じる子規。 我が涙そゝぎし家に知らぬ人住みてさゞめく春の夜来れば 窪田空穂
二〇代終りころの作。
空穂(うつぼ)はそのころ、借家を転々としながら貧しい生活の中で詩や小説を書き、文筆家としての地盤をかためようと努力していた。
短歌にしだいにうちこみ始めたころの作。 診断を今はうたがはず春まひる癩(かたゐ)に堕(お)ちし身の影をぞ踏む 明石海人
自身の病についてさんざん疑い悩んだあげく、大学病院で診断を受け、決定的に自分がハンセン病患者であることを知ったのである。
春光降り注ぐ都大路を、自らの影を踏んで呆然と歩む作者。
名歌集『白描(はくびょう)』の世界はここから始まった。 動乱の春のさかりに見し花ほどすさまじきものは無かりしごとし 斎藤史(ふみ)
1936(昭和11)年2月26日、大雪の首都東京で起きた青年将校と兵の決起。
この二・二六事件では、作者の父、退役少将で歌人の斎藤瀏(りゅう)が連座し、作者自身の幼馴染の将校は処刑された。
作者の人生の歯車も大きく影響を受けた。
一カ月後、桜の花は満開となったが、作者はこんなすさまじい花はほかに見たことがなかろうと述懐する。
環境の激変は、うるわしかるべき春の花をも、一瞬にしてすさまじい光景に変えてしまう。
人の変化が季節の意味を変えてしまうのである。
そこに、現代においても季節の歌がうたいつがれてゆく理由もある。 (大岡信)
(『岩波現代短歌辞典』岡井 隆 監修 岩波書店 1999年 )今朝の父の一枚です(^^)v
母は、桜が咲き出すと、ここに座って桜を眺めるのが好きでした。
母は、朝のニュースを見るのを嫌がっていました。
殺人事件や、世界で起きている紛争を見るのが嫌でした。
きっと、戦時中、沖縄で、艦砲射撃や艦載機の機銃掃射から
逃げまどっていた頃がフラッシュバックしていたのだと思います。
スクラム
主イエスが十字架にかけられたところに園があった
戦場は剣だけだから空しいんだ
涙を流しながら白い墓標に
せめてもの花を飾る母の後追いの愛
おそすぎるんだ おとなしすぎるんだ
世界の母よ 戦争をたくらむ大きい魔手に
スクラム組んで生命がけで起ちはだかるんだ
今からの母よ 賢く強くなるんだ
(『母 河野進詩集』 聖恵授産所 1975年)